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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: コーカサス発「WORLD CUPの地政学」  
コラム名: 文化問答“ヘソ曲がり人”の旅日記  
出版物名: 月刊ぺるそーな  
出版社名: マキコデザイン株式会社  
発行日: 2002/07  
※この記事は、著者とマキコデザインの許諾を得て転載したものです。
マキコデザインに無断で複製、翻案、送信、頒布するなどマキコデザインの著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   2002年6月某日、私は旅先のアゼルバイジャン共和国の首都バクーのホテルで、締め切りに間に合わすべくこの「文化問答」を書いている。コーカサス発、「WORLD CUPの地政学」。いささか変てこな題名をつけてしまったので、手始めにいかなる内容の話なのか、ぺるそーな読者に説明するのが筋ではないかと思う。

 まずコーカサスとは、どこにあるのかだ。世界地図を開いてみる。ロシアの南、イランとトルコの北に位置し、そして東に力スピ海、西に黒海にはさまれた地方(アゼルバイジャン、グルジア、アルメニアの3国で構成されている)だ。北海道、東北、関東を合わせたくらいの広さで、10年前までは旧ソ連邦に属していた。最近の考古学の調査研究によると、「エデンの園」や「ノアの方舟(はこぶね)」など旧約聖書の創世紀にある由緒ある場所は、形而上学上の存在ではなく、この地方に実在していたとのことだ。持参した英文の「地球ひとり歩き」にそう書かれている。

 気候がよく、地味も豊かな土地であり、先史時代から多くの人が住んでいたところだという。だが、そのような良い土地は、人間どもの陣取りゲームの激戦地であるのが歴史の常識だ。紀元前、マケドニア王アレキサンダーやローマ帝国に支配され、4世紀頃キリスト教が入った。7世紀にはアラブが侵略、イスラム教が入り、その後、ペルシャとトルコが進攻した。18世紀はじめには帝政ロシアが南下し、武力で勢力圏に編入した。大国の版図と諸文明に、もみくちゃにされた。

 こうした歴史における負の体験が、優れた「地政学」のセンスを生む。ちょっと学術的で恐縮だが、国際間の政治現象と地理的条件の関係を研究する学問を地理+政治学、つまり地政学、Geopoliticsという。コーカサスや、これまた旧ソ連邦に属していた隣の中央アジア(カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギスの旧ソ連邦の5カ国)は、地政学に敏感である。異民族や異教徒、そして大国の武力によって生存をおびやかされた長い歴史上の経験が、おそらく人々のDNAに組み込まれているのだろう。自分たちの周囲に存在する (1)どの民族には負けたフリをするか (2)どの国と同盟するか (3)どの異教徒をやっつけるか??これが地政学の生み出す戦略戦術だ。専門家でなくても、この地方の人々はそれを生活実感として身につけている。

 その点、日本はコーカサスに負けず劣らずいい土地だが、幸か不幸か?、島国であるところから夷秋(いてき・野蛮な異民族)の支配下に入ったことがない。そして、第2次大戦を失って以来、「自国の存立と安全を、他国の信義に委ねる」(憲法の前文には、そういう趣旨のアホな事が書かれている)ノー天気なノン・ポリ国になってしまった。つねに身を守ることに腐心するコーカサスの国々にあって、平和ボケの日本国にないもの、それが地政学なのだ。

 私は、スケジュールが許す限り、旅先でTVで放映されるWORLD CUPのサッカーゲームを観戦した。そしてひとつの発見をした。それは、地政学を持つ国民と、持たざる国民では、同じゲームを観戦しても、国と国との勝敗の受け止め方がいかに異なっているか??である。

 以上、このエッセイの理論編だ。いささか話が固くて恐縮、これからはぐっとくだけて旅日記風でいこう。私のWORLD CUPをめぐる異文化体験記でもあるので。


≪ 第1話 グルジアにて。≫

 ワールド・カップ予選リーグH組で日本が、ロシアを破ったちょうどその頃、私は、バクー発トビリシ行の国際夜行特急の中にいた。たった570キロの鉄路なのに、往復470ドルもするとびきり高い列車だ。俗称、「アメリカン・エクスプレス」というが、外国人か、闇屋の親分しか乗らない。3両編成で真ん中は食堂車、これを電気機関車が牽引する。「超安全」(事故が起こらないという意味ではなく、治安は保証つき)が売り物で、武装した護衛官が3人ものっている。1日1往復、石油の町アゼルバイジャンの首都バクーから、昔、帝政ロシアのコーカサス総督府があったグルジア共和国の首都トビリシ間を、片道12時間かけて運行している。「飛行機はスケジュール通り飛ばないだけでなく、機体がオンボロで危ない。テロの恐れもある。国境越えの車の旅は危険、通常の夜行列車は20ドルだが、睡眠薬強盗が出没する」。旅行を手配したトルコのエージェントにさんざん脅かされ、やむなく「安全」を買うことにしたのだ。個室のコンバートメントが、2両の客室で合計30部屋ほどあるが、食堂車で一堂に会したところ、乗客はわずか7人(このうち日本人はわれわれ3人)しかいなかった。前述の護衛官のほかに、鉄道会社事務員3人、車掌1人、機関士2人、コック1人、メイド2人。客より乗務員の多い列車に乗ったのは生まれて初めてだ。

 個室内にはなんとTVが1台ずつセットされていたではないか。サッカーが放映されているのではないかとスイッチをつけた。だが、画面が出てこない。カラーTVとは名ばかり、空(から)TVではないかと怒ったら、車内放送のビデオ用とかで、いつも同じ男女の歌と踊りしかやっていなかった。

 トビリシで、英語とグルジア語の通訳を雇う。イリーナさん、33歳。トビリシの国立大英語科卒で、現在は大学で英語の講師をやっている。「グルジアは世界有数の長寿国だと社会主義時代から聞いている。気候もよい。風光明媚だし、食物もうまい。そのせいかしら…」と外交辞令を言ったら「最近では、そうでもないの。内戦はあるし、難民は多いし、テロもあるし、心配ごとが多くて寿命が縮まっている」とおっしゃる。

 ソ連崩壊後のコーカサス3国は、どの国も紛争をかかえている。グルジア共和国ではソ連崩壊直後、西欧接近を試みたところ、ロシアが介入、グルジア共和国内のアブハジア族とオセチアン族に武器と金を与え、独立をあおった。この結果、内戦が起こり、この地区に住んでいたグルジア人は追放された。

 トビリシには、「イベリア・ホテル」という社会主義時代の国営ホテルがあったが、いまはこうしたグルジア人難民のための宿になっている。15階建の高層ビルのテラスが、すべて洗濯物の満艦飾の異様な光景だ。私たちの宿泊したシェラトン・ホテルには、戦闘服に身をかためた米兵が、常時、100人ほど宿泊していた。高級民間ホテルに米兵が常駐とは、これまた異様な光景だ。

 9・11事件を口実に、この国の大統領シュワルナゼ氏が、コーカサスの山岳地帯にひそむテロリスト対策の軍事顧問との名目で、米軍を導入したのだ。グルジアの高い山の北側には、チェチェンがあり、ロシアの鬼門だ。そこでプーチン・ロシア大統領は文句もいえなくなった。シュワルナゼにとっては、内戦に勝利しグルジア統一を実現するための深謀遠慮の策なのだ。米国にとっては、中央アジアからヨーロッパヘの回廊を、史上初めて押えこんだという戦略的意義がある。内心面白くないのは、ロシアだけ。これがグルジアの最新地政学的事情だ。

 首都のトビリシから60キロほど離れたところに、スターリンの生地、ゴリの街がある。そこを訪ねた帰り道、街道筋にある中世の古城に立ち寄った。通訳のイリーナ女史から、昔のグルジア人がいかに勇敢にトルコの侵略軍とこの城で戦ったか、講義を受ける。このあと、愉快千万なハプニングが起った。

 古城のほとり、川辺につながれた船上レストランでのできごとだ。隣りのテーブルに、14、5人の黒シャツ、黒ズボンの大男たちの団体客が食事をしていた。ビールとワイン(グルジアの赤ワインはウマイ)で、かなり酔っている。よくよく観察したら、それぞれ拳銃を携帯している。ケースに入れずに38口径を裸のまま無雑作にベルトに差し込んでいる男もいる。ぶっそうなことこの上もない。

「マフィアか?」小声で、イリーナに。「いえ。ポリースらしいわ」。そう聞いても安心できない。1人づつ立ち上がり、何やら、大声でわめいたあと、全員起立して乾杯している。「オイ!間違ってもその腰のものを、ぶっ放さないでくれよ」。ひたすらそう願った。

 その時である。一団の首領格の大男が、やおらこちらに向き直った。「カンパイ」。日本語で、そう叫び、杯を高くかかげたのである。我々一行は(日本人3人とイリーナ女史と現地人運転手)一瞬、ギョッとしたものの、ただちに事情がのみこめたのだ。

「ジャポン。ルシア。フット・ボール」。この3つのグルジア語の単語が、私の耳にさえはっきりと入ってきたからだ。その大男は私の手を握りしめる。「ジャポン、センセイ、ヤマシタ」といった。イリーナの通訳によると、彼らの我々日本人に対する献杯の弁はこうだった。

「サムライの国、日本よ。よくぞ憎きロシアをやっつけてくれた。一度は戦争で帝政ロシアを、そして今回はフットボールでロシア共和国を。有難う。私は日本の柔道を知っている。オリンピックに出たヤマシタ・センセイを尊敬している」

 一見、マフィア風の警官たち、実は特別任務の護衛官で、オランダからテロ対策専門の教官を招いたとのことだ。その教官を囲む懇親会の席だったのである。みんなで記念撮影をした。別れ際に「どうしても受け取ってほしい」とシャンパンを2本。対ロシア、1対0日本の勝利のお祝いであった。

≪ 第2話 アゼルバイジャンで。≫

 アゼルバイジャンの首都バクー。20世紀初頭には世界の産油量の2分の1を産出したカスピ海沿岸の石油の街である。第2次大戦中は、ソ連の石油のほとんど大部分まかない、ロシアに進攻したドイツ軍は、占領をねらったが、ついに果たせなかった戦略拠点でもあった。19世紀初めに、ロシアとイランが話し合い、北半分をロシア、南半分をイランが併合した。その後、ソ連邦に加入、91年、ソ連から離脱、主権宣言をして「アゼルバイジャン共和国」と名のった。

 アゼルバイジャンもグルジア同様、ロシアには怨念がある。この国は「ナゴルノ・カラバフ」という19世紀以来の領土問題をかかえている。それ以前のカラバフは、この国の京都ともいえる都だった。ところが帝政ロシアの支配下のもとで、カラバフにトルコの支配から逃げ出したキリスト教徒のアルメニア人が多勢移住した。そして1988年、突如として、ナゴルノ・力ラバフのアルメニア帰属の武装逢起が起こった。その裏にはロシアの謀略があった。

 アゼルバイジャンは古都を守るべく応戦したが、1990年ロシアはバクーに赤軍を派遣、一方的にアルメニアを支援した。ナゴルノ・カラバフはアルメニア人の手に落ち、30万人のアゼリー人難民が、逃げ出した。

 そういう地政学的にもっとも熱い場所で「過渡期におけるコーカサスと中央アジア??その地政学的条件と経済発展への模索」と題する政治学者と経済学者の合同の会議が開催された。私のコーカサス訪問の目的のひとつはこの会議に出席することであった。どんな内容の会議であったのか。そのことは、この旅日記では省略させてもらう。その代り私は、WORLD CUPにかこつけて、実践的学術調査を試みたのだ。それはバルカン半島と並んで、世界で最も複雑な地政学的事情をかかえているコーカサス・中央アジアが、この地域に影響力を持つ、もしくは持とうと望んでいる別表の横に並ぶ6つの大国をいかにとらえているかの探究であった。

 この日は、たまたまトルコ、日本戦があった。「シンポジウムは毎年開けるが、ワールド・カップは4年に1回しかない」。議長の一声で会議を中断し、全員でサッカーのTV観戦に切りかえた。漠然とTVを見ているだけではもったいない。早速、アンケート用紙を作った。別表の縦位置にある9カ国のうち、この会議に出席した7力国の学者にインタビューし、横位置の6つのワールド・カップ出場国に対する地政学的見地から見た好感度1位から6位までの順位をつけてもらったのである。
(※別表は省略させてもらいます。〔縦位置9カ国:アゼルバイジャン、グルジア、アルメニア、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギス、トルコ〕〔横位置6カ国:ロシア、トルコ、アメリカ、ドイツ、中国、日本〕)

 その結果が、このマトリックスだ。さて、この表をどう読むか? 地政学にも初級から上級といろいろランクはあるが、一番初歩的な解説をさせてもらうと以下のようになる。

(1)私が話をした限り、この会議に出たこの地方のすべての国の学者は、ワールド・カップをたんなる娯楽と考えていない。むしろスポーツの国別対抗ゲームを国と国との戦争の代償行為、ととらえている。「たかがサッカー」ではなく「されどサッカー」なのだ。

(2)地図を参照していただくとよくわかるが、地理的に隣接した国々でも、ここにかかげた大国に対する好みがかなり異なっている。むしろ隣接しているからこそ、それぞれ異なる独自の外交を展開しているともいえる。「合従連衡」「遠交近攻」。三国志や、孫子の世界を連想させるケースもある。

(3)トルクメニスタンをのぞくと、トルコが好きな国は、ロシアが大嫌い。ロシアの好きな国はトルコが嫌いである。

(4)アメリカとドイツは、この地域で大きく点数をかせいでいる。ソ連の崩壊、とりわけ9・11テロ以降のアメリカの進出ぶりがこの調査結果からもうなづける。

(5)中国のランクが最低なのは、最も嫌いというより、むしろ関心の薄い国の部類に属するのだろう。中国の覇権志向も、とうていここまでは届いていないことを示している。

(6)遠くて遠い国なのに、日本の好感度が比較的高い。海外援助に期待を寄せているのはもちろんだが、日本はノン・ポリなので援助をもらうには、もっとも安全な国との打算も働いているようだ。

 地政学は、超現実主義者の世界でもある。グルジアのトビリシ同様、バクーでも、ホテルのフロントや、レストランで、好感度ランク第3位の日本が、好感度第5位のロシアを破ったときは祝福してくれた。だが、人気ナンバーワンのトルコが、第3位の日本を破ったときは、バクーの市内を数百人の市民が、トルコ、アゼルバイジャン両国の国旗をかかげてねり歩いた。「トルコとアゼルバイジャンは、同一民族、2つの国家だ」と翌朝の新聞に出ていた。この国にとって、サッカーの国際試合も、政治そのものなのである。


≪ 第3話、追記。イスタンブール空港で。≫

 アゼルバイジャンのバクーのホテルのTVには、NHKの海外放送のチャンネルがうつる。ホテルでトルコ戦敗北の日の日本国の街の表情が放映された。

「日本はよくここまでやったと思います」

「本当にご苦労さま。涙が出てくる」

 みんなサバサバしている。意外であった。バクーで、見たトルコ放送経由の試合のTVの画面に映った日本チームは、ガッツがなかった。しぶとさがなかった。ネバリがなかった。そして、パワーのトルコにやられた。なんとなくエレガントに個人プレーをやっている。国家代表という意識はどこへ行ったのか。正直のところ現地でそう思ったのである。トーナメントの一回戦で負けた口惜しさは、どこへいったんだ。帰途、イスタンブールの空港で、もっと驚くべき光景に出くわした。

 予期しない勝利で、トルコは急拠日本行きの応援団を募集したらしく、イスタンブールの東京行ゲートには50人ほど、赤いトルコのユニフォーム姿の応援団が出発を待っていた。1人の男が酔ったあげくに、「どうだ。日本よ。参ったか」といわんばかりに、飛行機待ちの日本の女性団体客の鼻先で、トルコ国旗を振りまわした。無礼千万。ところが、中年の日本、オバタリアン族、何を思ったのか、ニコニコして、拍手した。空港ゲート前は、一瞬、不気昧な沈黙がただよった。

「ちょっと、オバサンたちよ。お人好しもいいかげんにしてよ。日本国民としての誇りはどこへ行ったの」。そう叫びたくなった。オバタリアンたちがおかしいのか、それとも、そういう私が地政学のやり過ぎで、変な日本人になってしまったのか? いったい日本国はどうなっているんだろう。
 



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