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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ないものを分ける  
コラム名: 昼寝するお化け 第273回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2003/04/11  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   イラクの戦争の迫っている中で、私は京都で行われた世界水フォーラムで短いスピーチを行うことを命じられた。行きの列車の中で全国紙を読み、「水とエネルギー」問題の最終セッションでは「20億人が水に窮している現状を考えると、生活向上のためにダムは必要、という結論が出た」ことを知った。

 ブラジル代表は、「ブラジルの経済成長と生活水準の向上のためには、ダムが理想的な供給施設」と言い、国際水力発電協会が主催したパネルディスカッションでは「開発の受益者が誰かを論議せずに、すべてのダムの建設に反対するのはナンセンス」という肯定論が多かったが、参加したNGOからは「環境問題と関連付けて話し合われていないしという不満の声が上がった、という。

 こうした論争の困った点は、すぐあれかこれか、どちらかになる点である。ダムはいいか悪いか、どちらかなのだ。

 いいダムと悪いダムがある。

 経済的効率と、ダムの機能的効率と、双方を時期的に考えて個々に答えを出さねばならない。

 日本の今日の繁栄をもたらしたものは、疑うことなく水力発電がもたらした工業力、特に電力、である。

 たまたま私が出た水と貧困というセッションには、子供記者の少年少女がいて、私にインタビューをした。

 「アフリカの貧しい国の子供はどんな生活ですか」

 「あなたたちが持っている物を何も持っていないの。あなたたちは何を持っている?」

 彼らは一瞬思いつかないようだった。

 「鉛筆は?」

 「アフリカの子に鉛筆をあげたことがあるの。そうしたら先生は、なぜボールペンを下さらないのですか、と言われたわ。どうしてかって言ったら、鉛筆削りがないから鉛筆はもらっても削れませんて……」

 子供たちは、自分が持っているものを思いつけなかった。無理もない。あるものばかりだから、ある、持っている、という形で認識できないのである。それで私は誘導尋問をした。

 「あなたたちは、自分のお部屋あるでしょう?」

 「はい」

 「おふとんも机もテレビも電気も水道も夕ご飯もあるでしょ。そういうものがないの。ご飯はある日もあるけど、うちで焼いたパンにわずかなソースをつけて食べるだけだったり」

 子供たちは、やっと自分たちがかなり恵まれた暮らしをしていることを確認できたようである。

 ないない尽しの生活の中で、水道のないことが人間には一番こたえる。昔からなぜか水汲みは女の仕事だから、頭の上の瓶に20リットルくらいの量を入れて1キロから4キロくらいの距離を日に5回は運ぶという。南アフリカのドュ・トワ氏の発表によれば、アフリカで1人1日あたり使用する最低の水の量は25リットルから40リットルというが、私が中央アフリカやインドで見る生活では、1人が25リットルも使っているとはとうてい思われない。1人10リットルも使えればいい方だと思う。一方日本人の現在の水の使用量は1日に300リットルを超す、といわれる。

 自分が住んでいる家の中で、蛇口をひねれば清潔な水が出るなどということは、夢のような暮らしなのである。パンジャブから来た研究グループは、泥水としか思えない水をすくって飲んでいる子供のヴィデオを見せてくれた。

 私たちは俗に言うのである。

 「途上国では、優秀な子供だけが生き残っている」

 弱い子は、苛酷な暮らしの中でどんどん死んで行く。コレラ、下痢、肺炎、マラリア。とにかく抵抗力のない子は、成人できない。

 一方日本人は惰弱になっている。アフリカなら「淘汰」されているような弱い子供も、医療設備の充実のおかげで人工的に生かされるからである。

 さて、ダムについてだが、私は最近、日本財団に勤務されるようになった野満健氏から、非常に明快に教えられたことがある。それは「真水が塩を呼ぶ」という現象についてである。

 気温の高い地方にもし僅かでも降る雨や雨期に流れる川の水を使ってダムを建設すれば、そこに出来た人工湖の水は灌概にも使え、飲料水にもなる、と我々素人は考える。しかしこうした計画のもとに作られた人工の池や貯水池が数年後に塩湖化することはしばしばある、という。

 太陽熱が、人工の池や湖の表面から水蒸気を蒸発させる。それは吸引力となって湖の水を伝わり、周囲の地中の岩塩層の水を引っ張って来る。これが真水湖が塩水湖に変る理由らしい。ダムによって作られた湖がこのように塩水化して環境破壊のもととなる時もあるし、そうでない時もある。一律にダムはいけない、と言えない理由である。

 日本のように温暖であるか、熱帯雨林のように湿潤であれば、ダムによって出来た湖の表面から蒸発する水の量も少い。又日本のように雨量や川から流れ込む水量が常にかなり多ければ、その力が逆に地中方向に向い、岩塩層中の水分を引き出すことにならない。だから日本のような土地に作られるダムはいつまでも真水をたたえ直接環境破壊とも結びつきにくい。しかし乾燥地帯に貯水目的の池を作ると塩水化する期間が短くなる。死海がそのいい例である。

 恐らく各戸が大きな容器のような貯水槽を設けられればいいのだが、いつも問題になるのはそのような経済力はどこにもない、と言うことである。

 ダムが塩水化することを考えないのも浅慮だが、土地や水量も見ず、何が何でもダムは悪いものだという論理を押しつけようとする日本の市民運動も受け入れられない。直接飲める水が自分の家の水道から出るような生活をしている人間が、何を言うか、ということになるだろう。

 私がそこで述べたスピーチの要点はほんの3つである。

 水を不必要に使ってはいけない。それは水のない人への嘲りになる。

 水を盗んではいけない。それは人の命を盗むことになる。

 水は自分の手で、自分の力で口に運ぶ努力をしなければならない。誰かが飲ませてくれる水をあてにするのは病人のやることである。

 水フォーラムでは、存在し、時にはありあまる洪水のような水をよく管理し、上手に使うことの研究はたくさんあった。しかしもともと不足している水をどう分けるかについてのセッションは極めて少ない上日本人の出席者もまばらだった。水を分けるという行為は、非常に高度の人間の論理にもかかわる問題である。21世紀には、金持ちの資格はどれだけ水を使えるかで測るようになるだろう。
 



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