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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: トルコ発・「取り替えばや」物語  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2003/02/11  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ≪ 100万リラ札、今と昔 ≫

 「デフレにつける薬なし」で、“経済学が意味を失ってしまった国、それが日本だ。ところが、トルコの名物は超インフレだ。「インフレ・ターゲット」とか騒いでいるデフレ国日本に、トルコのインフレのお話が、効き目があるとは思わない。でも、この国のインフレがいかに凄いものか、耳を傾けるのもデフレに食傷する昨今の日本人の気分転換にはよろしいのではないか。そう思って、私の地球の旅日記から、トルコ人相手にやったインフレ・デフレ問答をここに再録したのである。

 ときは、2002年の6月、私はトルコの首都、アンカラに3日ほど滞在した。そこで「トルコのインフレと、日本のデフレについての見解を問う」との真剣かつ、タフな設問に遭遇したのだ。お相手は、アンカラで法律事務所をもつ、エンギン・ウラル氏。高名な弁護士であった。

 「トルコは凄いよ。年々30%から100%のインフレが20年も続いている。世界の大国の中で、そんな国はトルコ以外にない。」

 やおら彼は1枚の札を、財布から取り出した。額面は100万トルコ・リラであった。

 「いいかね。1982年、私はアンカラに家を購入した。それが、いま住んでいる自宅だがね。当時の値段はいくらだと思う。この札3枚分、つまり300万リラだった。もっともその頃は、100万リラなんていう高額の札はなかったけど……」。彼の家は、ドルに換算すれば、現在価値20万ドルはするという高級コンドミニアムなのだ。「20年前、私の家の3分の1の価値のあったこのお札。今では何が買えるか知ってるか。なんならこのお札、君に進呈してもいい。」

 印刷も素晴らしく、すかしもある、紙質も上等で、ニセ札防止用の薄い金属箔の帯まで入っている。はたしてもらっていいものか。一瞬ためらった。その結末は、このレポートの末尾のお楽しみということに……。

 「日本は、第2次大戦後、わずか数年でインフレを克服したと聞いている。それにひきかえ、わが国の財務省や中央銀行の連中ときたら、私はあきれ果てているんだ。20年もインフレが続いているんだからね。とくにこの10年間がひどい。インフレ率を計画的に引き下げると宣言しておきながら、結局は無策だった。インフレ率は逆に上昇してしまった。だから90年代をトルコでは“失なわれた10年”といってるんだ。なさけない話だろ」

 ちょっと待った。“経済無策の失われた10年間”、どこかで聞いたようなセリフではないか。

 「なさけないのはトルコだけじゃない。日本も1990年代を“失われた10年”といっているのだ。バブル経済崩壊後、銀行に100兆円も発生した不良債権対策を小出しにして、モタモタしているうちに、デフレの泥沼にはまり、脱出不能になってるんだ」

 「経済大国のはずの日本でもそうなのか。だいたい経済学というのは役に立つ学問なのかね。私は法律家だからよく知らんけど……」

 「日本では“経済学は死んだ”なんて、言う人もいる。デフレ対策には無力だという理由でね」

 「ホウ。それならインフレ対策には有効なのかね」

 「かも知れん。世界には、経済学を使ってインフレ退治に成功した例がいくつもあるからね」

 ウラル氏の案内でアンカラの街を散歩、インフレ体験をする。私の持参した英文の旅行案内書のトルコ編には、「トルコのインフレ率は、2000年現在100%。政府はこれを年、25%に下げると公約しているがはたしてどうか。どちらにせよ、リラの価値はインフレで、日々下がっているので、リラの為替レートは、この記事が本になって出版される頃には大きく変わっている。だから書かないことにする」とあった。

 「旅行者へのおすすめ。トルコリラの対外価値は日々、下落中につき、一度に外貨を交換せずに、数日に一度、必要に応じて行え」とあった。


≪ 「ザム」月1回の総値上げ ≫

 この国は、ホテルはもちろん、レストランや商店でも、おおむねドルが通用する。というわけで、ウラル氏と会見した時点で、旅行者である私は現地通貨は1リラももっていなかったのだ。

 両替所に出かける。リラの両替に行ったのではなく、両替の風景を見物するためであった。私にとって、リラの部厚い札束をもらったところでゼロが多過ぎて煩雑だし、ポケットにもおさまらない。ところで、この日の為替レートは円換算、いくらだったのか? その数字は、この読物の末尾で報告しよう。

 トルコの両替店で、「オヤッ」と思ったのは、外国人観光客とおぼしき人は見当たらず、地元の人間で混み合っていたことだった。日本の両替店で、円をドルに替える人も、ドルを円に替える人も海外旅行者だが、この国の両替商は旅行と無関係の自国民相手で商売が成り立つのだ。

 10年ももてば紙クズ同然になりかねないトルコ・リラを、タンスに入れておく人はいない。「銀行に預ければ、利息が高いので予想インフレ率の7、8割はカバーされる」とウラル氏はいう。だがそれにしても、大幅に減価することは間違いない。そこで、現金が入ったらすぐ、米ドルや、ユーロに換えてしまう人が多い。この国の祖先たちが遊牧民であったころ、目減りせず、どの世界でも通用する金のアクセサリーを財産としてもっていた。「時代が変わっても、民族の血は争えないものだ」両替店の店頭で、そう思ったのである。

 「トルコでは、毎月に1回は、一斉値上げがある」と持参の旅行案内書にある。そのことをウラル氏に聞いたら、インフレによる調整値上げのことをトルコ語で「ザム」というのだそうだ。たとえば、ガソリンの値上げが発表になると、バスも新聞も、電気代も、食料品も数日のうちに、後追い値上げが実施される。「ザムが来るぞ」という情報が流れると、店主は値上げ後の新料金で売るべく、商品在庫を隠してしまう。店頭に残っている商品を買い溜めすべく長い列ができる。店の商品棚はたちまち空っぽになるとのことだ。

 「商品の買い溜めは、今はそれほどひどくはないけどね。もちろんインフレに追随して、給料も引き上げられる。でも、インフレの一周遅れのランナーが月給だから、一般的にいうとトルコ人の経済生活は、インフレ故に苦しくなっている」。これは、ウラル氏の診断だ。トルコ人サラリーマンの平均的月収は、500ドル相当と、ウラル氏はいう。


≪ ノーベル経済学賞並みの名案?? ≫

 スーパーで調べた物価は、やたらに零が多くて実感がわかない。でもドルに換算するとパンが大きなひと塊で、0.4ドル、キュウリのピクルスが、1キロで、2ドル。羊の肉が、1キロで3ドル、新聞が80セントといったところ。トルコ人旅行客も泊まるアンカラの中級ホテルが、25ドルから50ドルくらい。トルコの交通手段で最も発達しているのは長距離バスで、10ドルも払えば、一昼夜のバス旅行ができる。だから外国人にとっては、トルコ旅行は安くつく。

 英文の旅行案内書にも「トルコは、旅行者にとって物価が、ヨーロッパで一番安い国」と書いてある。だがこれは、通貨の価値が高く、しかも安定しているドル、ユーロ、そして円で所得を得ている外人にのみあてはまる。

 平均月収500ドルの地元の人々にとっては、トルコは物価の安い国との実感はないだろう。

 ウラル氏と私はトルコ経済の特徴は何かについて語り合った。それは第1に強い農業基盤をもっていることだ。小麦、綿、砂糖、タバコ、果物、野菜、羊毛etc。世界で5指に入る農産物輸出国だ。第2に工業国でもある。自前で自動車、薬品、飛行機産業をもっている。そこそこに輸出もしている。しかし、これらの大企業は、国有で、効率は悪い。第3にそれがこの国のインフレと、貧富の差拡大の元凶である??ことで、2人は合意した。

 「トルコのインフレの原因はね、輸入代替工業の育成によって生まれた国有企業のデタラメ経営に問題がある。これをカバーするために生まれた巨額の財政赤字と国債の大量発行……。悪循環を断ち切るにはディス・インフレーション政策が必要だね」と私は言った。

 すかさず、彼が言った。「日本はその逆に、リフレーション政策が必要なんだろ。オイ。インフレにするのが得意のトルコのエコノミストと、日本を長いデフレに追い込んだ日本のエコノミストを相互に総入替えしたらどうだ。ノーベル経済学賞に値する名案とは思わんかね」。

 このトルコ発「エコノミストの取り替えばや物語」。もちろん酒の上のブラック・ユーモアである。2人はアルコール分40度のラク(水割にすると白くなるのでライオンのミルクともいう)で、何度も乾杯した。ところで、この日のUS・ドルとトルコ・リラの交換レートは、1ドル=150万リラ。記念にもらった円換算70円相当の100万リラのピン札を手にとり、なつかしく眺めつつ、筆を置く。
 



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