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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: エチオピア紀行(2) 人類発祥の地は、どこの国か?   
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2003/10/21  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   「人類発祥の地は、どこの国か?」。それが今回の読み物のテーマのひとつだが、まずはじめに答を言っておこう。それはエチオピアだった。「Miss Lucyに会いたい」。私のエチオピアの旅行の間、ずっとつき添ってくれたタケレ・ゲブレさんに案内を頼んだ。彼は、この国の農林省の農業普及局長を退役した知識人だ。「ああ、彼女のところネ。まだ十分間に合う。行きましょう」。時計を見ながらタケレさんが言った。


≪ Lucy in the sky. ≫

 ミス・ルーシーは、れっきとしたエチオピア生まれの女性である。でも、彼女はホモ・サピエンス(現世人類)ではなく、猿人である。猿人とはサルからヒトヘの進化の過程の中間段階に相当する人類のことだ。脳の大きさは現世人類の3分の1ぐらいだが、石器を使用し、直立姿勢をとっていたという。いわば、われわれの一番古いご先祖様筋にあたる人々だが、猿人の故郷はアフリカ大陸であった。

 1974年秋、エチオピア高原から320万年前の若い女性の猿人の化石が発掘された。元々は湖だった場所で、頭、手足、背骨、骨盤などほぼ完全な形で土に埋もれていた。彼女の遺体が発見された時、発掘調査の考古学チームのテントでは、たまたまビートルズの持ち歌である「Lucy in the sky」のテープがかかっていた。そこで学名のほかに「ルーシー」の愛称が彼女に贈られたという、私はこの考古学のストーリーをものの本で読んだことがある。

 そして、そのルーシーは、アジス・アベバの国立博物館のガラス・ケースの中に陳列されていると聞いていた。以来、一度はご対面をと思っていたのだ。

 博物館は、王宮からアジスアベバの旧都、エントト山に向かって北に延びる大通り沿いにあった。日曜日の昼下がりのせいか、訪れる人々も、まばらで、先客は、1組の観光グループだけだった。

 「皆さんよくおいで下さいました。あなたは、アメリカ? エッ、あなたは日本。遠いところから有難う。朝からLucyが別室でお待ちです」。ロンドンで考古学の博士号をとったという中年の学芸員氏が、冗談をまじえつつ、われわれ外国人一行を迎えてくれた。

 「ルーシーは、美人かい?」。ジョークに乗せられたアメリカ人が、さっそく挨拶がわりに質問した。

 「Bonnie Beauty(骨格がしっかりした健康的美人)です。Skinny(やせっぽち)ではないよ」

 すぐさま洒落た答が返ってきた。ルーシーの遺骨はガラスのケースに横たわっていた。というよりも、30個ほどの骨の断片を人間の骨格を連想させる順番に並べ直したのではないか。一瞬、そう思った。

 学芸員が、素早く反応した。「ルーシーは320万年の間、この形で横たわっていたのだ。発見されたのは太古には湖のあった場所だがね。彼女は泳げなかったので溺死したのかもしれない。この博物館では、現場の遺体の形状を、そのまま復元している」と。

 彼によれば、ルーシーはApeman(猿人)だが、V字型のアゴ、骨盤、足の骨、それに歯は人間そのものだという。身長は1メートル10センチ、体重は30キロ弱の若い女性とのことだ。

 「どうして若いとわかるのか」との問いに「(親知らず)が、まだ十分に成長していないことが、分析の結果からわかったからだ」と学芸員は言う。彼によればルーシーはScavenger(口に入るものは、何でも食べる悪食動物)で、直立して歩行し、火も使っていた。


≪ 原始、アダムとイブは何組いたか ≫

 ホモ・サピエンス。考古学ではわれわれ現世人類をそう名づけている。「新人類」という日本語訳もある。それ以前の人間の祖先を「化石人類」という。その中で一番の古株が猿人だ。ルーシーの遺体発見以来、エチオピアは人類発祥の地であることが定説となった。なぜルーシーが、地球の他の場所ではなくエチオピアに出現したのか。太古の昔、エチオピアの大地は、地球の楽園だったのだろうか。

 私は、そういう疑問を、学芸員にぶつけてみたのだ。

 「なぜ最初に、アフリカ大陸で、サルが人間に転化したのか。それはまだ解明されていない。でもエチオピア高原が、猿人たちが生活するのに最適の環境であったことは間違いない。太古のエチオピアは、水と緑が現代よりもはるかに豊かで、ルーシーたちにとって地球の楽園だったのだろう。そのため猿人の数は増えていった」と彼は言う。

 「ということは、われわれ現代人の祖先はエチオピアに住んでいたのか?」

 「2つの説がある。ひとつは、エチオピアを縦断するアフリカ地溝帯(Great Rift Valley)の活動が活発になり、火山の爆発、大地震や森林火災で、猿人たちは他の大陸に去り、そこで現代人へと進化したという人類の複数起源説だ。しかし最近では、アフリカ単一起源説が有力になった。ルーシーの仲間たちが、このアフリカの大地で、現代人に進化したという説だ」

 博物館で学芸員とかわした人類の起源についての問答である。

 旧約聖書に敬意を表して、人類の起源の原単位は、神が土塊(つちくれ)で創ったアダムとアダムの1本の肋骨で創られたイブのカップルということにしておこうか。でも原始の時代、その地球上にアダムとイブが何組いたのか。これは考古学の大論争のテーマであり続けた。アフリカの猿人たちが、欧州やアジアに渡り、各地で独自に進化したという人類の複数起源説と、アフリカ単一起源説との論争である。

 ところが2003年、エチオピアの首都アジスアベバの北東230キロの村から、とんでもないものが発掘された。現代人(ホモ・サピエンス)の化石としては最も古い、男2人と子ども1人の頭骨が出土した。これにより現代人のアフリカ単一起源説が証明されたという。アダムとイブは1組だった。だから考古学的見地に立てば、エチオピアこそが「エデンの園」ということになろうか。

 「そうなんです。わかってくれましたか。旧約聖書のエデンの園が、エチオピアであっても不思議ではないでしょ」。博物館からの帰路、案内役のタケレさんの言である。冗談めかした口ぶりではあったが、誇らしげだった。


≪ 問答「シバの女王と天照大神」 ≫

 エチオピアが「エデンの園」であるのかどうかはともかくとしても、この国の歴史は古い。世界史に登場してきたのは、紀元前1000年のことだという。シバの女王がはるばるエルサレムに出かけ、ソロモン王を訪問した。「その事は、旧約聖書とイエメンの民話に記録が残っている」。タケレさんがそう言った。そして「シバの女王は、エルサレム訪問中、ソロモン王との間に、子どもを設けた。その時の息子メネリックは、ソロモン王の庇護を受け、初代エチオピア王になり、ダビデ2世を名乗り、エチオピア高原のアスクムに都を定めた。つまりは初代皇帝です。そして最後の皇帝は、1974年の青年将校たちの社会主義革命によって退任させられた。237代目、ラスト・エンペラー、ハイレ・セラシェです」と。

 タケレさんの勧めでアジスアベバの本屋で「Kebra Nagast」という表題の本を求めた。英文で「The Glory of Kings」とある。「栄光のエチオピア皇帝史」とでも訳しておこうか。14世紀、多くの伝承を集めて書かれた叙事詩で筆者不詳。エチオピア人の元祖はアラビアのイエメンであること。シバの女王は、イエメンからの植民者の3代目だった。シバの女王のエルサレム訪問で誕生したエチオピア皇帝は、正統なユダヤ人の血筋であるなど建国のストーリーが展開されている。シバの女王がモーゼの十戒の木版を持ち帰ったとも書かれていた。

 「シバの女王とソロモン王のlove storyは実話ですか」。タケレさんに聞いた。

 「それは、ユダヤ人の旧約聖書とエチオピア人のケブラ・ネガストが本当かどうか質問しているに等しい。エチオピア人がユダヤ人と同様、セム系の血筋をひいていることは事実です。ユダヤ人の末商を名乗る人々の村がエチオピアに残っていた。ブラック・ジューと呼ばれる人々で、数年前、イスラエルに移住していった」

 つまりは、このような国の起源にかかわる叙事詩を固有の文化として肯定的に受け止めるかどうかの問題なのだ。日本の建国物語、古事記や日本書紀の場合も同じことだ。「日本にも天照大神というシバの女王にもたとえられる女王がいた」と言ったら、エチオピアの最後の皇帝、ハイレ・セラシェは、日本を共通の歴史と伝説を持つ国と認識し、とりわけ親日的だった??とタケレさん。そう言われて、昭和の初期、自分の甥の妻に日本人の華族、筑前の黒田家の娘を迎えようとしたが、日・独・伊三国同盟の締結で沙汰止みという秘話をふと思い出したのである。
 



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