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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 役立つ人への祝福  
コラム名: 連載・生活のただ中の神  
出版物名: 聖母の騎士  
出版社名: 聖母の騎士社  
発行日: 2002/08  
※この記事は、著者と聖母の騎士社の許諾を得て転載したものです。
聖母の騎士社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど聖母の騎士社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   去年9月11日のニューヨーク世界貿易センターを含む同時多発テロ以来、私はマスコミのあちこちで、一神教は他宗教そのものや、他宗教を信じている人たちを否定しているという非難の文章を読んだ。そのようなことを書いた人は多くの場合仏教徒で、キリスト教を知らないか、知っていても意図的に曲解しようとした形跡を感じる。

 キリスト教が、他宗教や他宗教を信じる人を排除している、という根拠はどこを探しても出てこないであろう。なぜなら聖書の中にはそれとは全く反対のものの考え方があちこちに見えるからである。

 その1つがパウロによる『コリントの信徒への手紙一』12・4?7である。

「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべてのことをなさるのは同じ神です。1人1人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。」

 戦後の民主的日本は、平等を社会の闘いの目標の1つとした。その1つが職業の貴賤をなくすことであった。

 どの仕事も大切です、尊いものです、という言葉で言うのも決して悪いことではない。長い間には、その言葉の力に動かされる人間の心理の部分もある。しかしお題目だけで、心底からそれを裏付ける心理的な実感がないなら、理想をいくら唱えても個人の心には定着しない。だから時代と共に、いくら職業に貴賤はない、と言い続けて来ても「日本人は、最近3Kの職業には就かなくなった」などという言い方をされた時代もあったのである。3Kとは「きつい、汚い、危険」を指したのだと記憶する。そしてそのような仕事を、日本人は東南アジアなどからの労働移民たちに押しつけたのであった。

 このパウロの手紙に書かれている短い文章は実に大きな意味を持っている。最近ようやく教育界も、今までの「皆いい子」式発想が嘘であることが気がついたようだ。人はいい子である時も必ずあるし、悪いことを考える瞬間もある、というのが、誠実で謙虚な見方と言うべきだろう。

 30年前から、海外のカトリック神父や修道女を助けるために私が働いている海外邦人宣教者活動援助後援会の主な援助の対象国は、アフリカに多い。すると私の知人の1人が??その人は正直で誠実で、決して私にお世辞を言ったり、お体裁のいい反応を示さないのだが??言うのである。

「あなたたちが、薬や食べ物を送って根本を解決せずに当座だけ凌ぐから、アフリカの問題は凝縮された形で現れて来ないんだよ」

「そうね。そうかもしれない」

「だからあなたたちは、救うつもりでやってるだろうけど、本当は解決を妨げてるんだ」

「そうね」

 私は或る日、意を決して言った。

「私たちは今後、悪いことをしているんだと覚悟して、アフリカの援助をやることにするわ。人間時々は、いいことじゃなくて、意識して悪いことをする時があっても自然だから」

 相手が私に対して非難がましいことを言った時、しかし眼にも語調にも優しさがこめられていた。そして私はほんとうに、意識して「もしかすると悪いこと」をやることも必要だ、と感じたのである。いつも自分はいいことをしている、などと思うと、むしろ途方もなく思い上がるからであった。

 つい先日も私はまた再び、答えの出ない難問にぶつかっていた。

 私たちのNGOは、南アのフランシスコ会の根本昭雄神父さまが引き受けておられるヨハネスブルグの「聖フランシスコ・ケアーセンター」というホスピス病棟の増築をお引き受けした。約2300万円ほどの仕事であった。

 ここは文字通りエイズで死の迫っている人たちのケアーをする場所である。多くの患者たちは、たとえ自分の家があっても、病気を恐れる家族に見捨てられている。骸骨が皮をかぶっただけ、というほど痩せ衰え、お金もなくなり、子供たちを残して死ぬ不安にさいなまれながら、最後の苦痛と闘わねばならない。

 既設の病棟は30床だった。私たちがまず建てることを引き受けたのは、霊安室、つまり遺体置場だったのである。216万円ほどで、8体が入る立派な冷蔵庫つきの霊安室は完成した。そのオープニングに行った時、私は厳しい現実に直面した。30床の病床では、その前の月、32人が亡くなって、30人が新たに入って来ていた。つまり毎日1人は死んでいたのである。霊安室のオープニングの日にも、庭の椅子には何人かのエイズ患者が談笑している姿が遠目に見えたが、患者の年齢は15歳から45歳までであった。いずれも私から見れば、子供か孫のように若い世代である。そして恐らくこの病気によって数年のうちに南アの労働人口は急激な減少を見せ、それが国家の屋台骨を揺るがすようなひずみになるはずであった。

 この5月3日、私は再びヨハネスブルグに行き、私たちのNGOから贈られたお金で今回できた新しい20床の病棟の開所式に出席した。贅沢ではないが、隅々にまで温かい心遣いが見える病棟が完成していた。2人1室、トイレとシャワーつきである。木々の緑の枝が窓の外に生命の証のように揺れていた。

 式は荘重で温かかった。恐らく学齢に達するまで生きることはないと言われているHIVプラスの孤児たちが、歌を歌ってくれたが、彼らの特徴は決して笑わないことだった。

 式と会食が終わったのが午後2時だった。

 私は根本神父に簡単な質問をした。帰ってから寄付をしてくださった方たちに説明ができるようになっている必要があった。

「ここから、少しでも元気になって家に帰った人はいますか?」

「1人もありません」

 癌のホスピスからは一時帰宅する人もいる。

「病人は大体、平均何日くらいここで暮らしますか?」

「2日か3日です」

 私は頭を殴られたような気がした。

 私たち日本からの出席者は、式の後(ふざけたことだと言って叱られそうだが)ヨハネスブルグの近くの自然保護区へ、象や羚羊を見に行った。私はそうしたサファリのための土地の空気がこの上なくきれいなのが大好きだったのである。一晩ロッジに泊まった夜は、土地に長く住む元商社マンに、何時間も南アの現実について貴重な話を聞くこともできた。そしてその翌日、私たちは朝ロッジを発って、そのまま帰国の途につくために空港に向かった。根本神父は私たちを送りにわざわざ空港に来てくださっていた。第一の目的は開所式のことが載っている新聞を届けてくださるためであった。

 しかし神父は思いなしか急いでいた。

「今、臨終の近付いている患者が3人いますから、私はこれで帰ります」

 神父は言われた。急激な嘔吐が始まるとそれが死の前触れで、数時間後には臨終が来る。

 話は全く別のことなのだが、その時私は1つの事実を思い出していた。私が勤めている財団は、出資した事業が果たして効果的であったかどうかを査定する評価会社に、今年もいくつかの事業の調査を依頼していた。

 私たちのNGOは、評価会社を頼むようなお金はない。しかしもし依頼していたら、この南アのホスピスに関しては一体どんな回答がなされるだろう、と考えたのである。

 先月は32人が死んだ。今月の死者が仮に35人に増えれば、それは病棟の機能として効果があったと見なし、25人に減っていればそれは効率がよくなかった、と判断されるのだろうか。それとも、1人とて生還しないホスピスにお金を出すこと自体が、むだという評価になるのだろうか。私はそれに対していまだに迷ってはいたが、答えが出ないことを恐れてはいなかった。こうした人たちの処遇に関して、1つの先鞭をつけ有り様を示されたのはマザー・テレサの「死を待つ人の家」である。しかしマザーの家では、一番ひどい状態の時でも収容される人の約半数しか死ななかったのだが・・・。

 世間では、生きる人のために尽くす仕事が多い。しかし人はいつかは必ず死ぬ。とすれば死ぬ人の死のために、生きて仕える人も必ず要るであろう。誰がどの役目を引き受けるか、決められるのは神なのである。

 もちろん個々の人にはいささかの希望はある。歌手になりたかった人も、私のように小説を書きたいと願った娘もいる。しかし歌を歌う才能、小説を書くために必要な辛抱強さのどちらも、神からの贈り物である。あらゆる職業、才能、ポジションはすべて必要なものばかりだ。神は不必要な物も人も、何一つとして作られなかった。3Kの仕事を引き受ける人は、その中でももっとも大切な役目を担って人一倍神に愛されたはずなのだ。

 このパウロの手紙を読み返してみると、彼の判断に快い「功利」が見えて楽しくなる。功利と言っても私利私欲ではない。パウロは1人1人に「霊」の働きが示されて、違った道で役目を果たすのは、「全体の益になるためだ」つまり社会にとって必要なことなのだ、と明言しているのである。

 今の時代、人は人権の名のもとに、いささかでも自分の存在や働きが、人の陰になり、自分のためより他人のためになることを認めない。しかし神はすべての人がその人の仕事をし尽くし、それが神の光栄と愛のうちに皆のために役立つことをよしとされたのである。さらにそのような仕事のすべてが神のご意志によって組み込まれ、社会全体がそのおかげで成り立つことも、明白にお示しになったのである。
 



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