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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: ミャンマーとはどんな国か(中) ヤンゴンにみる「人間模様」  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2003/09/09  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ≪ 「行くべきか、行かざるべきか?」 ≫

 ミャンマーとはどんな国か。このテーマにとりくむためにわざわざ英語のガイドブックを購入し旅先で通読してみた。日本語の案内書が何冊も出版されているのに、そんな廻りくどいことをしたのは、ほかならぬミャンマーだからだ。この国は、前号で詳しくお話ししたように、欧米人には極めて評判が悪い。そのようないわくつきの国を彼らはどう紹介しているのか。それを知りたかった。

 手に入れたのは、Lonely PlanetのMyanmar(Burma)編であった。ついでにダイヤモンド社の「地球の歩き方・ミャンマー(ビルマ)編」も、空港で求めたがそれよりも3倍も分厚い本だ。「知られざる黄金の土地の内幕」という思わせぶりな副題が印刷された表紙をめくって、目を見張った。なんと第一章のタイトルは「ミャンマーを訪問すべきか?(Should you go Myanmar?)」とあるではないか。およそ観光案内書とは、目的地を訪問するのを前提として作成されていると思っていたのに、「行くべきか、行かざるべきか」が、テーマとは、驚きであった。世界広しといえども、そういうガイドブックは、この本だけだろう。

 書き方もなかなかのハードボイルド、つまり冷徹にして非情であった。<だいたいね。この国の話はつまらないんだ。ミャンマーは軍事政府だ、アウンサン・スーチー女史は拘留中だ。だから話が黒か白かになりがちで、情緒に欠ける。民主主義とか人種とか固苦しくなってくる。でもね。この国を孤立させると、中国とぴったりの仲になってしまうと心配する人もいる。さて、何事も絶対にYESとかNOなどという答はない。しかし多くの庶民が観光に依存して飯を食べている現状にかんがみ行ってあげるのも一案だ。ただしあくまで自己責任で行ってくれよ。旅の楽しさを少しでも味わいたいなら、国の観光局の世話になるなよ>。

 ざっとこんな調子だ。次の章、「ヤンゴン空港にて」は実用的だった。<入国管理と税関では、手続きは1時間以上かかることを覚悟せよ。バンコクからタイ航空機がたった1機着いただけで大混雑だ。この国の制度と役人は時間がかかるように出来ているんだ。とりわけ税関の疑いのまなざしは、ほとんど偏執狂的だ。飛行機から降りたらともかく、窓口の列の先頭をめざして突っ走れ!>とあった。

 2002年12月、私もガイドブックと同じくバンコクからタイ航空でミャンマー入りしたのだが、まさしくこの通りだった。たった1列しかないベルトコンベヤー付きの荷台は、到着客で三重にも四重にも囲まれているのに、荷物はいっこうに出てくる気配がなかった。

 「多分飛行機からおろした荷物は、リヤカーにのせて、人力で運んでいたに違いない」。真偽はともかく腹立ちまぎれに私はそう思った。

 空港には、ヤンゴンに駐在する日本財団の斎藤栄君が迎えに出てくれていた。入国管理→外貨の強制兌換→荷物受取り→税関の手続きで、合計1時間半。「この国は入りづらいね」。それが、私の彼への第一声であった。斎藤君は苦笑した。そしてこう言った。

 「でも、どこの国にも、サニー・サイド(陽の当たる光景)とダーク・サイド(暗い影)を兼ね備えてるでしょ。空港の不愉快さは、国の統一に悪戦苦闘中の軍事政権がもたらした“影の部分”です」と。たしかに空港での光景は、欧米人向けの辛口、英文ガイドブックの通りであった。ミャンマーとはいったいどんな国なのか。


≪ 「過去・未来の交錯するいつくしみの国」とは…… ≫

 持参したもう1冊のガイドブック「地球の歩き方」の表紙には「過去と未来が交錯するいつくしみの国へ」とあり、第1頁には「我々がつい忘れがちな心の豊かな暮らしが、ここにある」と書かれている。「行くべきか、行かざるべきか」がテーマの前出の英文ガイドブックと比べたら、まさしく天国と地獄ほどの違いだ。

 どっちがミャンマーの実像をより正確に伝えているのか。「どっちも正しいんでしょ」と斎藤君は言う。要は、この国を認識する目線の違い、てっとり早く言えば、好きか嫌いかの問題なのだろう。日本人の“ビルマ好き”は、定評がある。これは第2次大戦のよき遺産と言ってもよい。竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」は、仏教徒ビルマ人の素朴な人柄がテーマだ。戦後まもなく出版されたこの本を読んだ日本人たちは、ひとしく感激し、ビルマ人に好意をもった。そしてまた、「ビルマ人は日本人が好きで親日的だ」と勝手にきめこんでしまったふしがある。

 「エエ。その通りで断定的なビルマ人観は危険です」。斎藤君は、最近、ヤンゴンで日本人とミャンマー人との間に起こった悲劇について語った。

 <ヤンゴン市内にインヤー湖という景勝の地がある。その畔はヤンゴン大学や大使館もある高級住宅地だ。そこで2002年の5月、殺人事件が起こった。この地区に事務所兼住居をもつある日本の大手企業の所長が、ミャンマー人の男性従業員に刃物で刺され死亡したのだ。現地の新聞には「1人のミャンマー人女性をめぐる争い」とあったが、事実はそうではない。自分に対する雇い主の横柄な態度に我慢ができなくなったこの男が、怒りを抑えきれなくなって殺人にまで発展した。日本人の駐在員の社会では、そういうウワサでもちきりだった>

 このエピソードは、ミャンマー人は、善であるとか悪であるとか、彼らが日本人を好いているとか嫌っているとかを判断する材料ではなく、彼らの性格を形成する精神文化を理解していれば、惨事は未然に防げたという教訓だった。

 <ミャンマー人は総じて控えめである。謙譲の美徳をもっている。他人への思いやりがある。性格は温厚で、仏教の五戒を守り、ことに殺生を好まない。しかし、ある対象について不満があり、それが積もり積もって我慢できないほどの極限状態にまで高まると、戒律の抑制力が失なわれ、切れてしまう。だから日頃、温和しいのをよいことにして、人柄を傷つけ続けるととんでもない結末を招く>ホテルで酒を汲み交わしつつ語り合ったミャンマー人論の一端であった。


≪ 「Good Morning Mr. Utagawa」 ≫

 空港で私はこの国の暗い面にいやというほどつき合わされた。旅行者を密輸業者か、スパイを扱うようなまなざしで凝視する空港の役人たち、そこからは謙譲の美徳をもち、他人への思いやりがあるやさしいビルマ人の姿は浮かび上がらない。しかし、この役人たちも個人的につき合ったらいい人なのかも知れぬと思い直したりもした。どこかで、伝統的な心をもつビルマの庶民に会えないものかと願っていたところ、ごく身近なところで、遭遇したのである。

 そこは、ヤンゴンの繁華街にあるトレーダーズホテルであった。私は閑静さよりも、便利さを選択してここに泊まった。いつも部屋の掃除が行き届いている。放り出したズボンやシャツまできちんとたたみ直してある。メイドさんのきめ細かいサービスに感心した私は、英文で簡単なメモをベッドの枕元に残しておいた。

 「有難う。あなたの温かいお心遣い。デスクの上は、書類で散らかっているけど、これは私がミャンマーの随筆を書くための資料ですから片付けなくても結構です」。英文でメモを書き、その脇に1ドル札のチップを置いた。

 夜、外出先から戻ったら、英文の置き手紙があったではないか。

 「Good Morning Mr. Utagawa. When I clean Your room, I saw you・・・(以下、日本語訳で続けよう)。私はあなたが枕を2つに折って使っていることがわかりました。あなたにとって、ホテルの枕は低すぎるのでしょう。あなたが心地よい眠りにつけるように枕をもうひとつ置かせていただきました。それからもうひとつ、あなたの重い書類カバンが置けるよう室内にもうひとつラックを備えておきました。私どものホテルにお泊りいただき有難う。Have a nice day. Your Housekeeper, Marie」

 私は、この10年間で、100力国近くの国々を旅したが、チップの返礼に、メイドさんから手紙をもらったのは、初めてだ。おそらく空前にして絶後だろう。

 この国の所得水準は低い。ヤンゴンで暮らすには、少なくとも30ドルの月給が必要と聞いた。だから、1ドルの心付けは彼女にとって、大歓迎だろう。しかし彼女が私にしてくれたことは、お金故ではなく、あくまで志である。この国で放映された連続TVドラマ「おしん」は超人気番組だったという。軍事政権であろうが、なかろうが、そしてアウンサン・スーチーが拘束されていようが、いまいが、日本人とミャンマー人は心が通い合える。彼女の思いやりのある文面を何度も読み返しつつ、そう思った。ミャンマーで英語の書ける世代、多分、彼女は50歳以上であったろう。
 



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