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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 端正の極?何もない空間が美の出発点  
コラム名: 透明な歳月の光 20  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2002/08/16  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   この夏休みに高野山の金剛峯寺の蟠龍庭(ばんりゅうてい)を見たことは、本当にすばらしい体験だった。蟠龍庭は枯れ山水として、雄大、豪快、端正、繊細のすべての要素を備えた完璧な庭である。広大な白砂の空間は雲海と見なされているのだそうで、その中に140個もあるという青い花崗岩が、蟠踞(ばんきょ)する龍を表しているのだろう。

 殊に私が感動したのは、庭の端に生えている1本の風格あるもみじの大木であった。まだ8月10日というのに、もう枝のほんの一部に、微かな紅葉の気配が見えていた。

 もみじの木の下には、たった一個の石が置かれているだけである。花も小灌木もない。石の立ち姿と差し伸べられたもみじの枝だけに、すべてが語りつくされている。計算されていながら、そうとは見えない最高の表現である。

 なぜその一隅が端正の極だったかというと、そこには1本のもみじと1個の石以外何もなかったからなのだ。

 このごろの多くの家庭が、ものの多さにおしつぶされている。私の友達のそのまた知人の家は、家中がもので溢れていて、人間の住む場所がなくなりかけているという。奥さんはバーゲンセールに行くのが大好きで、サイズの合わない服でも「痩せたら着る」と買って来て、袋から出しもせずその辺に放置しておく。だから部屋の空間はすべて積み上げられた紙袋の置き場になっていて、中央に一筋、やっと人の通れるだけの道が空いているだけなのだという。

 現代では、多くの美の出発点が、「何もない所」となった。空襲で廃虚になった村では、通常、瓦礫を片づけるところから再建が始まる。何もない空間は決して貧困を意味するのではなく、運命をこれから受け入れる寛容さ、未来への可能性、戦いの去った平穏や静寂を表しているから、この上なく貴重な状態なのである。そして静寂と寡黙は、この騒音と饒舌の時代にあっては、かつてないほど輝くようになった。

 私も人並みに強欲で、あれもこれも欲しいほうなのだろう、と思うが、手にしたものは充分に使い切りたいと思う。溜め込んで死蔵するのも、食べすぎて胃を壊すのも、どちらも見苦しいのである。

 昔から母に、風通しのいい空間に住みなさい、と教えられた。家の周囲の植木は適当に切り払い、羽目板や根太の腐るのを防ぐ。部屋にもできたら縦横に風の吹き抜ける窓をつけなさい、という母の考え方は、まだ空調以前の平屋建て時代の知恵なのだが、今でも一理はあるように思う。

 これを心の問題に置き換えれば、自我もささやかに通し、他人の意見も充分に聞く風通しのいい心の空間を残すには、身辺を整理して、本当に意見のある一木一石だけ残しなさい、という戒めだったのかもしれない。
 



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