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著者: 笹川 陽平  
記事タイトル: アンゴラを訪問して  
コラム名:    
出版物名: 愛生  
出版社名: 長島愛生園自治会  
発行日: 2004/01  
※この記事は、著者と長島愛生園慰安会の許諾を得て転載したものです。
長島愛生園慰安会に無断で複製、翻案、送信、頒布する等長島愛生園慰安会の著作権を侵害する一切の行為を禁止します。  
   皆さんはアンゴラという国をご存知でしょうか。アフリカの南部西側、大西洋に接した長い海岸線を有する国で、面積は日本の3.3倍、人口約1,500万人弱の国です。1975年11月11日に旧宗主国のポルトガルから独立して以来、2002年4月の停戦合意まで27年間に及ぶ内戦を経験し、石油、ダイアモンド等の豊富な天然資源に恵まれているにもかかわらず国は疲弊し続けてきました。旧ソ連と米国の冷戦に巻き込まれたことに加え、豊富な天然資源をめぐる利権争いも内戦の一因となっただろうと想像されます。WHOはこの内戦によりアンゴラの医療施設の65%が破壊され、2001年には生まれた子供の4人に1人が5歳未満で死亡していると報告しています。(※1)これは5歳未満児死亡率としては世界でもっとも高い値と言えます。私は7月29日から8月2日の5日間、WHOハンセン病制圧特別大使としてアンゴラを訪問しました。

 私は、父であり日本財団の創設者である笹川良一の遺志を引き継ぎ、ハンセン病とそれに伴う偏見、差別をこの世から完全に無くすことを最終目的として、過去30年以上にわたり活動してきましたが、この間世界のハンセン病をめぐる状況は大きく変化しました。最も大きな進展は、何千年もの間不治の病であったハンセン病が障害を残すことなく治る病気となったことです。それは1980年代に導入された複合化学療法(MDT)(※2)に大きく拠るところですが、それに加えて、「1日もはやく、MDTを世界中のすべての村のすべての患者さんに」という合言葉に象徴されるように、国際機関(WHO)、ハンセン病蔓延国の政府、多くの支援団体、そしてなによりもハンセン病を自ら病んだ人たちによる強力なパートナーシップが形成されたことです。

 WHOは1991年の第44回世界保健総会において、2000年末までに患者数を人口1万人当たり1人以下とする数値目標を決議しました。(※3)この目標は2000年末に、世界の総人口に対する患者数比としては実現されました。ついでWHOは、2005年末までに各国のレベルでこの数値目標を達成するという、新たな目標を設定し現在に至っています。(※4)

 日本財団は1995年より5年問、WHOを通じて全世界で使用されるMDTを無償供与しました。これを契機にMDTは急速に世界の各地に普及し、早期発見と早期治療につながり、患者数は急速に減少しました。2000年以降、スイスの製薬会社Novaritsがこれを引き継ぎ、今日に至るまでMDTは無料で世界中の患者さんに提供されています。また、1999年11月には、WHO、主要蔓延国政府、日本財団、Novarits、世界銀行、デンマーク政府国際協力局を中心にハンセン病制圧活動への共同行動のためのグローバルアライアンスが結成されました。(※5)

 WHOハンセン病制圧特別大使には3つの重要な任務があると私は考えています。第1は、インド、ブラジルを始めとする大きなハンセン病問題を抱える国々で、政府の最高指導者自らが、「2005年末までに必ず制圧目標を達成する」という世界の合意の意義を認識し、明確で強い意思をもって自国のハンセン病対策を指導するよう働きかけること。第2は、新聞、ラジオ、テレビを含むあらゆるメディアを通じて、ハンセン病に関する正しい知識と情報を出来るだけ多くの人々に伝えること。第3は、草の根レベルの活動に触れることにより、現場で活動する関係者や患者とその家族を激励し、その観察を国の政治、行政指導者に還元し、さらにグローバルアライアンスのパートナーと共有して活動を促進していくこと。

 私が各地を訪問するときに必ず伝える3つのメッセージがあります。(1)ハンセン病は治る病気です。(2)診断と治療は最寄りの保健所で受けられ、治療薬は無料です。(3)ハンセン病は恐れる必要のない病気であり、偏見・差別は全く不当である、というものです。多くの人々がハンセン病に関する理解を深め、日常の習慣として皮膚の異常を注意して、早期に、自発的に診断を受けることが習慣となり、3つのメッセージが当たり前となり伝える意味を失うまで繰り返し伝えていく必要があると考えています。

 ハンセン病制圧特別大使として訪問した国々は、インド、ミャンマー、ブラジル、モザンビーク、バングラデシュ、フィリピン、パプアニューギニア、マダガスカル等があります。今回、2002年4月の停戦協定の締結に伴い、かねてより訪問したいと思っていたアンゴラを訪問することが出来ました。アンゴラ政府は2002年末のハンセン病患者数は人口1万人当たり3.54人と報告していますが(※6)、実際の患者数はこれを超えると専門家は考えています。ハンセン病対策は独立前の1940年代に私立の療養所が開設されたと共にはじまり、1958年に初めての国立療養所が開設され政府による対策活動が開始されます。独立後のアンゴラ政府は1983年に結核対策と統合した全国ハンセン病・結核対策プログラムを開始し現在に至っています。1983年には世界の他の地域では既にハンセン病治療薬MDTが普及し始めていましたが、アンゴラにMDTが導入され始めたのはそれから更に10年後の1994年でした。全国18の県にMDTが行き渡ったのは更に4年経過した1998年ですが、内戦による道路、医療施設の破壊はMDTの末端への普及を大きぐ妨げている上、戦禍を逃れて故郷を離れた国内難民への対応の難しさなど、27年間の内戦はハンセン病ばかりでなく、この国の全ての保健医療サービスに大きな影響を及ぼしています。

 今回私は、首都ルアンダから空路約1時間半程、国の中心部のビエ県を訪問しました。ここは内戦の最も激しかった県の1つであると同時に、最もハンセン病患者の多い県の1つでもあり、2002年末の患者数は人口1万人当たり5.83人と報告されています(※6)。県の中心都市クイトには、かつては立派であったと思われるポルトガル植民地時代の建物が内戦による破壊の無残な姿をさらしています。その壁にはここまでしなくてもよいだろうにと思う程多くの銃弾跡がありました。私たちはクイトから更に80キロほど離れたカマクパという町の病院を訪問しましたが、途中舗装されていない土の道には大きな穴が幾つもあいていて、車での移動は困難を極めました。道端に置き去りにされた戦車はまだ風化しておらず、周辺の畑には数多くの地雷が埋められたままで農作業が出来ないと聞いた時、停戦から日が浅いこの地で生きる農民の苦悩を思い知らされました。病院は予想通り設備・人材ともに乏しく仕事の困難さが想像されましたが、そんな中で海外の若いボランティア医師が現地スタッフと共に頑張っている様子に勇気付けられたものです。

 私の訪問に併せて、アンゴラ政府はハンセン病対策が始まって以来始めてのパートナー会議を開催しました。会議には保健大臣と副大臣が出席し、内戦によるこれまでの対策の遅れを取り戻し2005年末までにWHOの制圧目標を必ず達成する、という国としての強い意思を表明されたことは、大きな成果でした。今回のアンゴラでのパートナー会議には他の国々のそれと大きく異なる点がありました。それは、活動の主要パートナーとして、保健大臣やWHO代表やNGOと並んで回復者の代表が同等のパートナーとして席を連ねていたことです。このことは、ハンセン病問題を単に医療面からだけでなく、社会的側面からも取り組もうとするアンゴラ政府の姿勢を示しています。MDTの出現と関係者の努力により患者数が大きく減少していく中、ハンセン病のもう1つの側面、すなわち社会的問題としてのハンセン病問題が浮き彫りになってきています。病気が治っても社会の偏見と差別にさらされる状況に変化はなく、仕事や教育の機会がない等の問題は、病気の治療を進めていく中で同時に解決してく必要のある問題です。1994年、患者・回復者自身が行動して社会に働きかけ自らの尊厳の回復と経済的自立を目指す国際的ネットワーク「アイデア(IDEA)」が組織されたことは、社会的問題解決への大きな第一歩でした。日本財団はアイデアの活動を支援していますが、そのアイデアの理念がここアンゴラに届いていることに大きな喜びを感じました。

 私は、社会的問題としてのハンセン病問題は特定な個人や団体が対応するのではなく、患者・回復者を含む社会全体で、それぞれが同等のパートナーとして考え、支えあって行くことが大切であると考えています。そこで、日本財団では設立以来初めて、海外の患者・回復者とその子弟の職業、教育のための募金活動をこの9月から開始しました。この募金活動を通じて、社会的問題としてのハンセン病を理解していただき、偏見・差別の無い社会の実現に向けて共に考え、行動して行きたいと考えています。

 最後になりますが、日本財団は1975年以来28年間継続してWHOのハンセン病制圧活動を支援しています。1994年以降は毎年ハンセン病蔓延国でこの支援に関する諮問委員会を開催しています。今年はアンゴラの首都ルアンダでこの会議を開催し、WHO代表(本部、アフリカ地域事務所、南東アジア地域事務所)とインド、米国、オランダ、日本の諮問委員により2003年度の活動状況の報告と2004年度の活動方針について討議しました。私は日本財団理事長とWHOハンセン病制圧特別大使の両方の立場で出席し、次の2つの点を強調しました。まず、2005年の制圧目標の達成は人類のハンセン病との戦いの大きな一歩であるが、決して戦いの終わりではないこと。次に、医学的問題としてのハンセン病への解決の糸口が見え始めた中、これからは社会的問題の解決に向けて大きな活動を展開していく必要があること。

 アンゴラ訪問を終えた私はそのままスイスのジュネーブに移動し、国連の人権委員会小委員会でエチオピア、アメリカ、インドのハンセン病回復者の方々と共に、患者、回復者、家族に対する差別の問題を訴える機会を持ちました。これは長いハンセン病の歴史の中で初めてのことです。これからは日本の回復者の方のお力も借りて、活動を広げていきたいと考えています。


(※1)WHO Angola: Country Briefing, Luanda, September 2003 を引用

(※2)MDTはMulti-drug Therapy(複合療法)の略です。リファンピシン、クロファジミン、ダプソンの3つの薬剤を併用することにより、より大きな治療効果を得ると同時に薬剤耐性菌の発生を抑えます。副作用も少なく、再発例も1%以下と言われています。

(※3)「ハンセン病患者数人口一万人当たり一名」という数値を「制圧目標」とし定めるという公衆衛生活動としては極めてユニークな決議が「ハンセン病制圧」に具体的な活動目標を与えました。

(※4)患者数が人口1万人当たり1人以上の国は、1985年の122カ国(患者数推定1,000〜1,200万人)から2003年始めには12カ国(患者数534,311人)に減少しました。12カ国とは、インド、ネパール、ブラジル、マダガスカル、モザンビーク、タンザニア、アンゴラ、コンゴ民主共和国、中央アフリカ、コートジボアール、ギニア、リベリアです。

(※5)ハンセン病制圧のための世界同盟と言う意味のGlobal Alliance for Elimination of Leprosyが正式な呼び名です。2005年末までに全ての国でWHO制圧目標を達成するという明確な共通の目的をもったWHO、ハンセン病蔓延国政府、非営利民間団体他の複数のパートナーから成る協力体です。

(※6)2003年7月現在のアンゴラ保健省資料より引用
 

募金ご協力のお願い〜ハンセン病回復者の自立支援に向けて〜  
世界保健機関(WHO)が日本財団理事長笹川陽平をハンセン病制圧特別大使に任命  
ハンセン病とは ? ハンセン病は治る病気です  
アフリカ貧困視察シリーズ2003  


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