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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 年金問題  
コラム名: 透明な歳月の光 113  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2004/06/11  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  【損得より「受けた恩は返す」】

 国民年金の問題がこれほど騒がれるのは、第一に自分が損をしたくない、という感情があるからである。もちろん誰も損をしたくないのは当然である。しかしそれでもなお、それ以外のものの考え方というものが本来は存在するはずであった。たとえ自分は少々損になろうとも、できれば人に尽す。受けた恩は十分にお返しする、という気風である。

 日本国家になど恩を受けた覚えはない、と言わんばかりに、日本の国を悪く言う人は相変わらずいるけれど、そういう人たちはさっさと日本国籍を捨てる自由を持っているのに、一向に日本人をやめる気配はない。それならば、もっと素直に、このすばらしい国家に生まれたことを感謝し、同朋や自分の子供たちが育つ未来の社会に、ご恩返しをする気になってもいいと思う。そういう気風といささか関係のある話を英字新聞で読んだ。

 シンガポール在住のウォン・ア・ケンさんは、102歳になる女性である。写真も出ているが、とても100歳を過ぎた人とは見えないふっくらした頬(ほお)が桜色に染っている。

 彼女は50年以上、他家に住みこんで、そこの家の奥さんの死後、残された四人の子供たちの面倒をみてきた。

 中国系の家庭には、よくそういう人を見かける。昔は彼女たちの労働着は黒の丈の短いズボンに黒い上着だった。髪はもちろんパーマなどかけず、ひっつめ。お手伝いさんなのだけれど、一家の奥のほうに長年勤めてくれるこういう人がいると、家全体も子供たちも本当に安心していられたものだった。

 子供たちも彼女を「お母さん」と呼んで育った。男手に4人の子供を残されたご主人は、やがて癌(がん)で亡くなるが、その死の床で彼は50代になっていたこの「ばあや」の面倒を、一生見ることを4人の子供たちに約束させた。

 だから、この女性は余生の心配が全くなかった。彼女は第二次世界大戦の前に中国本土からシンガポールに来て、終生結婚しなかった。

 彼女はご主人の娘の一人の家で暮らし、朝8時半から夕方6時半までデイケアセンターに通う暮らしを続けた。特別送迎車が送り迎えをしてくれる。政府の補助もあるが、4人の子供たちが、必要な費用を全部出しているのだ。

 最近彼女は心臓の手術を受けるために、老人ホームに移るように言われたが、行きたくない、と拒んだ。「だってあそこに行ってもお友だちがいませんからね」と言っている。それで彼女はご主人のもう一人の娘の家へ行って、デイケアセンター通いを続けようとしている。

 人間を幸福にするものは、基本的には労(ねぎら)いと愛である。年金で損をするかしないか、ではない。その点を教える人が日本にはいないのだろうか。
 



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