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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: イラクの選挙 正義行使に“巧者”であれ  
コラム名: 透明な歳月の光 143  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2005/01/21  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   1月30日のイラクの国民議会選挙も間近に迫ってきたが、その実現はいよいよ危なくなってきているという。こういうことは初めからわかっていたことなのに、アメリカは国家としての情報機関を挙げても、そのような結果を予測できなかった。もちろん戦術というものは狂うことも往々にあるものだけれど、アメリカの場合は何度も同じ過ちを犯す。謙虚でないのである。
 たとえばキリスト教の宣教師たちは、自分たちが伝道するときに、相手の文化を知ろうとして学ぶ。しかしアメリカは、熱帯の密林や砂漠に仕事上進出するときには、そこにフェンスで囲った別天地を作る場合が多かった。マーケット、劇場、教会、などを整備し、水がない地域でも海水から精製した高価な水をホースでまいて芝生を育てた。
 自分にとっていいものは、相手にとってもいいものだ、という単純な判断である。民主主義や選挙がその代表的なものだ。いつの日かイラクに住む多くの部族の人たちも、自由な選挙の意味を理解し、個としての自らの選択を可能にするだろう。しかし彼らの多くは、今はまだ自分たちの生活の規範を宗教指導者の指示に仰いでいる。つまり部族の意向が最大のおきてなのである。
 その背後には、自分たちの小さな部族の利益を最優先させねばならないという必然も存在する。これも当然のことだ。日本人のように誰とでも「共存」しようなどという発想は、インフラも食料も豊かでなければできないことだ。水1つとっても、こちらの部族が多く使えば他部族は水に不自由する、という原則が今もさまざまな形で存在する。
 サダム・フセインの悪行はよく知られて深く恨まれていた。サダムの一族・血縁に繋(つな)がって恩恵を受けた人たちでなければサダムは敵であった。
 しかし今のような状況が続けば、人々は次第に「今よりあの時の方がましだった」と思うようになる。
 「一夜の無政府主義より数百年にわたる圧政の方がましだ」「ネズミの正義よりも猫の暴政の方がましだ」と、サダム以前から格言で見抜いてきた人たちである。これも1つの生きるための知恵であったのだ。「お前の知恵は悪いから今すぐ捨てろ」という正義を旗印としたアメリカ的態度を私は取らない。正義を行使する方法もまた、人間的な意味で必ず巧者であらねばならない。むしろそれが政治家の使命である。
 今度の選挙も、ほとんど私たちの考える選挙の意識からみると、体をなさない惨憺(さんたん)たる結果に終わるだろう。なぜならイラクはまだ民主主義国家ではないからだ。一部の人たちにはもちろん民主主義の意味もわかっている。しかし一般の人々はそうではない。それが予測できなかったブッシュ政権の責任は実に重い。
 



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