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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 安心な社会  
コラム名: 透明な歳月の光 154  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2005/04/11  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   現実に即さない概念
 政治家が選挙の演説でしばしば、「皆さんが安心して暮らせる社会を作っていきたいと思います」などと言うのを私はいつも不思議な思いで聞いている。これは明らかに間違いか嘘(うそ)かを含んだ文章だ。これを言う人にだけは投票してはいけない。人間が「安心して暮らせる」という状況は、現世に初めからないのに、それを公約としているからだ。
 そんなことを私が改めて言わなくてもわかっているはずだ。ここのところ、日本でもインド洋でも津波や地震が起きている。日本と違って、長い年月、地震や津波はない、と思っていた地方にまでそれが起きているのだ。
 通り魔と言われる人がいる限り、安心して道を歩いてはいけない。昔の殺人はあだ討ちであり、恨みを晴らすためだった。だから殺人が起こりうる関係が読めないでもなかった。しかし最近の殺人は理由がない。誰でもいいから殺せばいい、という人が現れるようになったのだ。
 4月6日、子供たちが初登校する日には、各地に自警団が出た。大方はボランティアの人たちである。その人たちも「子供たちが安心して学校に通えるように」と言っている。
 教育というものは、外を歩くとき、子供を安心させない訓練をするところなのではないのか。というより、ほとんど世界中の人が、安心できるのは自分の家の中だけで、外は安心できない所だと子供にも教えているのである。それをしない日本人だけが、世界の掏摸(すり)や詐欺師や泥棒やテロリストに狙われる。
 外国へ行けば、手荷物を皮膚感覚の守備範囲以内から片時も離さない。危険な地帯では、財布を取られたときの用意に、紙幣数枚は相手の裏をかくような場所に隠す。相手に身分や住所は明かさない。
 女性が1人で夜遅く歩いたりすれば、それは堅気ではない、とみずからが認めている証拠だから、何をされても仕方がないということだ、と暗黙のうちに考えている社会はまだけっこうある。
 いい年をした人が、まだ「安心して暮らせる生活」があるなどと信じている。私くらいの年になれば、戦争で身辺に爆弾が落ちる恐怖も味わった。飢餓も体験した。すさまじい景気の変動も見た。戦前の紙幣や貯金が紙屑(くず)や反古(ほご)になるのも見た。
 すべての人が安心できないのである。貯金があれば安心ということもない。差額ベッド代が数カ月数年かかるような病気になるかもしれないし、介護つきの老人ホームに入居しなければならないことになるかもしれない。いや40代、50代から生涯持病となる深刻な病気が出る人もいる。
 だからこそ家庭は温かくて休める場所でなければならない。しかし安心して暮らせる社会という概念は、少しも現実に即してはいないのである。
 



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