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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: バヌアツ・名も知らぬ遠き島(下)  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2003/01/28  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
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天国に2番目に近い国?
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≪ 珍味・ヤシガニを食べる ≫

 バヌアツの珍味はヤシガニである。南太平洋の島でもほとんど絶滅に近いと聞いていたのでよもやお目にかかることはあるまいと思っていた。5分も歩けば、ひなびた村に通り抜けてしまうような小さなこの国の首都ポートビラの商店街。そこに3軒もある中華料理店の1つに入ったところ、思いがけずヤシガニとご対面したのだ。

 この島の案内人をお願いしたKeiko Shanさんに連れていかれた店である。彼女の名前は、漢字で「單恵子」。ご主人が中国人で恵子さんは横浜生れ、この国に日本国籍をもって17年間住んでいる。バヌアツは戦後、中国大陸から商業目的の移民が結構多いとのことだった。それが、小さな島に中華レストランがいくつもある理由だが、この店は10年前、広東から移民してきたシャン家の知り合いの中国人夫妻が経営している。

 シャンさん夫妻を私たち日本財団の一行がお招きした宴だった。「たまたま珍しい客人が来たからでしょう」と、この店の主人が、ドンゴロス(南洋名産の麻袋)を開いて、食材を見せてくれた。大きなヤシガニが2匹、2つに割ったココナッツの実をハサミでしっかりと抱いているではないか。

 体長は胴体だけで、25〜30センチ、足の長さは30センチ以上はある。陸上に住むカニとしては地球上で一番大きいカニとのことだ。ほどなく食卓に、大皿に載せられたヤシガニのぶつ切りの妙めものが登場した。聞きしに勝る珍味である。カニミソが小さなご飯茶碗1杯分もある。あんこうの肝をヤシ油であえたようなワイルドな味がする。肉は、毛ガニやタラバガニより、気のせいか青臭いが、噛むほどに甘くて香ばしい。甘いはずだ、この陸のカニの王者の常食は、ココナッツミルクと、やしの実の果肉なのだ。

 ヤシガニはどうやって、あの固い椰子の実を食べているのか。食卓の話題であった。甲論乙駁、結論が出ない。こういうときは、いつも持参している例の英文の旅行案内シリーズ、「Lonely Planet」が役に立つ。この本にいわく、ヤシガニの成長は遅い。少なくとも成熟する迄に15年、寿命は50年とある。ヤシガニは海岸から1キロ以内のヤシの林に住んでいる。バヌアツは、ココナッツの輸出国であり、密度の濃いヤシの原生林が海岸に展開している。カニは夜間、ヤシの木に登って、ココナッツを食べる。ネズミのかじった穴から、汁をすすり、果実を食べる。だが、都合よくネズミがいつも穴をあけてくれるわけではない。そういうときは、固いヤシの実のへたの部分をハサミで切り、地面に落ちた衝撃で割れ目ができた実をゆっくりとたいらげる。夜間、バヌアツの人々は松明をつけてカニを探す。割れたヤシの実の食ベカスから足がつくので見つけるのはそれほど難しくないという。ただし、ヤシガニのハサミは強力で、気をつけないと人間の指1本くらい簡単にちょん切られてしまうとのことだ。


≪ 島の生活、その「幻想」と「現実」 ≫

 「天国にいちばん近い島」という小説がある。1965年、森村桂さんが隣の島の仏領ニューカレドニアを題材に書いた小説だ。

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 「ずっとずっと南の地球の先っぽに天国にいちばん近い島がある。その島の土人たちが黒いのは、誰よりもお日さまをいっぱいもらっているからなんだよ。その島の土人たちは、神さまと好きなだけ逢えるから、みんな幸せなんだ」。小さいときお父さんがそう話してくれた。「その島はどこにあるのだろう」。今は亡きお父さんは、生前その島の名前を教えてくれなかった。大人になってから、ニューカレドニアの話を偶然耳にした。「その島は気候が常に暖かく、1年中花が咲き、マンゴーやパパイアがたわわに実り、原住民の土人は2日働けば、あと5日は遊んで暮らしている。伝染病もなければ、泥棒もいないところだ」という。「ここだ」と私は思った。
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 そんな書き出しで始まる小説だ。「私の次の目的地は、天国にいちばん近いニューカレドニアだ」。バヌアツの恵子さんにそう伝えた。「南太平洋の島の村落の人々と、その生活は、この小説と大同小異であり、バヌアツだって同じよ。ただし、伽話風に美化して書けばね」とはいう。「バヌアツは天国に2番目に近い島か?」と聞いたら、「あそこが1番なら、ここも1番よ」とダメ押しされた。ヤシガニを囲んだ食卓の話題である。

 では、私にとっては名も知らぬ遠き島であったバヌアツは、「本当に天国に近い」のか?もしバヌアツが天国に近くないとすれば、隣のニューカレドニアだって、同じように天国に近くない筈である。試みに、バヌアツの恵子さんにそう問うてみた。彼女は、この小説を何度も読んだことがあるという。

 「それは乙女の感傷よ。実際に住んでみれば地獄でもないけど、天国ではない。例えばね、伝染病がなかったという話。それは18世紀以前の話よ。ヨーロッパ人が南太平洋にはなかったばい菌を運んできた。例えばコレラ、ハシカ、天然痘、インフルエンザとか。20世紀に入るとイギリスやフランスの囚人が大勢、この島に流され、たくさんの原住民が病気をうつされ死んだ。昔はココナッツ、イモ、小魚を食べていた。それが米や羊の脂肉や砂糖をふんだんに食べるようになり、糖尿病や高血圧になり、寿命は45歳」だという。彼女はさらにこう付け加えた。

 「独立してからこの国の政治の質は落ちた。英仏の植民地時代は汚職はなかった。だから隣の島ニューカレドニアの原住民の中にも、独立がはたして幸せをもたらすのか、疑問視する人もいる」。

??森村さんの小説には、住民は2日働き、あとの5日は遊んで暮らすとあるけど…

 「それは昔からある男の世界の話よ。いまでも南太平洋の島の男は、女を働かせてぶらぶらしている。カバのジュースを飲んで、幻覚にひたったりしている。女にとって決して天国ではない」。

 だとすると、南の島々のどこが天国に近いのか。「それは、町や、大通りの向こうのジャングルの中にある」。恵子さんはそう言った。私たちは、それを村落に残る伝統的な心の文化の中に見出したのだ。


≪ 神々は、ジャングルにいた! ≫

 私たち一行は、ジャングルの中の村落に出かけた。古代の太平洋の島々の先住民が、共通の文化をもっていたことを証明する「ラピタ土器」の発掘現場のひとつが、ここにあると聞いたからだ。舗装道路から分岐する脇道はそれぞれの村に通ずる専用の通路だ。ここに入るには、チーフ(酋長)の許しを得なくてはならない。タオルとか缶詰などの土産をもっていくのが礼儀だ。

 南の島の村落にはまだ「近代」が忍び込んでいない。まだ身近に神々がいるアニミズムの世界なのだ。村の人々の「この世」と「あの世」観は興味深い。宇宙は先祖の霊と悪魔で満ちている。亡くなってから日が浅い先祖の霊を「お化け」といい、悪魔に案内されて、この世とあの世の間を未練がましく徘徊し、人間に意地悪をする。この呪いを避けるために、村には祈祷師がいる。霊を癒し、悪魔を追い払う。この島の人々は、呪いや崇りを極度に恐れている。それを避けるために、異なる名前を2つも3つも持って悪魔の目をくらまそうと試みるとか。

 深いジャングルの細い薄暗い道を30分ほど歩くと視界が開け海岸に出た。そこが、彼らの村落の「nakamaru」(集会所)であった。「村に入って握手をしない男がいる。それが祈祷師だ」と聞いていたが、ついぞわからなかった。だが、チーフとは、この母国の共通語であるブーロークン英語(ビスラマ語)で親しく話をした。

 チーフの役割は、村の平和と正義のために行動する。とくに、村人を代表して、先祖のものである土地を外の脅威から守り通す義務を負っている。彼の言は法そのものだ。世襲もしくは、尊敬されている男が選挙で選ばれる。この村のチーフが、みずからの役割をそう説明してくれた。遠来の客人歓迎の大演説のあと、私にも日本を代表して何か話せとのお達しがあった。とっさに私はこう言った。

 「日本財団の考古学チームと日本の祖先の霊を代表して一言あいさつします。この島にきて日本の神道と、皆さんの精神文化と共通していることを発見しました。それはわれわれは、数多くの神々と“いちばん近いところ”に住んでいるということです。私たちは、日本のチーフたちの子孫です。子孫の1人として申しあげます。ラピタ土器文化と日本文化との共通性が、考古学の研究によって証明されたら、こんな愉快なことはありません」と。

 「Very good Thank you, JAPAN CHIEF」酋長はそう叫んだ。この島の神々は日本の八百万の神々の親戚ではないのか??。そんな気にさせられる、この村の酋長の、長い長い、固い固い、握手であった。
 



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