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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: あでやかな屍衣  
コラム名: 昼寝するお化け 第268回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2003/01/31  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   戦後の日本のマスコミは、功績もあったのだろうが、伝えるべき真実を歪めることにも大きく寄与してきた。主な、そして執拗な潮流は、朝日新聞や岩波書店、或いは旧社会党に代表される、中国や北朝鮮の社会主義政権に対する長年の盲目的な支持であった。

 ベルリンの壁が落ちた時、私は自分が生きているうちにこのような劇的な変化が見られるとは思わなかったので、恥ずかしいと思いながらちょっと涙を流した。その直後にベルリンに行った時、あの壁の一部を拾って来た。そしてそれ以来、壁の破片を小さな器に入れ、書斎の一隅にある祭壇に飾っている。人間が大きく間違え、どのような残酷なこともできる、という可能性の証として自戒の思いで置いているのである。

 北朝鮮に拉致された被害者の帰国も最近にない厳正な事実の証明であった。拉致された人は純粋に国家的犯罪の被害者だが、北朝鮮がこの世の楽園であるかのような幻想を、主にマスコミの記事によって抱かせられ、実は地獄のような暮らしに飛び込んでしまった人もたくさんいたのである。

 およそ半世紀、マスコミの世界に身をおいた私の見る限り、マスコミは正義の味方どころか、読者の顔色をうかがい、権力に抵抗するふりをしながら、実は時流に乗った思想に簡単に飲み込まれる弱い存在であった。日本のワルクチを言いながら、実は日本の繁栄で儲けていたのである。ほんとうに時の官民双方の権力に抵抗して真相か真理に迫ろうとした編集部は、ほんの1つか2つしか記憶にない。世論に抵抗する勇気を示した編集者も、50年間に2人か3人である。

 次第に私は、書かれたものより写真を信じるようになった。船がひっくり返ったり、飛行機が落ちた現場を捏造することは一応不可能だからである。もちろん一番悲惨な部分を誇張して撮ることも多くてそれが世間の顰蹙をかうこともあったが、事実の大きさを判断するのは、多くの場合、写真なら見た人の自由な裁量に任されているところもいい。

 もっとも私は、肖像写真については、日本財団所属のIカメラマンのことを常に褒めていた。

 「すばらしいでしょう。Iさんが撮ってくれた私の写真、実に似て非なる美人に撮れています。Iさんは写真家じゃなくて、写虚家です。今どき写真なんか誰にだって撮れるの。どんなカメラだってシャッター押せば写るんですからね。カメラマンとしてプロと言われるには、写虚家でなければいけません」

 最近、報道写真の使命はますます大きい。それなのに、日本のマスコミの報道写真はいよいよ弱体化しつつある。それは、残酷な写真は載せない、という生ぬるい「申し合わせ」があるかららしい。ことに新聞社に属するカメラマンは、現実に切り込んだ凄まじい写真を撮ってもそれが紙面に載らないのだから、気力を失うのも当然だろう。日本の新聞社はもう金のかかる写真部を廃止して、気力に溢れた外国の通信社からいい写真を買った方が効率に合うと思,う。

 それほど日本以外の外国の新聞社・通信社から提供される写真は、どれも衝撃に満ちている。そして無言のうちに多くのことを考えさせる。

 たまたま昨年12月28日付のシンガポールの「ザ・ストレイツ・タイムズ」紙は、「2002年、世界の悲劇」という写真の特集を組んでいる。私は日本の新聞を隅々まで誠実に読んで、正確に記憶できるたちではないから、中には日本の新聞に出たのもあるのかもしれないが、その多くは見たこともないものであった。

 アメリカのワシントンでは、狙撃の名手とでもいいたい犯人による連続殺人があって、犯人のジョン・ムハンマドと、その養子のリー・マルボが検挙されるまでは、人々は外出を控えたほどの衝撃的な事件であった。中の1人の被害者、サラ・ラモスの死の姿は、APのカメラマンによって実に印象深く撮影された。

 サラは毎日、彼女が撃たれた郵便局に立ち寄る習慣だった、と短い記事には書いてある。外国にはよく、郵便局の外壁にたくさんの私書函が並んでいることがある。サラも毎日郵便局で自分宛ての郵便が来ていないか、たしかめる習慣があったのだろうか。

 外の歩道には、青灰色に塗ったベンチがおいてあり、歩道と車道の間にはきれいに手入れされた花壇があった。植えられていたのは、白、赤、ピンクのゼラニュームである。

 サラはベンチで一休みしたらしい。いつも通りの穏やかな日だったのだろう。サラは、恐らく平凡な庶民で、人から恨みを買うような政治や経済のどんな活動とも無関係だったと思われる。だから誰かがわざわざ自分を狙って撃つかもしれないなどとは、思ってもみなかっただろう。

 しかし彼女は一瞬のうちに殺された。白布をかけられた遺体は、まだベンチに坐ったままで、少し下方にずっこけているだけである。気候がいい日らしくサンダルばきの素足が白布から突き出している。

 しかし偶然は、信じられないほどの残酷な華やかさを添えた。かけられた白布の裾にべっとりと血が滲んでいる。その色が手前のゼラニュームの花の赤とピンクの、まさにその色なのである。

 陰惨というより、花が死者の屍衣の裾を飾ったという感じだ。サラは何歳の女性なのか。若い人というより、私にはむしろ老女のようにも思われる。オペラの舞台面のような死の姿である。

 もう1枚の写真は、1人の人形のような男の子がまん丸な眼を見開き、赤い鉢巻きを締めて立っている肖像写真である。年齢は明記されていないが「トッドラー」と書いてあるところを見ると、よちよち歩きの年頃の子供のことである。彼が着ている服が宇宙服のようにぎこちなく見えるのは、不自然なベルトが、肩にも腰にもつけられているからだ。

 肩のベルトには機関砲の弾帯、腰のベルトには赤い紐で連結されたダイナマイトが装着されている。これがイスラエル側を怒らせた子供を巻き添えにしたパレスチナ側の自爆テロのやり方だという。子供にこのような爆発物をつけさせているとは誰も思わないから、イスラエル側の警備の眼を逃れられると思ったのだろう。しかしこうして子供を平気で犠牲にして闘いを実行するのである。

 もう1枚は、6月22日、自分が政界から引退することを公表した時のマハティール・マレーシア首相の泣き顔である。誰しも引退を決意する時には、万感胸に迫るものはあろう。しかし政治家ともあろうものは、いかなる場合にも、私情に揺り動かされて公衆の面前に出るべきではない。人前で泣いたマハティールは、まさにもう引退の時期に来ていたのである。
 



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