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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: モザイク状  
コラム名: 昼寝するお化け  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2005/04/22  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   サマワから女性教師を招聘して日本の社会の仕組みを見てもらおうという企画は、今私が働いている日本財団の姉妹財団に当る東京財団が、現地まで迎えに行くというめんどうな役目を引き受けてくれて、第三波が来るまでになった。
 自衛隊の安全のためには、あらゆる手段を講じておくべきだ。サマワの住民に親日的な空気が生まれていれば、間一髪のところで自衛隊に危険を通報してもらえるということもありうる社会だと思うのだが、本当の目的は、やはり実際に民主主義を体験してもらいたいということであった。
 小泉総理はサマワは安全と言われたが、もしそうなら、膨大なお金のかかる自衛隊を派遺するより、民間のゼネコンの海外工事に慣れた人を数人送って、実際の仕事は土地のサブ・コンストラクターにさせればいいということになる。自衛隊の派遣はもちろん日米関係の1つのポーズだからソロバン勘定だけで話をしてはいけないのだが、民間人が行けば生命の安全も保証できないということは証明済みだ。だから私はやはりサマワは潜在的に危険な所なのだろうと思っている。
 しかしこういう問題はまことにむずかしい。現在のイラクのような不安定な国では、破壊活動はテロリストや反政府軍だけがするものでもない。便乗強盗もいれば、部族の対立抗争もあるし、おもしろがって破壊活動に加わる不平分子もいる。何しろろくな娯楽がない土地だと、略奪やレイプが不平不満の発散になるのだ。
 またサマワ自体は安全でも、そこに至る道が危険な場合もある。追いはぎ街道はまだ地球上に残っている。そこでは何も持たない貧乏人は安全だが、おんぼろトラック1台持っている土地の人も狙われることになる。一般に金持ちは誘拐の対象だが当人が金持ちでなくても、金持ち国家の国民も狙われる。
 イエスの時代も、ユダヤ人たちの土地の間に、サマリア人など、融和していない人たちの土地があった。この状況は、5、6年前までのイスラエルでも同じで(というのは、私はそれ以後のイスラエルを知らないので)、ユダヤ人の町とアラブ人の町とは、多くの場合はっきりと住み分けられていた。1つの国とは言っても、土地はそこに住み着いている人の歴史や部族の違いで、モザイク状になっている。日本のように文化が一枚板としてほぼ均一化された近代国家に住んでいると、想像できない状態である。
 第1回に招聘した女性教師たちは、皆サマワの住人だった。女性たちは長い上着を着、スカーフをかぶり、どこにいようとお祈りの時間になると手足を洗ってメッカの方角に礼拝した。素朴でいい人たちだった。
 第2回目の時は、女性たちは6人で、2人はバグダッドから、4人がサマワからだった。この2つのグループは、実に眼を疑うほど違っていた。バグダッド組は長着も着なければ、スカーフもしない。他の4人がお祈りをしても、バクダッド組は決してそれに加わらない。私だったら、普段はしていないお祈りでも、とにかくいいことなのだから、こういう場合には参加するのではないかと思うが、2人はむしろ反抗的に別行動を取っていた。表だって喧嘩にはならないが、明らかな対立ははっきりと感じられた。サマワ組は「あの跳ね上がり」とバグダッド組のことを思っているように見えたし、バグダッド組はサマワの人たちを「あの田舎者」と侮蔑しているように思えた。
 バグダッドとサマワが同じ国だとは思えなかった。ここにもモザイク状の人間の集団がある、という感じを再確認した。

 イラクの1番南、クウェイトと国境を接しているのがバスラ県で、その西がサマワのあるムサンナ県である。そのバスラ県の首都バスラは、『千夜一夜物語』の時代から、バグダッド、ダマスカスと共に大きな文化の中心であった。9世紀に既にアフリカのサンジュという所から来た黒人奴隷の蜂起が起きている。その時、バスラはバグダッドに援軍を要請したが町を救うのには間に合わなかった。町の人たちは黒人を差別し、部族の女性を略奪されるという悪夢に、1000年以上にわたって怯えることになった。
 歴史的にはバスラはバスラで、決して「バグダッドと同じ国の端っこの県」ではないのである。
 私たちが現在ニュースで見るイラクは、多かれ少なかれ破壊の光景である。しかし南端のバスラの町は今やや軽薄な繁栄に浮き立っているのだという。
 イラクでは珍しい港を持つ県は、閉鎖的でない思想にも馴れているのだろう。椰子をかたどった街路灯にはラスヴェガス風の照明がほどこされ、週末ともなると、白い長着を着たクウェイト、バハレーン、サウジアラビアなどからの金持ちの遊び客で賑わうという。カジノやナイトクラブもあるらしい。博打は原則として禁止、おへそを出すベリーダンスなども許されていないはずの正統イスラム教国で、そんなことがあるのだろうか、と私は認識を改めた。
 人にも国家にも、幸運な人と国家とがあるように、バスラは幸運な土地であるらしい。イラン・イラク戦争、サダム・フセインの暴虐、地方のインフラの放置、そしてアメリカ主導の2度の「侵略」も耐え抜いた、とニューヨーク・タイムズは書いている。そして豊かな石油資源を持ちながら、サダムによって貧困な生活を強いられたバスラの人たちは、やがては独立するか、半自治権を持つゆるやかな連邦国家の一員となるか、という計画も持っているという。
 第1の選択はシンガポールやクウェイトのような都市国家として、バスラだけで独立することである。
 第2の選択は、バスラにムサンナ、マイサン、ディガールなど南部の3県が加わる構想である。
 さらに第3の選択もある。その場合はもう少し北のカディシァ、ナジャフ両県のみならず、バグダッドから南にたった80キロという聖地カバラ県までをも含める新国家構想である。こうなると、もうイラクはほとんど2つに分割される。外国からの資本投資が順調に行けば、3年のうちに天然資源の豊かなカタールを凌ぐ繁栄も夢ではないという人もいるらしい。
 こうした考えがどれだけ実現性があるものか私にはわからないが、少なくともバスラの人たちが、穏やかなリゾート風のレストランや海岸の遊歩道で、ほんの500キロほど離れた土地ではまだ血なまぐさい自爆テロが断続して行なわれていることなど想像もできないような独自の未来を計画していることは間違いないようだ。
 この記事から私が学んだのは、私たちが、人の心にも国家の状況にも、こうしたモザイク状があることを、過不足なく見られるという冷静さが必要だということだ。
 



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