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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 卑小な愛国者たち  
コラム名: 夜明けの新聞の匂い  
出版物名: 新潮45  
出版社名: 新潮社  
発行日: 2005/01  
※この記事は、著者と新潮社の許諾を得て転載したものです。
新潮社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど新潮社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   日本人は「自国のために」という観念も言葉も許さない不思議な国民である。こういう自虐的な国家は世界でも珍しいから、社会学者の研究対象にはなるだろう。
 以前から書いていることだが、「愛国心」というものは、大して崇高なものでもなく、唾棄すべきものでもない、と私はかねがね思っている。自分が生きるための権利、安全、空間、物資、などを確保することが愛国心だから、大して立派なことでもなく、それを持つのはいけないことだ、などという悠長な気分になってもいられな
い。愛国心を持って、自分の生きる場を確保することは、私に言わせれば鍋釜並みの必需品を確保しようという情熱と同じなのである。
 私はカトリック教徒だから、別に神道に凝り固まった昔風の愛国者には成り得ないのだが、それでも自然に「自国のために」なることはしようと考えている。なぜなら、日本が成り立たない限り、決定的な不幸が私の同世代、子供や孫の世代を襲うことははっきりしているのだし、日本という国が安定して成り立っていてこそ、他国を救うこともできるのである。
 1999年に能登沖に現れた2隻の不審船に対して停船命令を出したにもかかわらず逃げられた事件は当時の世論を喚起した。不審船はかなりの高速船なので、日本の海上保安庁が所有する巡視船では、数においても速度においても追いつかない、という報道が新聞を賑わした時もあった。小さな高速船なら28億円程度でできるという記事を新聞で読んで、私は現在勤めている日本財団の海洋船舶部の予算の中から、1隻作ったらどうですか、と言ったことがあった。
 日本財団が使うお金には国民の税金は全く入っていない。入るお金は、すべて競艇の売り上げの3・3パーセントを受けたもので、それを国の内外で「日本のためになること」に使っている。売り上げは、1枚船券が売れるごとに電気的に正確に集計され、その数字は国土交通省がきちんと把握している。お金は、世界のハンセン病
撲滅と元患者たちの尊厳の回復、老人ホームや障害者の施設などの屋根や床やトイレの改築、犯罪被害者の救済、不登校の生徒の研究、ミャンマーの小学校建設、などさまざまな分野に出している。すべてこれらは、日本のためになることなのだから、高速船建造も意外なことではなかった。
 しかしこの案は実現しなかった。私は詳しく内部事情を理解したとは言えないのだが、耳に入って来た「雑音」は次のようなものであった。
 船を作ることはいいのだが誰が油代と人件費を持つのだ。
 来年からの維持費はどうなる。
 そんなものを作ってくれるところがあるなら予算を削る、と言われた。
 これらの理由が本当のものとしても、言った人は推測はつくが確定はできない。真偽とりまぜた雑音に私はめんどうくさくなって次第に考えないようになっていた。はっきりしているのは、断られればうちの予算も減らされなくて済むのだから、それはまた大変けっこうなことだという思いである。
 そのうちに、高速船の代わりに射撃訓練用のシュミレーションのシステムを作る案が浮上して来た。射撃の訓練は、外洋にでなければできず、危険もあり、お金もかかる。実射訓練は仕上げの部分だけで、普段は機械で訓練をするということは、最近ではどの分野でも当然のこととなっている。
 1つだけ私が理解していたことは、「海のお巡りさん」と言われる海上保安庁が発砲する時には、その射撃は当然、威嚇のために正確でなければならない、ということだった。
 世間の人の中には、不当に領海を犯す船などは「すぐ撃沈しろ」という歯切れのいい人もいるが、私は今はやりの優柔不断もなかなか味があるものだ、と思っている。事実、現場には「忍の一字」を忘れるな、という空気も濃い。いきなり沈めるのではないのだ。まず停船命令で停止させ、臨検を行う。停船命令に従わない時でも、威嚇射撃をして、それで船を止める。その際、正確に威嚇射撃を行う手順や技術ができていないと、「正確に当てない」という結果の確保ができないのだ。この威嚇は、走っている船の前方、100メートル、200メートル、という程度の小刻みで指令されるのである。

 この程度までは、自然科学系の知識に全く弱い私も理解していた。最近の機械にはすごいものがあって、いつか鹿児島の錦江湾で桜島側から鹿児島市の船着場にフェリーで着いた人たちを、少し離れた沖合いの巡視船から見学したことがあった。するとブリッジに置かれているテレビのような機械の画面に、蛍のような灯を伴って歩いている人が数人いるのが見えた。武田泰淳の『風媒花』に出てくる場面のようだけれど「あれは何ですか」と質問すると、「タバコを吸いながら歩いている人です」と言う。熱線に反応が出ているのである。「私がわかったのは、タバコを吸いながら歩くと撃たれる可能性が高い、ということです」と帰って来てから報告したら、誰もが笑った。
 ご要望通りのシミュレーション・センターの機械と建物の申請を、日本財団内部で正規の手続きを経て承認してからも、私はなおも財団内部の関係者に言っていた。「アキハバラに行って、そういうテレビゲームがあるかもしれないから、値段や機能を見て来てください」
 本気で既製品があると思ったわけではないけれど、その段階で私はまだ、シミュレーションは「大画面のテレビゲーム」だと思っていたのである。どれくらい大きいかと言われると、どこか手近の壁を指して、「これくらい」と適当に答えたい感じであった。
 しかし今年10月、ついにシミュレーション・センターは完成し、私たち日本財団側も開所式に招かれることになった。場所は呉の海上保安大学校内である。この設備のためにかかった費用は6億8千万円であった。
 暗い訓練用の部屋に入ると、テレビゲームの大画面の代わりに、周囲をぐるりと取り巻く海があった。実際の巡視船の船橋の広さと高さが想定されているのである。だから現実に船に乗った時と同じような視野の海面が周りに拡がって見える。「どうも少し揺れているようだ」とまず感じたのは、画面の海面に「さざ波が立っているから」で、まんまとバーチャル・リアリティにはまったのである。
 天候も時刻もキィ1つでいくらでも変えられる。夕暮れや風雨と共に、視界がどんどん悪くなる状況も設定できる。「波高3メートルにしてみてくださいますか」と頼んでみたのは、この夏、波高3、4メートルはある、というアラビア海をずっと航行したからである。もっとも15万トンのLNG船(液化天然ガス輸送船)の45メートルの船橋から眺め降ろす海面は、波高が3メートルあっても、波立っているとも見えなかった。
 しかしこのニセの巡視船では、波高が3メートルに達するや、私は愚かにも傍にある計器の1つにこっそりと掴まった。「揺れて足許が危ない」と感じたのである。建物が動くはずはない、と知りつつこのざまである。バーチャル・リアリティというものは、まさにみごとに人を愚弄する。
 後でこの話をすると、どこにでも心の優しい人はいるもので、「ソノさん、大丈夫ですよ。午前中に一足早くマスコミに公開したんですけど、中の全国紙の記者の1人は、酔って吐きそうになったもんで、部屋の外に出たんですから」と言う。
 東京湾内に静々と入って行く船が、どの橋の下をどう走るかも、月齢や雨や雲に合わせてどのように視界を遮られるかも、何でもなくわかる。不審船は、今は工作船と呼ばれるようになったが、そうした船に威嚇射撃を加えた場合の着弾の結果や、強硬に接舷する時の音などもちゃんと入っている。強いて不満を挙げれば、不審な船の姿に全く生活感がないことだ。ここまでよくできているなら、甲板の手すりに薄汚いシャツや股引きなどが干してないのが物足りない。それが風速1メートルの場合、3メートルの場合、10メートルの場合によってどのようにはためき方が違うかも、まだ組み入れられていない。
 そんなものが何の必要があるか、と言われそうだが、北朝鮮の工作船は、初めて被弾した後、浸水を防ごうとして、乗組員たちは死に物狂いで穴にシャツや股引きで詰め物をしていた。工作船が、沈んでいた海底から引き上げられて間もなくは、まだそれらの物が、生々しく残ったままだった。
 そんな雑なプラグで、12月の荒波の浸水を防げるわけはない。しかしそれでも彼らは生きたかったのだろう。その無慚な最後の努力が、今でも私は胸に迫る。しかし忘れてはならない。彼らはスパイか、拉致目的か、破壊活動のためか、とにかく準備万端怠りなくして不法行為を行おうとしてやって来た侵入者なのだ。

 このシミュレーションの迫力は、海の現実を体験させる上でこれ以上のものはないのではないかと私は思いかけている。少なくとも海のお巡りさんたちが、どれほどの厳しい荒波に耐えて日本の周辺を侵入者から守っているか、どれほど視界の悪い海で「正確に当てない威嚇射撃ができるか」を、子供にもおばさんたちにも、これなら理解してもらえるだろう。もっとも大学生の孫によると「えっ、今までそういうシミュレーションなかったの?信じられないなあ。日本はお得意中のお得意なのに……」ということになるのだが……
 その後、聞くところによると、この装置は「東京ディズニーシー」以上の海の体験施設として呉市で大評判になりかけているという。しかし海上保安庁の訓練計画に支障がないようには配慮してほしいものだ。

 財団には本当に国を想う知恵者がいて、沖ノ鳥島と呼ばれる南海の珊瑚礁に、財団でチャーターした調査船を出すことになった。
 中国はこの島を単なる岩だ、と主張する。国連海洋法条約の121条3項に「人間の居住または独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域または大陸棚を有しない」とあるからである。
 しかし日本は沖ノ鳥島を、同法121条1項の「自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるもの」として、島だと主張する。この小さい岩礁の存在によって、最大200カイリの排他的経済水域を確保できるからである。この岩礁を島と認めれば、現在38万平方キロの日本は、その国土より広い40万平方キロの排他的経済水域を持つことになり、そこに天然ガスを始めとする未開発の資源や漁業の可能性など、21世紀に日本が受ける利益は大きいと考えられているからである。
 とにかく日本政府は、北方四島ばかりでない、日本周辺の島の管理にも手を抜いて来たとしか思えない面がある。
「竹島はどうなっているんですか。今度行って見てきましょう」
 などと私が能天気なことを言うと、
「ソノさん、とんでもない。今あそこに行ったら撃たれます」
 と言う。いつから日本人が行ったら銃撃しそうな人たちの上陸を許し、定住を放置したのか。これは政府の国民に対する背信行為ではないのか。
 幸か不幸か、今回の沖ノ鳥島行きの船の出航日が決まった時、私はシンガポールにいることになっていた。秋には、アフリカからすぐアメリカヘ行ったので少し疲れてもいた。沖ノ鳥島行きは海も時化そうだし、船室も充分でないというから、今度は私は遠慮することにした。
 この船は今回は、法律学者、海洋学者、土木の専門家、漁業関係者、広範なマスコミの人たちを載せて調査に出た。それぞれが、その小さな島に、何の可能性があるかを探索するためである。
 チャーターした船は、沖縄の泊港から約5日かかったという。悪天候のため、予定より半日ほど遅れた。しかし一時危ぶまれていた島への上陸も果たした。日本財団では、「全員、無事に帰りました」という報告を受けると、理事の1人が言った。
「アレ、誰か1人残してくるはずだったんじゃないの?」
「身を挺して島に残る」という人が日本人の中から誰か出れば、日本財団では「国に借地料を払って、お住まいはお建ていたします」、と言いたい心境でいるのである。
 来春にも、予定では再び船を出すことになっている。この島の所在地は東京都小笠原村沖ノ鳥島だというから、東京都、警視庁、環境省、文部科学省、農林水産省、そして今回は参加を断ったという外務省にも、もう1度声をかけてみよう。警察も小説家も、本気なら、何度でも現場を踏むものだ。外務省も例外ではないだろう。何度調べても、この世の事物には、その都度、新しい発見と発展があるものだからである。反面、どこの省庁から断られても、マスコミはその分行ける人数が増えて喜んでくれる。この船はただ日本の現実的な未来を築くための探査船として以外の何の意図もない。
 尖閣諸島についても、私はその島影さえ見たことがない。しかし話に聞くと、そこはかなり大きな島らしい。
 そこには今手狭になって東京都でも困っているという刑務所を作るべきだ、というのが、財団内部の少数派意見である。外国では、孤島と刑務所というのは、常に質のいい漫画の絶好のタネになっている。それだけに柔軟な発想の恩恵を受けてもいい対象ではあろう。

 そこに刑務所を作ることによって、日本は人間の居住の可能性を諸外国に証明する。排他的経済水域の確保に役立つ。自発的に「防人」の思想を受け入れ、そのために働く人には、刑期の短縮をはかる。
 受刑者は釣り自由。餌のゴカイの繁殖場、釣った魚の干物や缶詰の工場も併設する。それによって経済的生活が維持できることも証明する。「脱獄自由にしろ」という危険思想の持ち主もいたが、私は受刑者に、自分の存在がまともに自国のためになっている、という自負を持ってもらうことの方がいい、とどうしても甘いことを考える。
 考えてみると、私は私なりに、自然に愛国者になっていた。しかし誤解しないでほしい。愛国者は立派なもの、として気取りたいからではない。生きるために、愛国心は「鍋釜並み」の必需品だという思いから、いまだに抜け切れないでいるだけのことだ。
(2004・12・8)
 



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