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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 「時」はどこでも同じようには流れない  
コラム名: 私の中の異国 第6回  
出版物名: Forbes  
出版社名: (株)ぎょうせい  
発行日: 2002/12  
※この記事は、著者と(株)ぎょうせいの許諾を得て転載したものです。
(株)ぎょうせいに無断で複製、翻案、送信、頒布するなど(株)ぎょうせいの著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
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地球上には「常に予測しつつ生きる」人々ばかりがいるわけではない。筆者は途上国を旅する中で、「時」の観念のまったく異なる人々に出会う。そこでは、時は止まっているのである。
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≪ 7台の車列に潜む危険 ≫

 苦労性と楽天家、ペシミズムとオプティミズム、何と呼んでもいいのだが、個人も国民性も、このどちらかに偏りがちになるのは致し方ないことかもしれない。

 日本人のDNAの多くは苦労性で、雨が降れば日照りを心配して悩む国のように見える。私なども常々、自分は悪いことを予想することにかけてはかなりの才能があります、などと言っていたが、先日、その感覚が衰えて来ているのを知って愕然とした。

 9月末から、私は中央アフリカの数か国を訪問したのだが、そのうちの或る国から隣国へ移動するのに、現地駐在の日本人から、親切な申し出を受けた。「陸路を行ったらどうですか。道はよくありませんが、四駆も7台チャーターできますから」と言ってくれたのである。私はすぐ賛成し、「それはいいですね。陸路を行けばいろいろ見られますからおもしろいでしょう」とOKを出してしまったのだ。

 しかし10日ほどすると、そのルートからほど遠からぬところで、旅行者の車が強盗に襲われた、という情報が入った。その国の軍隊の警備をつけていた民間人の車が襲われたのである。相手も武装した集団で、1人死亡、2人重傷、という。もっとも、これは大使館の未確認情報であった。しかし小心な私はすぐに陸路の移動を取り止めた。飛行機の席は確保してあったから、旅程は変更しないで済んだ。小心な私としたことが、四駆を7台連ねて移動するなどということの無謀さを、反射的に忘れていたことが恥ずかしかった。

 日本人は日本で見る四駆しか考えない。いずれも新車かそれに近いピカピカの車である。その車に飾り物のスコップなどをつけて舗装道路の上を走るのだから、事故を起こしてエンコしている四駆など見たことも想像したこともないのである。

 しかし途上国の四駆は、その国の将校などが、軍から支給されている自分の乗用を、運転手つきで貸し出して金稼ぎをしているような場合でも、車はかなりすり減っている。もし7台の車列を組んで、その中の1台が故障したら、他の車も一蓮托生して停まらねばならない。9時に出発して1号車が10時に故障し、直るのに30分かかって出発。11時05分に3号車がパンク、それでまた15分停まって、今度は12時に7号車のエンジンが過熱して停まる。こういうことになったら、目的地に着くのはいつになるかわからない。

 つまり7台の四駆の車列は、1台で走る時の7倍の率で故障が起き、その故障がまた沿道のゲリラの襲撃の好機になるとすれば、危険は7倍に増えるわけである。昔、道の前方に「倒木」があるのが見えたら、何だろうと思って近づいて見るなどということをせず、見えた瞬間に車をUターンさせて元へ戻るのが、ゲリラの襲撃を避ける1つの方法だった時代があるが、その基本を忘れるべきではなかったのである。

 幸運を予想するということは、いささかの甘さを伴うが、政治にせよ、経済にせよ軍事にせよ、医学にせよ教育にせよ環境整備にせよ、最悪の事態を予想してことに備えるというのが英知の1つの形であろう。しかし甘いものであろうと辛いものであろうと、未来を意識するということは、つまり人生で予測を立てるということなのだ。そして私は人間であれば、誰でも常に予測しつつ生きているのが普通なのだろう、と思っていた。しかしそうではなかったのである。

 アフリカの中部の乾燥地帯を、ジープで旅していた或る人が、道なき道の向こうに大きな岩を見つけた。土地の運転手はまっしぐらにその岩に向かって車を走らせて行く。どうもぶつかるようで不安だが、こんなによく見えているものにまさかまともにぶつけることもあるまい、と思っていくと、果たして強くではないが、車を岩にぶちあてた。怪我はなかったが、当然その人は怒った。眼が悪いどころか、日本人に比べものにならないくらいいい視力を持っているのに、どうしてこんな大きな岩に車をぶつけて壊した、と詰問すると、運転手は、車を岩にぶつけたらどうなるかなあ、と思ったからぶつけてみた、という。昔どこかで読んで忘れられない話だ。

 こういう思考の体系をすぐ、教育がないから、とか、運転手としての自覚に欠ける、というような理由で責めるのは間違いのように私は思う。文学的に言うと、これは、眼が覚めるほど新鮮で個性的な答えだ。もっとも、旅行者や、安全性の立場から考えたら、許せないことであるには間違いないが……。

 明瞭な過去、濃厚な現在、そして1つとして確かなものはないにもかかわらず人間の業のように予測というものの糸を絶えず張りめぐらさずにはいられない未来、の区別ができるには、最低限、人は時計やカレンダーを持ち、出生届けの制度によって年齢がはっきりしているという形で、時間を自分のものとして実感していなければならない。

 しかし地球上、決してそういう人ばかりではなかった。私は途上国を歩いているうちに、その土地に住む10人に年齢を聞いて、彼らが25、30、35、40、と妙に切りのいい年齢ばかり言うことに気がついたら、それは彼らが自分の年齢を知らないからだ、ということに或る時から気がついた。

 「40? 若く見えますね。とてもそんなお年には見えません」と言えば、そこで真相ははっきりする。「じゃ、幾つに見える」と相手は必ず聞くから、「あなたは35くらいですよ。37歳にはなっていない、と思いますよ」と言うと、「じゃ、俺はその年だ」と言ってくれるに決まっているのである。

 日本のカレンダーは印刷が非常にいいので、どこの国に行っても人気がある。しかし私の知人の話によると、カレンダーをもらった或る村長は、すぐさまそれを一族に分配してしまった。妹には2月、義理の弟には6月、叔父には5月、従兄には11月のそれぞれのぺージをやってしまう。家長、族長として気前がいいのだ。そしてこれらの人たちはもらったカレンダーを翌年も、そして更にその翌年も大切に張っておく。カレンダー冥利につきる、という感じだが、その時、われわれと違って「時は止まる」のである。


≪ 200年先を視野に置く ≫

 だから私が働く日本財団では、オンコセルカ症という原虫によって失明する眼病の根絶のために、たった年に1度飲ませればいいという予防薬を普及させるのに、けっこう苦労している。年に1度という観念はまず誕生日がわかっていないと、かなりむずかしいことなのだ。

 伊勢神宮は200年先、つまり御遷宮を10回繰り返す分だけ必要な木材の手当を、既に御料林でしているという。200年先を視野に入れて計画しているのだ。しかし世界中がそうではない。明日のことどころか、今日午後のことさえ考える習慣のない人がたくさんいることを、私は新鮮な思いで見たのである。
 



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