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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 無限でない時間  
コラム名: 透明な歳月の光 147  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2005/02/18  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   使い方に表れる能力差
 昭和30年に私が自動車の免許を取ったとき、あちこちから批判を受けた。小説家ともあろうものが、自動車を運転するなどとは何事だ。小説がよくなるわけはない。姦通やばくちをするなら小説はよくなるけれど、自動車の運転は悪くなる、というのが言外ににおわされていた趣旨であった。
 当時、私の母は老人独特のひざの痛みで歩くのが辛くなっていた。母を気楽に外に連れ出したかったので、私は免許を取ったのである。
 批判を受けても、私は首をすくめているだけだった。車を運転することと、小説の善しあしとは関係がないと思っていたからである。運転をすると小説が悪くなると言った人の1人は、その後、運転手つきのベンツの車に乗るようになっておられた。
 今私は携帯電話を持たない。せめて外出中くらい、電話に呼び出されない方がどこでも安心して居眠りができるという怠け心が理由のすべてである。そのついでにインターネットもやらず、ホームページも持っていない。身の回りに雑音は少ない方がよく眠れる、と思うのである。
 1日が24時間だという当たり前のことをしみじみ感じ出したのは、人生の残り時間が少なくなりかけた最近である。やりたいことがたくさんあるなら、それに比例して1日が30時間とか40時間になるなら、私はいろいろなことに手を出しただろう。しかし今の私はし慣れた仕事だけで手いっぱいである。
 私は子供のときから早起きだし、30代の半ばくらいから6時間眠れば十分になっているのだが、それでもまともに注意を集中して働ける時間は、1日18時間のうちの10時間かせいぜいで12時間くらいのものであろう。とするとその12時間を、好きなことを選んで使わねばならない、ということになったのだ。
 私は活字を読むことが好きなので、そのことにもっと時間を取ろうとすれば、他のことに手がでないのである。
 外国のコトワザに「人間は1度に2枚の服は着られない」というのがあると教えられて、選んで生きることの大切さを痛感したことがある。人間が生きるという行為は、必ず何かを捨て、何かを取らねばならない。その選択を自ら放棄すると、だらだらと時間を使うばかりで、結局したいことをしていないか、専門を持たない人になる。
 携帯を持たないと公衆電話が少なくなったので、不自由することもある。しかし昔は電話のないうちさえ多かったのに、そのことで人間性を失った人などいなかった。むしろ今よりもっと学はあり、文字はうまく、礼儀正しい人がざらにいた。無限ではない有限の時間をどう配分して使うかということが、IT時代にはますます個人の責任と能力にかかるようになるだろう。
 



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