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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 金正日の手相  
コラム名: 昼寝するお化け 第266回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2002/12/20  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   最近のワイドショウの話題は、すべて、北朝鮮に拉致されてこのほど日本に帰った人たちの話ばかりだというから、私までこの連載でその流行に乗ることはないのかも知れないが、まあ気楽に読んで頂きたい。

 誰にも自慢話というのはあるもので、私もその例に洩れないのだが、私の余技は4つほどある、ことになっている。鍼灸あんま、包丁とぎ、ソザツなおかずを手早く心をこめずに作ること。ここまでは少しまともなのだが、最後の1つはとりわけいかがわしい。手相見なのである。

 手相の学校に行ったわけでもない。本は少し読んだが、しんけんに覚えようとしたわけでもない。強いて教えてくれた人を探せば、それは夫なのだが、彼もまともに勉強したことはないのである。

 ただ手相を見ることは或る状況の元では、大変にその場を和ませる。人の噂話でも悪口でもなく、金や利権にも関係しない。第一「当るも八卦、当らぬも八卦」なのだから、いささかも責任がなくていいのである。見料をもらう人なら、当らなければサギと言われそうだが、私たちはわかると思うことだけを、言えばいいのだから、気楽なものである。

 意外と当るのは、生い立ちと性格である。だから手相を見せてもらうのは、初対面の挨拶をして間もなくがいい。長く喋った後だと、話しながら探りを入れていたように思われるので困るのである。私は女だからその楽しみがないのだが、男性なら手相を見る時だけ、ちょっと公然と衆人環視の中で女性の手に触れられる楽しみもあるだろう。そしてもし当れば……彼は彼女の過去から現在の理解者として、心理的にぐっとお近づきになれる、という余得もあるかも知れない。

 夫はすべて人知が察知しえない筈のものに、行動(旅行の方角、家移りの時期など)を規制されることを厳重に家族に禁じていたから、私の手相見も常に遊びで、強いて一番適した使い時は、クラブでホステスさんと喋る時であった。「手相見てあげましょうか」というと、たいていのホステスさんが寄って来る。そして彼女たちは一瞬、お客にサービスしなければならないという義務を忘れ、むしろ私の方が彼女たちにサービスする側に廻る、というのも楽しいものであった。

 しかしこの手相見の習慣が、思わぬ役に立ったことはある。

 私が働いている日本財団は、イランに流入したクルド難民に、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を通じて1億円ほどの医療費を出していたことがあった。その事情をテヘランに調査しに行った時のことである。私はUNHCRの代表のフランス人とテヘランの厚生省のような役所に行き、そこで局長クラスだったと思われるお役人に会うことになった。

 事前に私はフランス人に言われた。

 「イスラムの習慣で、彼はあなたと握手をしないし、顔も見ないかと思いますが、気にしないで下さい」

 もともと私は握手という習慣が好きではないから、けっこうな話であった。そして私の方もヒージャブという長着を着てスカーフをつけ、すっかりペルシャ風の服装になっていたのである。

 局長は背広ではなくターバンをつけた民族服で私の左側に坐った。相手が異性の顔を見ないというのに、私だけが「みだらに」じろじろ男を眺めるわけにもいかない。その結果私はその表敬訪問の間、ずっと局長の手、主に左手の掌だけに視線を向けることになった。

 私の生かじり、インチキ手相見のルールによれば、それは今までに見た最も現実的な手であった。夢想的なところは全くない。現世の出世、金、権力闘争のためにはまっしぐら、という驚くべきものであった。

 会見が終ってから、その人が僧職にある人だと聞かされた時、私はもうダメだ、と思った。それほどの見たて違いをするようでは、インチキ手相見が遊びにもならなくなる。ところがあまり予備知識のないイランという国を旅しつづけているうちに、私はイランにはいわゆる檀家のようなものがなく、僧職は常に自分の力で信者を獲得しなければならない、という話を聞かされたのである。

 仏教のお坊さまで祇園に入りびたり、茶道具を買い漁っている人もいる。アメリカの力トリックの聖職者たちは、同性愛スキャンダルにさらされた。世の中は、何でもあり、なのである。

 その後、私は仕事の上で何人かのアフリカの大統領に会ったが、彼らは日本人にあまり多くない手相上の特徴を持っているように見えた。彼らは熟慮型ではなく、ほとんどが、反射的に行動を取る人という印を持っていた。つまりハムレットの「トウ・ビー・オア・ナット・トゥ・ビー」ではなく、テストパイロットの適性のような、考えるより前に行動できる、という才能を持っている、と手相には出ていたのである。

 さて、今日ここで書こうとしたのは、最近、金正日の手相を見ることができたことである。見ると言っても、実際に会ったわけではない。11月4日号の「TIME」誌に、バルコニーから両手を振っている金正日の写真が載った。撮影者はカトウ・トモヒサという方だが、これだけ手相がよく見える写真はあまり流布していないだろう。

 「当らぬも八卦」のインチキ手相見の範囲で言えば、この人の右手の生命線はもう切れかかっている。知能線はむしろ短い方で、際立った現実主義でもなく、夢想家とも言えない。そしていささかの人気はあるが、国家の運命や世の中の潮流を変える能力があるという印は欠如している、ように見える。つまり思いのほか弱い人格、凡庸な運勢なのである。

 仕事の上だけで私らしくないような晴れがましい席に坐らされた時、私はまず、その部屋の調度を眺めて楽しんだ。それから権力の座に上って来る人たちの手相をひそかに読んだ、つもりになっていた。つまり手相は私がその場の空気にのめり込まないように、小さな錨の役目を果してくれた。過去や未来を読んで上げる、と言いながら、実は人間には、(いや私には)他人の過去を知る透視能力も未来を見る予知能力もない、という自覚が、そういう時にはいっそう強くなるのであった。それで普通は、私は公人の公的な行動、その人が自分で書いたもの以外、一切ふれないことにしている。

 もう一度言うが、手相は「当るも八卦、当らぬも八卦」なのである。あまたの北朝鮮関係のワイドショウ的雑音の中で、この文章が最も根據のないインチキ性の強いものであることをお詫びする。
 



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