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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 現実的知識?社会への感謝の気持ち教える  
コラム名: 透明な歳月の光 73  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2003/08/29  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   夜中に眼を覚ますと、つけっぱなしにして眠ってしまったテレビが全く別の番組をやっていることがよくある。こんなふうにテレビをつけたまま寝ることは、まず老化の証拠だそうだ。その上、最近の電力事情では、電気のむだ遣いだから、厳に戒めなければならないことでもある。そのうちもっとぼけると、気がついた家族がそっと鼻の上の眼鏡をはずし、テレビを消そうとすると、やにわに「寝てはいない。起きて見ていたんだ」と怒りだすようになるという。これが典型的なぼけ老人の反応だそうだから、気をつけねばいけない、と思う。

 しかし自分で番組を選ばないからこそ、思いもかけないいい番組を途中から見ることもあるのだ。

 アメリカの話である。アメリカでよく起きる血なまぐさい事件の現場などというものを、私はまだ幸いにも一度も見たことがない。

 家族が殺されて被害者となって動転している遺族には、さらに耐えられない苦しみを現場は残している。

 おびただしい血の染みた絨毯、乱闘の後に残されためちゃくちゃに壊れた家具類、時には無残な腐乱死体そのものが横たわっていることもある。

 そんな惨劇の跡を、どう始末していいか私たちの誰もが知らないのだ。泥に汚れた床なら、私たちは雑巾で拭き取ることを子供の時から教えられた。或る程度の血液の始末なら、血友病患者を家族に持つ家庭の話を読んだ時、知識として知ってほっとしたことを思いだす。しかし腐乱死体の臭気の染みた絨毯や畳はどこに捨てたらいいのか。

 途方にくれる、とはこのことだろう。それをやってくれる業者をテレビは取り上げていたのである。血液や腐乱しかけた遺体の跡には、危険な菌が残っていることもある、という。だから処理業者の作業員たちは、皆SARSの患者を運ぶ救急隊員みたいに、完全防護の服装をしていた。

 これこそアメリカが持つ社会整備のあり方なのか、日本にも同じような会社があるのか、私はまだ知らない。万が一そのお世話になるようなことにでもなれば、費用は決して安くはないだろう。

 しかしそういう専門的な技術者がいてくれる社会こそ、豊かな社会なのだ。そしてそのような仕事に進んでついてくれる人たちに、我々はやはり深く感謝すべきなのである。

 世の中に要らない人も要らない職業もない。総理大臣ばかりだったら、我々を学校で教えてくれる人もない。学者ばかりいても、ゴミの処理は誰もしてくれない。小説家ばかりだったら皆が飢え死にする。

 実体のない平等の観念よりも、こうした現実的知識の方がずっと私を自然に、誰にでも感謝する気持ちを教えてくれるのである。
 



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