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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: アゼルバイジャン共和国紀行(中)  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2002/10/22  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
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キャヴィア・バザール・カスピ海
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≪ イラン人はキャヴィアを食わぬ? ≫

 バクーで宿泊したホテルのメイン・レストランは、日本食堂だった。

 石油が築いた町バクーは、国際都市である。フランス、ロシア、トルコ、グルジア、メキシコなどエスニック料理が揃っており、中華屋にいたっては5軒もある。この町に常駐する日本人はわずか40人で、日本からの観光客はまずいないとのことだ。にもかかわらず、日本レストランまであるとは驚きだ。どうせ高くて、不味いと相場は決まっている。

 そう思って敬遠するところだったが、「カスピ海名産のキャヴィアをノリで巻いたすしがある」と聞かされ出かけてみた。成程、「キャヴイア・ロール。生キャヴィア20グラム入り。1本、8USドル」と英文のメニューにあるではないか。

 日本のデパートでは100グラム入りのビン詰めが1万円以上もすることを思えば試してみる価値はある。ウオッカと珍味“キャヴィア巻き”で、キャヴィア談議がはずんだことは言うまでもない。

 カスピ海とキャヴィアについては、若干の予習をしておいた。親魚のチョウザメの90%は、カスピ海に棲息している。戦前は日本の北の海にもいて、北海道の石狩川を朔上ったが、今は姿を見せない。成熟し、卵を生むまでに20年〜30年かかり、大きくなると体長1.5メートル、体重30キロになる。アゼルバイジャンでは、キャヴィアを「KURU」、親魚を「アセテリン」と呼んでいる。

 バクーで手に入れた英国人の書いた旅行案内書「アゼルバイジャンからグルジアヘの旅」(Mark Eliot著)を前日、一夜漬けで読んだのだが、カスピ海のキャヴィアの面白いエピソードが載っていた。

 いわく、1919年、英国軍がバクーに駐留した。“味音痴”の英国兵は、「灰色の塩味のジャムをパンにつけて食べさせられた。魚臭くて、食えるような代物ではない」とせっかくのキャヴィアも悪評サクサクだった。

 いわく、国際的環境団体の試算ではカスピ海のチョウザメは1978年に1億4000万尾いたが、1996年には4000万尾に減少した。乱獲のせいである。

 いわく、アゼルバイジャンのすべてのキャヴィアは政府の流通ルートを通らねばならないのが建前だが、バクーにはキャヴィアの闇ルートがある。バザールの露店では、表には陳列されていないが、裏には在庫がある(後刻、購入したのだが100グラム入りビン詰めで、25ドル、欧州の4分の1の値段だった)。「アセテリンとKURUの本当の味がわかってるのは、アゼリ(アゼルバイジャン人)だ。英国の兵隊に味がわかってたまるか。隣の国のイラン人だってそうだ。イランは外貨稼ぎのためにキャヴィアを取って世界に高く売りつけている。しかし彼らの好物ではない。彼らは親魚は絶対に食わん。底に潜る魚は不浄で、海の豚だといっている」。

 今回旅の案内人を引き受けてくれたレフェベル氏が、キャヴィアの本家はアゼルバイジャンであることを強調した。

 本当にイラン人は、キャヴィアを食わないのか? 「何人ものイラン人に聞いたのだから本当だ。奴らムスリムは宗教上の理由で、豚は食わん。“海の豚”と言ってるからには、キャヴィアの親魚を食ってはいかんのだ」とレフェベル氏。でも、アゼルバイジャン人だって、イスラム教徒ではないのか。

 「アゼルバイジャンも、イランと同じイスラム教シーア派だが、融通無碍だ。イスラムは形だけ、“コーランにワインを飲むなと書いてあるから、ウオッカにしよう”といった調子だ。独立後、ソ連の宗教の軛がとれて数力月は、イスラム意識が高まり、女性はスカーフをかぶったりした。でもいまでは、ノー・スカーフ、ミニスカート姿も。リオデジャネイロのイパネマの娘みたいなスタイルもある」。旅の相棒の西アジア専門家、松長学者の観察だ。


≪ カスピ海を舐めてみる ≫

 カスピ海は37万平方キロ。偶然にも沖縄も含めた日本列島全体の面積とぴったり同じだ。世界最大の内海で、塩辛い。バクーの海岸に出向き、カスピ海を舐めてみた。物好きと笑うなかれ??。私はこれまで塩分が強くなり魚や貝が棲息不能となったアラル海と死海の水を舐めたことがある。死海は論外である。塩辛いというよりひどく苦くて、まずい。アラル海は、死海ほどではないが、海水より塩分は強い。だから、2つの塩湖には、生き物は棲息できない。カスピ海はどうだったか。あまり塩辛くない。

 後刻、ものの本で調べたらカスピ海の塩分濃度は、海水の約3分の1であった。キャヴィアの親魚はもともと川と海を往来する習性をもつチョウザメ科の魚だ。

 「だからいまのカスピ海の塩分が、キャヴィアの親にはちょうどいいんだ」。レフェベル氏はそう言う。

 カスピ海には、ヴォルガ、ゼム、ウラルなどの大河がどんどん流入するのに、ここから出ていく川はない。流入する水量と蒸発する水分との微妙なバランスで、この塩湖の水位と塩分濃度が決まるのだ。ここ数十年にわたって、バクーの水位は上昇中とのことだ。

 「水位の上昇で、アゼルバイジャンは、砂浜の大部分を失なった。ロシアが故意に水を流して、わが国を攻撃しているという説もある」とレフェベル氏。

 松長学者によると、カスピ海の沿岸国は、お互いに仲が良くないと言う。イラン、ロシア、トルクメニスタン、カザフスタン、そしてアゼルバイジャンの5カ国で、カスピ海協力機構(CASCO)を結成している。だが協力はどうも建前のようで、昔から「カスピ海は、湖か、それとも海か」で不毛の言い争いをしている。

 もし海なら国際法が適用され、それぞれの国が自国の沿岸の資源を占領できる。だが、もし湖ならばカスピ海の資源である石油とキャヴィアは5カ国の共同管理となる。

 アゼルバイジャンはあくまで「カスピ海は海なり」の主唱者だ。もし湖と定義されると、共同管理の美名のもとにロシア、イランという2つの大国に、この内海のすべての資源を事実上支配されてしまう。それを懸念しているからだという。


≪ 現代版・シルクロード交易 ≫

 その昔、バクーは陸の交易でも栄えた町であった。カスピ海の沿岸には、シルクロードとその支線が何本か走っている。バクーは本線と支線を結ぶシルクロードの要所で、中国やインド北部と、トルコ、シリアを結ぶ交易の中継地で、大バザールがあったという。

 「でもそれは中世の話だろ」

 「そうだ。でも、あんたの言うその“中世”とかいうものが、バクーに復活したんだよ」

 レフェベル氏との対話に興味をそそられ、連れていかれたのが、昔のシルクロードの隊商宿のあるバクー郊外の町、スラハニから、30分ほど車で入った地点だった。カスピ海の海井の見渡せる砂漠に、サーカス小屋の5倍はあろうと思われる巨大なテントが、10棟ほど建っていたのである。7年前に建設されたミナー・サダラク市場であった。

 電器製品、雑貨、洋服、家具、靴、室内装飾品、皮製品、子供の玩具、パソコン、自転車etc。新品から中古品にいたるまで、車以外の商品で、トラックで運搬できるものならなんでも揃っている。中国、イラン、トルコから陸路運んできたものが多いが、アラブ首長国連邦の自由港ドバイで仕入れた欧州と日本製品も並んでいる。

 アゼルバイジャンだけでなく、グルジアやロシアのダゲスタンあたりから商品の仕入れにやってくる行商人も多く、1日に、3〜4万人の客でごったがえしている。

 何百台も並んでいる行商人運搬のオンボロバスをかき分けて、この巨大バザールを仕切る親分の1人、ナーシップさんの事務所を訪問した。

 「俺がソ連時代何をしていたか。それを聞きなさりたいのか? 俺は、生れ故郷でコルホーズで働く労働者のクチ入れの仲介業をやっていた。公務員だよ。働いても働かなくても給料は同じだった。ソ連の社会主義は、怠けものの人間のための制度だ。芸術や文化とか、そういう方面はよかったが、あとは全部ダメ。あの頃、車1台買うのにも書類作りでウンザリ、金もってると出所をうるさく追及される。その点、いまはいい。やればやるほどもうかる。商売のコツか? インチキをやらんことだ。長続きするお客を作ることだよ」

 レフェベル氏によると、ナーシップさんは昔、トルコとの通商で栄えたシルクロードの要所ナヒチバン出身で、この巨大バザールの基礎を作った1人だという。

 帰り際に、奇妙な事を聞かれた。「日本の役人は商人からワイロを取らんそうだな」と。

 現代版シルクロード交易にとって、役人へのつけ届けのコストが存外、馬鹿にならないことを彼は、私に伝えたかったのだろう。
 



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