共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 歌川 令三  
記事タイトル: エチオピア紀行(1) 「ロバ」の国とは、どんな国?  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2003/10/07  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   エチオピアはとても古い国だ。アフリカ大陸の中で、エジプトに次ぐ、長い歴史と伝統文化を持っている。だから日本人にとって、エチオピアという国名の知名度は高いのだが、観光客の押しかけるエジプトほどに、その実像は知られていない。2003年の春、この国を訪れた。出発前、日本語で書かれたエチオピアの旅行案内書を探したのだが、1冊もなかった。案の定であった。まさに知られざるエチオピア。それはどんな国なのか、シリーズでお伝えする。


≪ ロバとは、Donkeyなりや ≫

 「エチオピア」と聞いて、まず第一に何を連想するか。多分、マラソンとか駅伝など長距離競争ではなかろうか。この国は、世界有数の長距離ランナーを輩出している。酸素の薄い海抜2400メートルの高原の国であり、高地を日課のようにして走っているのだから、平地の国民よりも心臓が丈夫で、長距離ランニングが得意なのだろう。マラソンの話から始める。

 首都アジスアベバの昼下りの光景であった。元皇帝の王宮前、ユーカリの大木が目立つ広場がある。その脇を2本の舗装された目抜き通りが交差し、信号機が設置されていた。赤信号なのにたき木を背負ったロバの群が、ゆっくりと横断していた。たき木売りの行商たちだ。ロバは、今日でもエチオピア人の交通手段としては必需品だ。この国の人々は、家畜を財産として保有する習慣がある。ロバ1頭は、80から100USドルで取引されているとのことだ。

 「Donkeyが100ドルと聞けば外国人にとっては安いかも知れないけど、所得の低いエチオピア人にとっては、高価な財産です。それはエチオピア農民の小型運搬車兼乗用車でもある。遅いけれど、山登りをさせれば、四輪駆動車よりもはるかにうまくやれる」。

 私のエチオピア紀行の全行程を案内してくれたタケレ・ゲブレさんが、そう言った。この人は、元エチオピア農林省の農業普及局長もやったことのある英語のうまい知識人だ。「アジスアベバとは、現地語で“新しい花”という意味です。首都としての街づくりが始まったのは1900年です。それまでは、すぐ北にあるエントト山に皇帝の都があった。敵襲に備えて山城を築いたのだ。だが、王権の力が強くなったことで、当時のメネーック皇帝は、山から降りる決心をした。そして眼下に展開する温泉の出る平らな高原に都を定めた。オーストラリアから、ユーカリの木を沢山輸入して植樹した」とタケレさん。「ホラ、あの王宮のユーカリの大木もその名残りです」。彼の指差すユーカリの並木の向こうから、ランニング練習の一団が姿をあらわし、ロバの一群を抜き去って行った。

 気温18度。さらっとした空気が、心地よい。「日本では1964年の東京オリンピック優勝のアベベ・ビキラが一番人気だが、現役では女性ランナーのファツーマ・ロバだ。ところで、ロバとは日本語でどういう意味か知ってるかい」。タケレさんにそう切り出してみた。けげんな面持ちの彼に、「いくら急がせても、ノロマのDonkeyのことを、ロバと日本では言うのさ」と教えたら、しばし笑いころげた。

 ややあって「いやあ、言語の違いというのは面白いもんだね。ノロマのDonkeyを名乗るミス・ロバに負けた日本の牝馬ランナーはどんな気持ちだったんだろうね。口惜しかったろうね」。ユーモアたっぷりに切り返してきた。

 「そう。そしてノロマのDonkeyこと、ミス・ロバの活躍で、今の若い日本人はエチオピアという国の存在を知ったんだ」と私。「日本人だけじゃない。世界の人々は、マラソンという小さなのぞき穴から、エチオピアの実像の一端をつかんだのだ。マラソンがなかったら、ほとんどすべての外国人は、エチオピアとは、サブ・サハラのど真ん中にある酷暑の砂漠国だといまだに思っていることだろうよ」。タケレさんは、マラソンこそが、現代エチオピアの最高の広告塔だという。

≪ ナイル川の源流の国 ≫

 この国の超一級の知識人、タケレさんが、言うように、たしかにエチオピアは、今日の地球社会の中で、イメージ上の問題を背負っている国である。私は今回の旅に先立ち、知人たちにさまざまな短評をもらった。

 「超暑い国でしょ。砂漠の熱射病に気をつけて」いわく「あんな危険な国に出かけるとは物好きな……」いわく「食糧の準備をしっかりやっておけよ」等々だった。戦渦のイラクにでも従軍するような騒ぎだ。日本人のみならず、エチオピアとは砂漠と飢餓と内戦で、危険がいっぱいの国と思っている人が、いまだに多いのではないか。

 たしかにこの20年間、世界のこの国に対する報道ぶりは、そう思わせるに十分であった。部分的には当っているとはいえ、報道によって人々の頭の中に結ばれたこの国の仮想の画像と現実とはやはりかなり違う。エチオピアは貧しい。だが変化に富む自然の景観、古代から綿々と続く輝ける歴史、そして豊かで多様な独自の文化には、はっとさせられたのである。

 私は、ローマ発のエチオピア航空機で、アジスアベバヘ向かった。所要時間5時間50分。地中海からエジプト上空に入り、ナイル川に沿って真南に向かった。アスワン・ハイ・ダムとおぼしき湖が小さく見える。やがて眼下には、砂漠、これまた砂漠が展開する。だが、この砂漠地帯はエチオピアではなく、スーダン領であった。機窓のナイル川はいつまでも視界から去らない。くねくねと曲がりながら、砂漠地帯を源流をめざしたのである。川を目で追ううちに、突然、地上の景色が変わった。グレーと黄土色のツー・トン・カラーの砂漠がなくなり、茶色と薄緑のマダラ模様の高原が出現した。この高原こそが、ロバやアベベなど偉大なマラソンランナーを生んだエチオピアの大地だった。

 エチオピア連邦民主共和国(1991年以来、この国の正式名称)は、砂漠の国ではなく高原の国だ。標高2000から2400メートル。首都のアジスアベバをはじめ国土の80%は、この中央高原にある。私は、今回の旅で、インターネットで検索した英語の資料、CIA(米国中央情報局)のThe World Factbookを重宝させてもらった。さすがCIA、簡にして要を得ている。「ロバ」さんの国とは、どんな国か? CIAは、こんな書き出しで、エチオピアを紹介している。


≪ CIAのエチオピア概論 ≫

 「アフリカ54カ国中、エチオピアはユニークな国だ。古代から続く君主国が、植民地にされずに保たれ、独特の文化を維持した」と。外国支配の唯一の、例外は、1936年〜41年のイタリア占領だ。1974年、クーデターが発生、軍事政権が誕生した。この結果、1930年以来、この国を統治していたハイレ・セラシェ皇帝は退位させられ、君主国は社会主義国となった。しかし、血みどろの内戦、大旱魃による飢餓、大量の難民発生で国内は分裂。ソ連寄りの社会主義軍事政権は、1991年、エチオピア人民革命民主戦線によって打倒された。民主憲法が制定されエチオピア初の民主選挙が実施された。以上がCIAのデータにもとづいて作成したこの国の政治の履歴書だ。

 6700万人。エチオピアの人口である。1935年には1500万人だったが、60数年で4倍以上にふくれ上がった。人口増加率は年々3%になんなんとしている。2020年の推計人口は1億1000万人となる。

 「だが、エイズの流行で死亡率が上がるので、そこまで人口は増えぬかも知れぬ」とCIAレポートはいう。国民の10%がエイズにかかっている。1人の女性が6.9人の子どもを生む(日本では1.3人)。しかし乳幼児の死亡率が極端に高く、平均寿命は男43歳、女45歳。経済は貧しい。1人当たりGDP(国内総生産)は100ドル。世界で3本の指に入る最貧国だ。

 エチオピアは北緯8度に位置するが、暑くはない。CIA資料によると、高原の最高気温は1年を通じて22度、夜間の最低気温は8度。国土面積は日本のちょうど3倍だ。

 「エチオピア人が長距離競技で強いのは、涼しく、かつ酸素の薄い高地という、トレーニングには絶好の自然条件に恵まれているからだね」、と私。自然条件はもちろんだが、社会的条件としては、この国の貧困があげられる??、タケレ説である。彼は面白いエピソードを話してくれた。

 「長距離で14回も世界記録を更新したハイレ・ゲブレセラシェのこと知ってるかい。身長160センチの小男だ。彼のインタビュー記事を外国の新聞で読んだ。なぜエチオピア人は長距離が強いか。彼はこう答えていた。“俺たちは貧乏だ。車なんかない。俺の村では金持ちはロバに乗る。だが貧乏な俺は3000メートルもの高地の村を歩いたり、走ったりの毎日だった。それをやるうちに自然に呼吸法が身についたのさ”だと」。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation