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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ひ弱な大学教育  
コラム名: 昼寝するお化け  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2005/01/28  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   昨年の12月20日付の産経新聞によると、筑波大学で、大学とその教職員組合の態度が明確に示される1つの事件が起きていた。
 筑波大学では12月10日に、「イラク復興支援と日本??陸上自衛隊の視点から」というテーマで、大学の国際総合学類などが主催し、目本学術会議が後援する講演会が開かれようとしていた。講演者は統合幕僚会議事務局第一幕僚室広報班長で、現地の様子などを報告するものだったという。
 しかし8日夜に学内の教職員組合が有志の教授と共に「政府の政策を支持するための講演会になるのではないか」「自衛隊のイラク派遣に反対する議論はできるのか」「現職自衛宮を大学に招くのはいかがか」といった趣旨の要望書を学類に提出し、学類は「こうした状況下で開催した場合に『運営の妨害や混乱、発言が細かくチェックされ、講演者に迷惑をかけるといった事態が予想され、静かに開催できる状況ではなく組合側と協議する時間もない』」として延期したのだという。なお大学は「延期となったのは遺憾」とし「批判は甘んじて受ける。中止ではなくあくまで延期で、今後よく検討して開催したい」と言っているという。
 長い間、日本の教育を破壊して来た教職員組合の姿が、まだこうしてあるという現実がわかってなかなかおもしろい事件である。
 もうかなり前のことになるが、沖縄で、自衛隊員の子供たちを学校に受け入れないという事件があった。それがいかにも平和を守る運動のように報道された向きもあるが、これなど、全く人権無視、差別の露な姿であった。
 大学はすべての人生の思想と現実を対決させるところだ。筑波大学には、自分の気にいらない思想の催しが開かれると、野次や怒号や暴力による実力阻止なども予想され、会場が混乱に陥る、という、ルールも何も守らないゴロツキの集団がいて、大学はその暴力の前に屈していることがわかった。
 そもそも他人というものは、必ず自分と考えが違うものだ。それに耐えて、穏やかなルールに従って社会を変えていくというのが、民主主義のルールである。そんな基本的なことすらできなくて、何の大学なのか。
 教職員組合の発想自身が、権力主義的で、脆弱である。
 第一に、こうした講演会は、いやなら出席しない、という自由がある。教職員組合は、自己の意志による選択の存在が学内にあることも信じていない。自衛隊の話によってすぐに学生が自衛隊支持に廻る、と怯えるほどの権力主義者なのだろうか。それは自分たちの姿なのだろう。若者一般は、もっとふてぶてしい。いくら自衛隊が「宣伝」しても、それが嘘だと思えば白けて帰るだけのことである。
「自衛隊のイラク派遣に反対する議論はできるのか」という疑念に対しては、講演会というものは、本質的には、そこで議論するところではない。「聞きおいて」あとで個人個人がしぶとくそれに反対したり、賛成したりするものである。もちろん講演会後に2人乃至は3人の質問者を許したり、30分の質問時間を取ることはある。しかし大勢の人が意見を言う政治集会ではないのである。そのような単純なルールさえ筑波大学教職員組合は心得ていない。

 第三に、「現職自衛官を大学に招くのはいかがか」という。大学はあらゆる人の存在を許し、そこから学ぶものである。犯罪学が犯罪を減らし、軍事学が平和の計測をなし得るものである。幼稚園児の教育ではあるまいし、いいことだけを言っておいて教育ができるものではない。
 第一現職自衛官が、それほど悪い存在なのか。新潟県中越地震では、12万人の自衛隊が出た。私の勤める日本財団からも、あらゆる被災地にボランティア支援活動の専門家が入ったから、自衛隊にしかできなかったことと、自衛隊にはできなかったこと、の報告は子細に入っている。それにしても、復旧に最大の力を発揮したのは自衛隊だった。それに対して「現職自衛官を大学に招くのはいかがか」というのは、実に不思議な反応である。
 阪神淡路大震災の時、役に立ったのは自衛隊、山口組、ダイエーだった、といった青年がいる。自衛隊は半倒壊の家を始末するのに実によく働いた。壊れかけた家は、途中まで壊して今日は疲れたから止め、というわけにはいかない。そんなことをしておいたら危険である。それを徹底してやる技能と体力を持っていたのは自衛隊だけだった。山口組は早期の炊き出しに出動した。
 ダイエーは『何でも100円』の下着を売り出した。非常時にはお釣りもないから、シャツでもパンツでも何でも1枚100円だった。私はそれに深く感動して、これからは恩返しにダイエーで買わなければならない、と思ったものだ。
 いいことはいいこと、となぜ思えないのか。反対の意見は聞くこともできない、というのは脆弱な魂の証拠である。
 もちろん大学であろうと世間であろうと、いささかの常識はいる。仮に「殺人はいいものである」とか、「犯罪隠匿の方法」とか、「自殺のすすめ??その実行方法」などという題の講演会を企画するとしたら、それは「常識」に外れるという理由で止めてもいいだろう。本当はこうした常識外の世界もまた追求して悪いことはない。作家はそれをやる職業である。しかしそれは1人で密かに探求して、それを実行の伴わない小説という架空世界に限定して描くことで安全弁を設けている。
 現代社会のゆがみは、おおよその常識というものを全く考えない人が多くなったことだ。日本以外のすべての国は国旗と国歌に対する尊敬の方法を態度で示せるように、子供たちを教えている。自国の国旗と国歌に尊崇の念を示すことに馴れれば、他国の国旗と国歌にも同じような態度が取れるからだ。日本人ではそうした国際的な礼儀も守れない青年が数多く育った。そのように仕向けたのがこうした教職員組合である。だからここへ来て、東京都などでは仕方なく、日の丸・君が代教育を義務づけるということにもなったのだ。
 自衛隊が悪の存在だと思うのも自由だが、そこから学ぶ姿勢は大切だ。悪いものは、自分の視野の中にも思想の中にも入れない、というような姿勢で、強烈にして強靭な自己を作れるわけがない。私たちは貧困を知ってこそ、そうした人たちを貧困から救うことができる。病原菌を突き止めてこそ、その病気の予防や治癒のための方途を考えることができる。
 大学当局には、勇気と信念を持ってほしいものだ。よく考えて決めたことなら困難を覚悟で遂行することだ。それが責任ある人間の基本的な姿勢であろう。
 



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