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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 20年ぶりのマニラ紀行(中) 「スラム街鉄道」を探訪する  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2003/04/08  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ≪ 「Home Along the Rail」 ≫

 そんなことがギネスブックに載っているわけがないが、もし収録されれば、世界一に輝くことだろう。「そんなこと」とは「どんなこと」かというと、スラムの形の話なのだ。およそ観光客とは無縁な話だが、マニラの首都圏はスラム街でも世界に名を馳せる大都会である。そのひとつに、おそらく世界でもっとも細長いスラムがあるのだ。全長約3キロメートルあるが幅はせいぜい30メートルという、うなぎの寝床よりももっと細くて、長い貧民窟だ。

 私が、この変てこな形状のスラムの存在に気づいたのは、マニラの旧市内から副都心のマカティ市に行く途中であった。車が鉄道線路をまたぐ高速道路のランプにさしかかった時、車窓に異様な光景が映った。眼下の鉄道線路をはさんで両側に堀立小屋が並び、列車が軒先すれすれに徐行運転している。上り、下り2本の軌道の間には、細長いテーブルやイスが置かれ、小屋の住民たちが自宅の庭代わりに利用している。それだけでなく、列車の走っていない軌道上には、トロッコもどきの乗り物が置かれ、人々が群がっているではないか。
 
 一瞬、目を疑った。線路脇にスラムがあるなら驚かないが、住民が線路を占拠しているなんて、およそ日本の常識では考えられぬ。「いったいあれは、何だったんだ」。気になる光景を確認すべく、マニラ在住で大統領府事務次官を夫にもつ穴田久美子さんに案内を頼んだのである。「いいところに目をつけました。あそこはTVの連続ホームドラマの舞台にもなっている場所で、〈Home Along the Rail〉(線路わきの我が家)というドラマの題名を知らないマニラ市民はまずいない。でも日本の旅行者であの場所に興味を示したのは、あなたが始めてです」。

 北海道出身でマニラの大学留学以前は、日本で新聞記者の経験をもつ彼女は、早速、のってきた。高速道路からはよく見える場所だが、車でアクセスするには確かに迷路だった。地図を開く。やっとたどりついた現場はマニラからルソン島南部へ延びるフィリピン国鉄南方線のまさに鉄路であった。国鉄の始発駅マニラ市タユマンから15キロ、マカティ市のパサイロード駅の手前だ。線路わきの高速道路下の空地に、ジプニーが何台も駐車している。ジプニーとは細い路地から大通りまで自由自在に走りまわる便利かつ安価な庶民用のミニ・バスのことだ。戦後、「アメリカ解放軍」(日本をフィリピンから追いやった米軍は、戦後そう呼ばれていた)払い下げのジープを改造したもので、いまでは年間2万台の新車が製造されているという。


≪ 国鉄軌道を走る変なトロッコ ≫

 トロッコもどきに見えた物体は、スラム住民の手製による正真正銘のトロッコだった。車輪は廃品回収で集めたトラックのベアリングだ。タタミ1畳分ほどの台車は板と竹製、これに、鋼鉄製の車軸にとりつけたベアリングをはめ込んで、トロッコが組立てられていた。改造ジプニーといい、手製トロッコといい、フィリピン人は手先が器用で、かつまた創意工夫のセンスが豊かだ。このトロッコ、実はジプニーの客の乗り継ぎ用に開発されたスラム住民の“民営鉄道”であった。鉄道線路を横切って、大通りに通じる何本かの自動車道が通っているが、その一部が軌道に沿って建設された高速道路によって塞がれてしまった。

 割りを食ったのはジプニーの乗客で、高速道路の反対側にある目抜き通りにつながる道まで、軌道上を1キロ以上も歩かされる破目に陥入った。これを毎日眺めていたのが鉄道脇の貧民窟の住民たち。アイデアが閃いた。列車運行の合間に国鉄の線路を寸借して、トロッコによる有料鉄道運送業をやったら儲かるのでは……と。「スラムの住民たちよ。おぬしやるのう」。現場までの道すがら“スラム鉄道”の由来を穴田さんから聞かされた私は、彼らの生活の知恵に感嘆させられたのである。

 客待ちのトロッコが3台ほど、軌道上にたむろしていた。乗務員? は2人のスラムの住民だった。「この先、1キロの地点にあるRail Road Crossing(踏切)まで、1人、4ペソで客が8人揃うまで待て」という。結局、往復100ペソで1台チャーターすることにした。ちなみに1ペソは2.2円。円に換算すれば220円のチャーター代だが、ジプニーの初乗りが5キロまで5ペソ(11円)というこの国の物価水準を考慮すると、我々一行(穴田女史、日本財団大河原智子さん、そして私)は、めったにお目にかかれない上客であったようだ。

 出発進行! 2人のカゴカキならぬ乗務員のおじさんはご機嫌顔の鼻歌まじりで、片足で枕木を蹴ってトロッコを漕ぎ始めた。フィリピン国鉄は左側通行だが、こちらは右側通行。時折やってくる本物の列車の姿を、進行方向にいち速くとらえ、トロッコもろとも軌道の外へ待避するためだ。人力トロッコは、人間が走るスピードで滑らかに進行する。時速8〜10キロメートルというところか。鉄道線路すれすれに軒をつらねる昼下がりのスラム小屋。人々の暮らしぶりが興味深い。

 洗濯する若い女性、プロパンガスポンベで炊事する老婆、奥で寝そべりながらTVを見る夫とおぼしき男、ホースで水を流し、たたきを清掃する主婦とおぼしき女性、女は働き、男はブラブラが東南アジアの風習だが、トロッコからお見受けするマニラのスラムの住人も、その例外ではない。服装も小ぎれいだし、案外家の中も清潔だ。犬、ネコ、ニワトリを飼っている家、あるいは大型のペットボトルを植木鉢代りに、花や観葉植物を楽しんでいる家もある。

 上下線の軌道の間には、5メートルほどの余裕がある。ここには雑貨屋の屋台店あり、チェス盤をいくつもおいたテーブルあり、青空簡易食堂あり、おまけに闘鶏場まで常設されていた。ここはスラムの住人たちの社交場といったところか。線路脇にある狭い空地では、子どもたちがバスケットボールで遊んでいた。カメラを向けると一斉に手を振る。大人たちもカメラをもった裏窓趣味の来訪者を警戒する気配は全くない。「写真を撮れ」と手まねでエールを送ってくれる人もいる。

 「変な外人がトロッコでやって来たと思っているのかな。逆にこちらが住人たちの見せものになっているみたいだね」

 「こんなところ、旅行代理店のガイドも、観光バスもやって来ないから、珍しいのよ。おそらく日本人は始めての客じゃないの」穴田さんはそう言った。


≪ 「ワァーッ」本物の列車が来るぞ! ≫

 と前方から「ファー、ファー」という警笛の音が、近づいてきた。本物の列車の到来だ。トロッコ漕ぎのオジサンは落ち着き払って車を停止させた。「降りて。通過するまで、反対側の線路で待っていろ」と我々に指示する。線路上に残されたトロッコの運命いかに??なんて思うのは素人の浅はかさ、2人で軽々と車体をかつぎあげ、線路脇に悠々と待避した。こういう場合に備え、軽量のポータブル・トロッコを製作するとは、スラムの住人、なかなかに憎いことをやるもんだ。

 私たちのやり過ごした列車は、ディーゼル機関車と客車3両の4両編成。「ファー、ファー、ファー、ファ」。警笛を鳴らしっぱなしで、軌道を占拠する住民に遠慮しているかのように最徐行する。時速は10キロというところか。どちらが大家でどちらが店子なのか。本末転倒とはこのことだ。よくよく見たら、客車はかつての日本国鉄の特急列車だ。中古品をJR東日本が寄付したとのことだ。でも、こんなにゆっくり、ゆっくりでは、いかに20年前の老朽車両とはいえ、特急の名折れではないか。同行の穴田さんに聞いてみた。

 「フィリピン人というのは、随分大らかだね。この人たち、強制移転させられないの」

 「何千人分のスラム住民用のアパートを政府が田舎に用意したんだけど、そんな遠いところに移ったら、廃品回収とか、屋台の店の経営とか、行商とか、あの人たちの正業が営めなくなるとかで、立ち退かないんです。それに線路の不法占拠は家賃がタダだから……」

 一度、フィリピン国鉄にインタビューをと思いたったのだが、私の滞在日数が短くて時間切れのまま帰国した。あの鉄路のスラム街の懲りない面々の命運やいかに。そう思っていたら、先日、穴田さんから新聞記事の切り抜きが送られてきた。

 The Daily Manila Shinbunの「フィリピン国鉄紀行」で、「国鉄の敵は3つある。天災とバスと軌道内を違法占拠する住民だ。民営化するなら、まず住民をどかさないと」。現場の最寄駅の駅長のボヤキの声が載っていた。そして記事の末尾には、「でもそのメドはまったく立ってない」と結ばれていた。

 これを読んだ私は、フィリピン国鉄にはお気の毒だが何故かほっとした気分になった。旅情とはげに不思議なものである。マニラ首都圏には、このスラムも含めて鉄路の不法占拠者が5万人もいるという。 
 



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