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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: けじめとしつけ?食事の場所は決められている  
コラム名: 透明な歳月の光 72  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2003/08/22  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   記録的な酷暑に喘ぐマルタ、シチリア、北部イタリア等を旅行して歩いているうちに、思い出したことがある。

 1つはリンゴを丸齧りにする楽しさである。旅行中は、日本の暮らしより野菜が少なくなる。それでリンゴを食べるようにした。というより、丸齧りにできるサイズのリンゴがいつも食卓に出たからである。日本で近頃、リンゴを齧ることがなくなったのは、別に私が上品に暮らしているからではない。

 私は歯だけは丈夫なので、リンゴの丸齧りをしたいのだが、最近の日本のリンゴの大きさは普通の人間の顎のサイズに合わないようになってしまった。それで止むなく家族で1個を剥いて分けて食べる。

 今回初めて、果物は大きければいいというものではないことを実感した。

 リンゴは適切なサイズのものを丸齧りにすると、この上なくおいしい。昔は洋服のスカートでちょっと拭いて食べた。拭いた方が余計に雑菌がつきそうだが、子供はそれできれいにしたつもりだったのだ。もっともリンゴの丸齧りには、それに似合う風景も要る。日溜まりのベンチや雑木林の小道など、よく似合う場所というものがあった。

 日本に帰って来て1週間ぶりに私鉄の電車に乗った。そろそろお盆休みに入りかけているところで電車も空いていたし、涼夏だから外出も新鮮な楽しさだった。

 すると歩きながらや電車の中でものを食べている人が多くなっているのに気がついた。おにぎりが1人、パンが1人、サンドイッチが1人。

 もちろん人間には、それぞれに他人に言えない事情がある。ちょうど午後2時頃だったから、さまざまな理由でお昼ご飯を食べ損なった人が何人もいたのだろう。寝坊したのか、仕事で忙しかったのか…しかし教師も親も、けじめというものを教えなくなったのは事実だ。そしてそれが自由というものなのだ、というでたらめを黙認した。

 私は小学校から高校まで、「それをすると決められた場所以外で、それをしてはならない」と学校で厳しく教えられた。トイレは社交の場ではないのだから中で喋ってはいけないし、廊下は移動する場所なのだから、やはり騒いではいけない。

 食事は、食事の時間に食堂でする。それ以外の時と場所で、ものを食べてはいけない。とは言っても複雑な社会は食堂と名のつくような場所に入って食べる暇もない人々を作り出した。そこで人間は略式の場を多く考え出した。座ってコーヒーを飲む暇がない人のために、立って飲めるテーブルやカウンターを考え出したのだ。しかしそれでも場所は決められていると言っていい。犬や猫でさえしつけが大切と言われる。人間にもすべきだろう。
 



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