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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: アテネに立ち寄る(上) オリンピックとスト騒動  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2003/12/02  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ≪ 「あと、295日」 ≫

 わずか2日の滞在だったが、トルコのイスタンブールから足を延ばし飛行機で1時間、ギリシアの首都アテネに立ち寄った。2003年の10月の末、「EUで最もモダンなターミナル」という触れ込みで2年前に開業したアテネ新空港に降りたら「あと295日」という掲示があった。第28回近代オリンピック・アテネ大会の開催日が近づきつつあることを告知する広報板だった。

 トルコからの機中、私はずっと英文の旅行案内表、「Athens」(Lonely Planet社発行)をひろい読みしていた。この本で古代と近代オリンピック史を復習させてもらった。ギリシア神話の最高神ゼウスを称えるため紀元前7世紀、4年に1回、8月の満月の日に、古代ギリシア全士から集まり競技会が開かれたのが、オリンピックの起源。古代ギリシアの滅亡とともに消えてしまったが、1896年、アテネで近代オリンピックが復活した。古代ギリシアの精神をみずからの思想の故郷と考える「西欧人の思い入れ」が、そうさせたのだった。はたして現代のギリシア国民が、古代ギリシアの血筋をひいているのか、いささか疑問ではあるが……。

 それはともかく、第1回大会から、108年ぶりにアテネにオリンピックが里帰りするのだから、その前景気の意味からも、海外からの観光客は、「熱烈歓迎」と思って、空港のタクシー乗り場をめざしたのだが、どこか様子がおかしい。タクシー乗り場には、何かの告知だと思われるギリシア語で書かれた張り紙があった。数人の外国人客がしきりに首をかしげている。

 その張り紙には、高校時代の幾何学で習った「アルファ」とか「ガンマー」とか、「オメガ」とか、ギリシア文字のアルファベットで、綴られた文章が書かれており、これでは何のことやら珍紛漢紛だ。近くに2、3台、黄色いタクシーが駐車している。フランス人の観光客とおぼしき連中が、運転手と何やら話をしている光景を目にしたが、「乗車拒否」を食らっているのが、ジェスチャーでわかった。

 いったい何が起こっているのか。「こんなときは、観光警察とか言う奴を捜すしかないぜ」。旅の相棒の“松長学者”こと、笹川平和財団主任研究員、松長昭君にそう言った。彼は西アジアを専門にする歴史学の博士で、トルコ語の達人なのだが、ギリシア語はさっぱりだという。

 「全アテネのタクシー1万台のゼネスト中だ。あのバスで市府の中心にある終点まで行け。その後のことか? ホテルまで歩くのは覚悟した方がいいぜ」。空港で見つけた英語を話すポリスのお達しだった。

 観光客の荷物で身動き出来ない超満員のバス(料金は2.9ユーロ)に1時間以上も揺られ、降ろされたのがアテネの中心、シンタグマ広場。右も左もわからない。キオスクで求めた地図で調べたら予約したホテルまで3キロもある。重い荷物を引きずって、ただひたすら歩くのみか。

 そう観念しかけたら、付近の様子を見に出かけた松長学者が、下手な英語をしゃべる男を伴って戻ってきた。人相は決していいとはいえない。でも背に腹は代えられぬ。ボラれることは承知で、ホテルまで運んでもらうことにした。人目につかぬ場所に連れていかれ、天井の「TAXI」標識をはずした彼の黄色のクルマに乗ったのである。


≪ 世界に冠たる“悪徳タクシー” ≫

 「どうしてストライキをするのかって? ギリシアでは選挙前になると、あちこちでストをやるのさ。いや。賃上げじゃない。政府に対する抗議のストだ。どういういきさつかって? ややこしい話で俺の英語じゃ説明できんよ。オッと。お前たちのホテルはすぐそこだ。約束の20ユーロ、いまこの場でくれ。ホテルの前で金をもらうのはヤバイからな。聞かれたら“友達の車で送ってもらった”と言うんだぞ」。車中でこのスト破りのタクシードライバーと交わした会話である。

 ギリシア共和国はヨーロッパの一国であり、EUにも加盟し、1人当たりGDP1万7000ドルと欧州では下のクラスだが欧州通貨同盟にも入っており、先進国ということになっている。だが、先進国と呼ばれるにふさわしい“文明の水準”をはたしてもっているのか。古代ギリシアの栄光の正統的な継承者なのか。2日間の短い滞在だったが、私はそのことを考えさせられてしまった。

 タクシー・ストの実情を、現地の英字新聞で知り驚いた。街角で求めた「ATHENS NEWS」は、「望まれるタクシーの文明化」の見出しであらましを次のように記していた。

 <2004年1月からギリシア政府交通省は、タクシー法を施行する。というのはアテネのタクシー運転手は、観光客の間では、“世界一の悪徳タクシー”と悪評サクサクだからだ。夜間はメーターを倒さないで、料金を吹っかける。“メーターで行け”というと、リモコンを使って、メーターがどんどん上がるように細工する者もいる。昼間に、割増しの夜間メーターで走ったりする。これまで政府は大目にみていたが、オリンピック開催を前に規制に乗り出した。Cash Register(金銭登録機)をメーターに併設して、料金と収入を絶対にごまかせないようにする。これにより、オリンピック開催中のタクシー料金をめぐる国際紛争を防止する。違反者には1000ユーロの罰金を課す。>

 松長学者と連れ立って、徒歩と地下鉄を乗り継いで、タクシーのないアテネの夜の繁華街を散策した。途中、新法に反対するタクシー運転手組合の大デモと遭遇する。「金銭登録機の設置絶対反対」。ギリシア語英語辞典で、後刻調べてみたら、プラカードにはそう書かれていた。「現代ギリシアは文明国とは言い難い。賃上げ要求でストするならわかるけど、不正防止の機器設置を、図々しくも真正面から反対してストをするんだから。ギリシア人は隣国のトルコ人の民度の低さを冷笑しているが、あれではトルコ人以下だ」。トルコびいきの松長学者が慨嘆した。


≪ 腐臭ただよう観光名所 ≫

 ストは、タクシーだけではない。下町の土産物屋、ギリシア料理レストランで名高いプラカ街に行ってみる。夜ふかしが売り物のこの街は照明で輝いていたが歩道や路地には、ゴミを山盛りにした容器が無造作におかれ、茶色のプラスチック・ゴミ袋が、ところかまわず積み上げられていた。野良猫が1匹、ゴミを漁っている。英字新聞でわかったのだが、これもストの産物だった。アテネ市のゴミ収集人組合が、賃上げを要求したが、政府がこれを拒否、これで9日間連続でゴミの収集が停まっていたのだ。

 「オリンピック都市、腐臭だたよう」。英字新聞「ATHENS NEWS」は、そう報じ、傑作なマンガ を載せていた。マンガを文章で説明するのは、野暮なことと知りつつ、あえてやらせてもらうと、こうだった。

 <ゴミの山をはさんで、アテネ市当局と、たまたま2004年オリンピックの準備状況を査察に訪れたIOC(国際オリンピック委員会)代表が、対峙している。「心配しなさんな。オリンピックまでには、全部、収集して、きれいにしますから」とアテネ市当局。すかさずIOC委員がたたみかけた。「いつのオリンピック? 2004年、2008年、それとも2012年までにですか」と>

 アテネ市にとって、オリンピック招致は、実は曰くつきなのだ。人口350万、ギリシア共和国の人口の3分の1が集中するアテネ。1985年、EU加盟国になったついでに、近代化にはずみをつけようと1996年のオリンピック開催地に立候補した。だが、アメリカのアトランタに大差で破れた。

 その頃のアテネは今よりももっとお粗末な首都であった。都市計画らしきものもなく、人口増で街は荒れる一方だった。車の爆発的増加で大気汚染が進み、古代ギリシア文明の象徴パンテオンの遺跡も腐蝕が進み、いずれは崩壊すると警告されていたという。

 だから、アテネにとって、今回が再度のオリンピック挑戦なのだ。地下鉄を作り、新空港も完成させた。1896年の第1回近代オリンピックは、古代ギリシアの競技場跡を、ギリシア人の大富豪の寄付によって大理石を敷き詰めて復旧させて、メイン・スタジアムとして使用した。今回は1000トンの鉄で作ったドームつきの8万人収容の大スタジアムを建設中だ。空港や競技場から電車を走らせ、既存の地下鉄路線とつなぐ工事も進行中だ。

 だが、いまひとつ盛り上がりに欠ける。「ストなんかやって、どっちらけていて準備は間に合うのか」。この国の新聞の行間からはそんなあせりが伝わってくる。ところで、今回のアテネ行き、国立のアテネ大学を訪問するのが目的だった。ドーリア式の荘厳な大学構内、学生らしき人影もなくガランとしている。学部長氏が一人、われわれを待っていてくれた。いぶかる私は、大学教授の待遇改善をめぐって、6週間前からスト中だと告げられて、またもやびっくり仰天したのである。
 



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