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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 家族の墓  
コラム名: 昼寝するお化け 第264回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2002/11/22  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先日、すばらしい音楽を聞きながら、私はずっと昔から、常に音楽を死の床に在って聴くものと思っていた、と改めて感じた。

 よく、孤島に流されるとして、1冊だけ本を持って行くことを許されたら何を持って行くか、とか、自分の葬式の時に何の音楽をかけて欲しいかとか、考えているのと少し違う。音楽を聴くということが、自動的に死の想念と結びついているのである。

 年を取ってから、死を考えるようになったのですか、と言われることがあるが、そうでもない。私はまだ子供の時から、ずっと死を感じていたのである。

 もっともその姿勢は、時期によってかなり違う。戦争中、ほんとうにアメリカの空爆にさらされていた時には、死の恐怖はあったが、死について考えてはいなかったような気がする。恐怖と考えることとは違う。

 それ以外の時には、私はずっと死ばかり考えていた。死について考えない日は今でも1日としてない。これくらいむだな行為はない、と思いつつ、それでも私の癖は抜けない。

 私たち夫婦は墓について、自分たちのささやかな好みを通させてもらった。私の実母が83歳で亡くなったのをきっかけに、海の見える墓地を買い、そこにまず私の母が入ったのである。私の実母だから、結婚して苗字の変わった私とは、当然姓も違う。それでも私の母は母だから、私はまず入れてもらうことにしたのである。カトリックなので、洗礼名はあるが戒名はない。

 その次に夫の母が89歳で、昼寝から目覚めることなく息を引き取った。死因は脱水だと言われた。次に夫の父が87歳で直腸癌の手術を受け、その後5年間生きて92歳で亡くなった。義父の死因は老衰と書かれていた。

 私たち夫婦は3人の老世代といっしょに暮らし、3人共自宅で息を引き取った。義父と義母は無神論者だったが、私にも優しい人たちで、私はお葬式から埋葬まで、すべて夫の計画通りに動いた。無神論のお葬式はどうしていいかわからなかったからでもある。

 次に夫の姉の夫、つまり私にとっては義兄だった人が亡くなった。もちろん夫の姉夫婦となると、私たちは何も言うべき筋合いにはない。義姉と義兄は再婚同士で、2人の間には子供はなかったが、義兄には先妻との間に子供さんたちがいた。

 義姉は、死後、自分も父母の眠る私たちのお墓に入りたい、と言った。義兄と義姉は仲のいい夫婦だったが、昔風のしきたりを守れば、死後、義姉1人が他家の墓に入ることになる。そのことを義姉は遠慮したのかもしれないが、私はその気持ちについて尋ねもしなければ、深く語り合ったこともない。

 義兄が亡くなった時、義姉は当然お骨を、その子供たちが望むように埋葬したが、ほんの少し分骨して、自分も入るお墓に入れたい、と言った。私は「どうぞ、どうぞ」という感じだった。すばらしい学者でもあったが、人間的にも魅力のある義兄で、私はいい思い出ばかりだった。こちらから勧めることではいささかもないけれど、義姉が望むことなら、何でもいい。それで義姉も寂しくなく、夫婦がまたいっしょになれる、ということなのだろう。

 そのようにして、我が家のお墓には3つの違った姓の人たちが既にいっしょに入っている。私たちはカトリックだから、姓の違う人は入れない、とする理由がない。墓地もそういう点で宗教上の自由が許される場所を初めから選んだのだし、墓石は××家の墓という文字もない。ただ、「神に感謝します」という意味の言葉だけが彫ってある。

 拉致されて死亡し、あとにキム・ヘギョンさんという15歳の娘さんを残したと北朝鮮側が発表している横田めぐみさんには、墓がないという。めぐみさんの朝鮮人の会社員の夫も、娘のヘギョンさんも、めぐみさんの墓のありかを知らないらしい。それでめぐみさんの両親は、まだ娘の死を信じていない。お骨も墓もなければ、日本人にとっては、その人はまだどこかで生きていることになるのだ。

 墓があるということは、日本人にとってもごく普通の成り行きである。ほんとうは地球上が墓でいっぱいにならないように、海にお骨を捨てた方がいいのかもしれないけれど、海に捨てるのもまた現在の状況では別の物心両面の「手数」がかかりそうである。小さなお墓を作ってごく普通に埋葬すれば何より抵抗がなくて済む。

 うちのお墓はそのような理由で賑やかなわけだけれど、お骨壷6人分で棚が一杯になった後はどうするのですか? と私はお墓を作った時に霊園の人に尋ねた。すると7人目が亡くなった時、一番最初に亡くなった方のお骨から下の土に返すのです、と教えてくれた。そういえば墓石の下は土のままになっている。

 私はほんとうに安らかな気がした。お墓があろうがなかろうが、つまりは誰もが土に還って、平安を手にするのである。「子々孫々」という観念は言葉としてはあるが、どんな家もいつかは死に絶えるものなのだ。その時に備えて、少しずつ名も存在も忘れ去られて、大地の一部になる。そんな凡庸な幸せを許してもらっていいのだろうか、という気さえする。

 お墓だけではない。私たちはごく普通に得ている自分の幸福に気づいていない。

 私の働いている財団は、時々東南アジアの国の義足製造の技術向上のために、日本から先生を送ったり、現地で技術者養成のための講習会を開いたりする予算を出している。その時にいつも思うのは、この国の義足の技術はどの程度なのだろうか、ということだ。

 私はさまざまな国で、いろいろな義足を目撃した。一番素朴なものは、竹を数本合わせ、その先を茶筅のように割いて、そこに小さな蒲団をあてがい、その中に膝の関節部分を挟み込む、というものである。

 私は松葉杖の経験はあるが、義足はつけたことがない。しかし、恐らくどんなに精巧なものを作っても、ほんものの足ではない以上、やはり不自由なもので、すぐに接触部分の皮膚がすれて、痛む人もいるのではないかと思う。それでも日本人ならまたすぐ作り替え、だめなら特殊な電動スクーターを買って町を乗り回すこともできる。

 足が痛くなく歩けたらいい、という希望ほど、もっともなものはない。それは、家族でいっしょに入れる墓がいい、という程度の平凡な望みである。日本では多くの人が、ごく普通に許されて手に入れているささやかな幸福を改めて認識する時、私たちは、北朝鮮に拉致された人やその家族の心の痛みをほんとうにわかるのだろう。
 



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