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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 比較文化「結婚式」  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる 【番外編】  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2003/07/08  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ≪ アメリカの結婚式に3回出た男 ≫

 今回は物好きなことに結婚式のために3回もアメリカに出かけた話だ。「財界」誌上で8年間も続けてきたこの読み物は、世界の国々の土地柄の違いを、私の体験を通じて表現した外国の風土記のつもりであった。だが、これからお話する体験談には地理学的な要素はない。「風土記」というよりも、ある種の比較文化論的随筆ではないかと思い、あえて純シリーズの番外編とさせていただいた。

 夏が近づいてくると、アメリカの結婚式の思い出がよみがえってくる。『June Bride』(6月の花嫁)という言葉があるように夏は西洋では結婚式シーズンだからだ。『June Bride』は、6月という月が、女性および結婚生活の守護神ジュノーの月であるとのローマ神話が由来だ。欧州の夏は日本のように蒸し暑くなく結婚式には最適だ。アメリカの夏は、よいシーズンとは、必ずしもいい難い。酷暑の州があるからだ。私の招かれた3回の結婚式はいずれも夏であった。

 7年前の8月、3回目のアメリカ結婚式に出かけた。念の為にいっておくが、私は他人の結婚式に格別の興味をもってない。むしろ、年を重ねるにつれて、父親主催の結婚式に義理で出席し、祝辞などしゃべらされるのが億劫になっている。アメリカ人が、アメリカでやる結婚式なら、なおさらのことだ。そんな思いの私に、アメリカから電話がかかってきた。

 新郎は、現在、国務副長官のアドバイザーをやっているD・Aというエリート官僚だ。彼は、日本にあるシンク・タンクの客員研究員として東京に住んでいたことがあり、彼と彼のガールフレンドと一緒に飲み歩いたこともある。しかもそのガールフレンドと結婚するのだというのだ。電話をもらって数日後に、はやばやと招待状が郵便されてきた。「ぜひとも、メイン・ゲストの1人としてスピーチを。東洋のコトワザを引用して話をしてくれると好都合だ。夫の両親も強くそれを望んでいる」と新婦の添え書きまでつけられていた。そこまで言われて、抜き差しならなくなってしまった。

 アメリカ人の結婚式というのは、日本とは異なり航空運賃やホテル代はすべて、出席者持ちだ。日本なら親がかりの挙式が多いから、遠方の人には、交通費か宿泊代のいずれかは、先方持ちが普通だ。今回は宿泊先のホテルがあらかじめ指定され、ディスカウントがついていた。贈り物については、あらかじめ何軒かのギフト・ショップが指定され、先方が希望する商品リストの中から、重複しないように出席者が選択する仕組みになっていた。合理的といおうか、ドライといおうか。アメリカの結婚式は、義理で出席する人は少ないのだから、そういう仕組みになっているんだろう。つまり、日本とは文化が違うのだ。


≪ ただ好みという人は養い難し ≫

 こういう結婚式のカルチャーの違いは、いささかとまどいを感じないわけではないが、困ったのは英語のスピーチだ。結婚式のスピーチには、あちらにも定型があるらしいが、何しろ私のそれは「日本人の英語」だ。ぎこちなく決まり文句を並べたてたところで、雰囲気が盛り上がるわけがない。しかも「できることなら、東洋のコトワザを引用して、挨拶を……」と難しい宿題つきなのだ。

 日本の結婚に関するコトワザは、穏やかで甘口である。「借老同穴」(夫婦は生きて共に老い、死しては同じ穴に葬られる)、「お前百まで、私九十九まで」とか、まともで、肯定的、かつ楽観的である。

 ついでに西洋の結婚観を米国の名句引用辞典で下調べしたら、実に冷めた目で、結婚を見つめたものが多い。「何故結婚するのかって? それは行動の自由が束縛される不安より、1人ぼっちの恐怖のほうが大きいからだ」「結婚で新郎新婦がゆっくりと歩くのは、結婚を思いとどまる時間を与えるためではないのか」etc。ドライで激しく、かつ分析的である。

 というわけで、ちょっとだけ辛口の東洋のコトワザはないものか、ネタ探しをしたらたったひとつ見つかった。論語の一部だ。「唯女子輿小人為難養也。近之則不遜、遠之則怨」(女子と下賎な人間は、ほんとに救い難い。あまり近づけるとなれなれしくなるし、遠ざけるとひがんで文句をいう)。この一節を使って、「夫婦間の距離」というテーマで、3日もかけて作成したスピーチを披露した。

 「David & Linda ご結婚おめでとう。新婦たっての要望により、東洋の名言をまじえて、祝福のあいさつをいたします。中国の哲人に孔子という人がいます。<女子と小人というものは本当に扱い難い。ちょっと気を許すとすぐなれなれしくするし、ちょっとつれなくすると、すぐぶつぶつ言うのだから>。この人は、論語という本の中で、こんな名言をはきました」

 男尊女卑だと文句をいわれるのではないかと懸念していたのだが、案の定、一同けげんな顔をしている。ここで、ひるんではいけない。

 「実は、この点については、わが家のカミさんから文句が出ました。女子を男子にそっくり、入れ替えれば、孔子のいうことは正しいと抗議されました。私はこの点については反論しません」。そういう意味のアドリブを入れたら、通じたと見えて一同爆笑。

 「孔子という人は大変な恐妻家だったそうです。奥さんが怖いから、強がりをいったのかも知れません。ところで、ギリシャの哲人ソクラテスも大変な恐妻家だったそうですね。東西の哲人がそろって恐妻家だったとは興味深いですね。私がここで強調したいのは、孔子のいう男と女の距離の問題なのです。これは、夫婦の関係においても、そのまま通用するのではないでしょうか。

 いかに夫婦でも、いつもべったりくっついていると、時には嫌になる。しかし離れすぎるとお互いの気持ちが通じなくなる。相互の距離が大事なのです。たまには孔子の言葉を思い出してください。結婚後、時の経過につれて、どのくらいの距離をとったらよいのか。ほどよい距離の発見につとめて、末永い幸せをつかむことを願っています」


≪ めん鶏に突つかれるアメリカの夫たち ≫

 カルチャーが異なるので、わかってもらえるか、若干の危倶はあったのだが、新郎のお母さんから、スピーチの草稿を息子の結婚アルバムに貼りたいとのお申し出があった。

 「後の方に座っていたので、お前の英語の半分ぐらいしか聞きとれなかったが、哲学的で面白いよ」といってくれた人もいた。新郎のお父さんは、「感謝のしるしだ」といって翌日、ゴルフに招待してくれた。

 式後、広大な邸の庭に楽隊が呼ばれ、舞踏会が催された。深夜まで続いた。敷地の広い邸宅街とはいえ、200人もの宴会の騒音が気にかかる。「大丈夫。ご近所の方はゲストとしてお呼びしてあるから」とのことだ。アメリカで、深夜におよぶパーティをやるなら、あらかじめ隣人を招いておくのが、苦情封じの秘訣と聞いた。パーティを観察しているうちに面白い現象を発見した。出席者の大部分は、夫婦だったが、歓談の夜が更けるにつれて、男同士、女同士のグループに自然に分かれていったのだ。たまには男は男、女は女同士で話がしたくなるものなのだ。西洋のカントリー・クラブの発祥は、ウルサイ女房から、一時避難するためだといわれるが、たしかにうなづける。良き夫婦の関係を長く維持したいなら、やはり孔子のいう距離の問題が大切なんだ。いつもべったりはよろしくない。そう思いつつ、男たちの会話に参加していたら「お前のHenpecked Husbandの話は、東洋だけでなく、世界の普遍的テーマだ」。隣席の初対面の大学教授がいった。「恐妻家」とは、英語ではHenpecked Husband、すなわち「めん鶏に突っつかれる夫」というのだ。19世紀の米国の思想家、ラルフ・エマーソンは、「女房の権力は国家より強し」といったと、その大学教授。この発言をきっかけに、一同、夫婦の適正な距離についてワイ、ワイ、ガヤ、ガヤ。「孔子のいうことは、おおむね適正」、めん鶏に突っつかれるアメリカの夫たちのおしゃべりは、はてしなく続く。

 シカゴ郊外、ミシガン湖畔の高級住宅地エバンストンの8月の深夜、もう秋の気配が濃厚だった。

 「結婚する前に目を大きく開いて相手を見よ。結婚後は半分目を閉じておけ」=ベンジャミン・フランクリン。「夫と妻のゆるぎなく、かつ永続する平和状態。それは疑いもなく別居である」=チェスターフィールド公爵。

 後日、西洋名言引用辞典で調べたところ、孔子のみならず、西洋にも夫婦の距離について諭じた人が結構いることがわかったのである。
 



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