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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 派遣成功のカギ握るアラブ理解?自衛隊はまず部族と協調行動を  
コラム名: 正論  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2004/01/20  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ≪社会支配する血縁の論理≫

 イラクに自衛隊を派遣すれば、危険があるのは覚悟しなければならない。だから自衛隊しか対応できないのだ、とやっと世間が理解するようになった。半面、私は期待する面も大きい。若い自衛官たち数百人が、アラブ人たちの心理と体質を今よりはるかに深く知って帰るだろうと思うと、これは将来大きな国家的財産になると思う。

 イラクをも含めたアラブ人について、日本人がもっとも分からなかったのが、彼らが従兄弟社会だということである。今でも生まれたときから父の兄弟の息子か娘と結婚の約束をする習慣が残っている土地は多い。サダム・フセインの第1夫人も彼の母方の従妹である。サダム・フェダイーンと呼ばれたサダムの親衛隊は、基本的にすべて血縁で構成されていた。

 砂漠の生活は過酷で、たとえば水にしても、お金さえ出せば、すべての人が欲しいだけ分け合える状態ではないから、どうしても血縁を信じるしかなかったのである。

 長い間、彼らは従兄弟という偉大な繋がりに生活のすべてを委ねて生きてきた。商売をするにも、財産を守るにも、結婚も、すべて従兄弟同士で固めていく。ブッシュ大統領は、民主主義こそいいものだと押し付けたが、現実を無視している。民主主義は従兄弟社会が崩壊したときにできるものなのである。従兄弟社会は日本の社会にも少しは残っている。沖縄には門中という観念があるし、庶民中の庶民である私の家でも「いとこ会」をやっている。


 ≪実益のない善意は通ぜず≫

 私は日本財団というところに勤めるようになってから、しばしば「お巡りさんと泥棒は従兄弟ですからね」という言葉を繰り返した。初め職員は、何というめちゃくちゃなことを言う、という表情で顔をこわばらせていた。全く当然なのである。日本では普通、お巡りさんとやくざは従兄弟ではない。警察官の一族は折り目正しい人が多い。

 「沿岸警備隊も海賊と従兄弟ですよ」と私は漫画的に言うことにした。「『今日は俺の方で警備に出るから、お前の方は出るな』と警備隊が従兄弟の海賊に電話するんです。そして翌週には『明日は俺の方が出ないから、お前の方がやれ』と内通するんですよ」と、こういう話を繰り返しているうちに、職員は誰もがばかばかしいという顔で笑うようになった。決して本気にはしないが、自然に用心し、人の繋がりの道筋を読むようになったのである。世界ではこの偉大なる従兄弟社会の論理で動いている人たちの方が、数の上でも民主主義的人間関係で生きる人よりはるかに多いだろうと思う。

 サマワには17から22の部族がいるという。自衛隊の成果はその部族長といかにうまくやるか、ということにかかっている。アラブ人は建前を重んじるが、実益を伴わない建前も善意も全く信じない。愛も真心もまず金で量るのが常識だ。だから部族長には貢ぎ物を、部族民には雇用を促進し、サマワに自衛隊の特需景気をもたらせば、その権益を守るためにもサマワの市民全体が外から入ってくるテロリストを見張るようになる。自衛隊員に、サマワ市民と外部のテロリストとの区別がつくわけがない。名前はムハンマドばかり、顔は皆サダムに似ている。


 ≪忘れてならない慈悲の心≫

 しかし部族長たちが言うように、彼らが本気になったら、1人でも不審な人物が外部から入れば通報してくれるのが従兄弟社会というものだ。そのためには自衛隊が自分で働いてはいけない。学校や診療所の再建、電気・水道の敷設など現場の仕事はすべてサマワの人々にさせ、自衛隊はただ不当な労賃が流れないように監督する。契約は粘り強く値切り、手付けはどんなに多くとも半分が常識だ。

 日本的理論は通らない。犯罪者の検挙は先進国的感覚ではまずできない。従兄弟社会はどんなに悪い奴でも外部には裁かせない。女性に関する淫らな行いも罪も、部族内部で裁く。部族長を非難したり検挙したりする権限は警察にもない。それより部族長には泥棒を取り締まる立場を与えて、盗みを牽制することだ。

 自衛隊に忘れないでほしい大切なことがある。それは慈悲心である。これほど過酷な社会にあっても、アラブ人には慈悲心がある。それがない人は人間として尊敬されない。困難に出会った人には恵んでやってほしい。飢えた人には自分の食事を半分削って与えてほしい。本当に現地で治せないむずかしい病気の子供がいたら、その子の日本での治療費は日本財団が引き受けると言ってほしいのである。
 



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