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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: もみじのニューヨーク  
コラム名: 昼寝するお化け  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2004/12/03  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   11月4日に、私はニューヨーク・シティ・マラソンを観るために日本を発った。今度の出張は、2006年春に東京都が計画中の東京シティ・マラソン(名称は未確定)の準備のためであった。私が働く日本財団は、そのためにかなりまとまった財源を出すはずである。何しろ経済効果は180億円とも試算されている。都は当然他の企業からの寄付も集めるだろうが、それは世界的選手を招待するなどのハイライトを浴びる部分に使って、日本財団のお金は、もっと一般的なランナーの地味なサポートの部分に使えばいいと私たち関係者は考えていた。
 世界の代表的な大都市で、こうした市を挙げてのマラソンを持っていないのは今のところ東京だけだという。北京も東京の先を越して始めた。こんなことも、実は私にはどうでもいいことなのだが、今度のニューヨーク・シティ・マラソンのように3万5千人もの人たちが参加するスポーツ・イベントには、さまざまな意味がある。
 東京シティ・マラソンに、私はいくつもの可能性を見ている。第一は、スポーツそのものの持つ効果である。招待選手がいい記録を出せば、それは後々までスポーツ界の業績に寄与したことになる。
 第二は地域に対する経済的効果である。
 ニューヨークでは3万5千人が道を埋めつくした。市は出発点のスタテン島とブルックリンを結ぶ2階建ての橋を3時間以上通行止めにした。ちょうどレインボーブリッジを上下共止めて、そこを3万5千人に走らせたような壮観である。
 日曜日だから交通量が少ないということもあろうが、それだけではない。人はいいことをするためには、誰もが必ずいささかの犠牲を払わねばならない、という当然のルールに従ったまでなのである。これは市民教育の一環と言えるだろう。
 しかし3万5千人のランナーとそれに「くっついて来る」人々のもたらす経済的波及効果は大きい。ホテルの部屋の値段も跳ね上がって、私などいい迷惑である。沿道の食事をする場所はどこも人でいっぱいで予約が必要になる。お土産品を売る店も笑顔になる。
 第三はボランティア組織が成長することである。
 一体に日本人は、何でも専門家が整然とやることしか考えられない。しかし沿道の警備など、ほとんどボランティアがやればいいのである。元気なシルバー世代も巻き込めば、その中に警察や、自衛隊や、スポーツ団体や、教員のOBもたくさんいるはずだから、できないことはないのである。そうしたボランティア組織の成長は、東京が災害に巻き込まれた時にすばらしい威力を発揮するだろう。その準備と訓練の機会になると思えばいい。
 第四に、これは開催地の地域性の掘り起こしに大きな力を発揮することになる。マラソンは、一種の動く双六、現実のテレビゲームなのである。ランナーが通過する町々は、それこそ住民と商工会が一体になって、町の特徴と魅力を、短時間のうちに効果的に表現することを考えればいい。いままで東京という町が、世界的な魅力を発揮できなかった点がこれで払拭されるかもしれない。まさに観光業界の出番である。

 第五がもっとも大切なことなのかもしれないが、ランナーを通して私たちは人生を垣間見させてもらう。
 今度私が面白かったのは、前日に行われた「フレンドシップ・ラン」という一種のお祭りだった。たった6キロだから、誰でも走れる。整然としない阿波踊りのグループが走っているようなものだ、と私は思った。同じような扮装をして楽しんでいる人たちもいる。帽子をかぶったり、お化粧で楽しむ人もいる。国旗や旗や幟があちこちではためいている。
 国旗を掲げることが強制か自主かここでは問題にならないだろう。区別するには、まず国籍以外にないからである。
 こういう光景を見ているだけで、私はいくらでももっとおもしろいアイディアが湧いて来るような気がした。前日祭は市民参加のお祭りなのだ。
 本番には軍隊が大砲を撃って、スタートを知らせる。交通整理のおまわりさんたちも、ランナーに対して手を叩き、声援を惜しまない。海兵隊のマラソン・クラブも参加する。彼らすべてが市民なのだから、それぞれの得意な分野で参加すればいいのだ。
 ニューヨークに発つ前日、私は大忙しだった。いつも旅の前には連載を書き溜めしなければならないから、同じくらい忙しいはずだが、今度は少し違った。私は新聞連載の最後の2日分を書き上げて出発しようとしていた。
 昔から新聞小説を書くことについて、私は先輩からいろいろなことを教わった。
 新聞小説の最初で最後の義務は「無事終ること」であった。そのためには、小説が大体予定の回数で終るように筋を組み立てなければならない。その前にまず作者自身が死んではならない。大きな声では言えないが、作品の質は二の次である。とにかく終れば、それで社会的責任を果たすのである。
 別に飛行機に乗ってアメリカヘ行くことに、私は特別な危険を感じていたわけではない。警備が厳しくなっているというニューヨーク空港で、ひどく待たされるかと思ったが、入国手続きはすらすらと終った。写真や指紋を取られるのも、パスポート検査と同時にあっさりと済んでしまった。しかし私はいつも、旅の途中に何かあるかしれないと思う癖がついている。だから最終回を渡して行きさえすれば、小説は未完にだけはならない。
 『神の汚れた手』という新聞小説を書いた時のことを私は思い出していた。私は12月31日付けで終って、1月1日付けから、次の連載の作家に引き渡すことになっていた。
 無理して引き延ばしたと見えるのもだめ。紙数が足りなくなってはしょったと見えてもだめなのだ。自然に書いて行ったら、極く自然に12月31日付けで終りました、というふうに見せなければならない。
 その時だけ、私はホテルに入って書いていた。肩が凝ったので、ホテルのプールで泳ぎたいと思ったが、それもやめた。急に水に入って心臓麻痺にでもなったら、最後の部分が書けなくなる。それは私の義務に背くと感じたのである。
 ニューヨークに着いた時、私は疲れていた。普通の疲れではない。1つ大きな作品を書き上げた直後に感じる不思議な疲労だった。そのせいかもう終わりかけだという紅葉黄葉が、これほど艶やかに見えたこともなかった。
 



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