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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: バオバブの木?見果てぬ夢を植えた  
コラム名: 透明な歳月の光 13  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2002/06/28  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   若い時は海が好きで、海辺に土地を買った。庭に大きな椰子を植えることも1つの夢だったのに、関東地方の露地でも育つカナリー椰子は、人の丈の倍くらいのものが15万円もした。私は諦めて7千500円の苗を2本買って植え、育つのを待つことにした。木はちょうど庭箒を逆さに立てたくらいの貧弱さだった。

 それから35年、椰子は三浦半島一の大きさになった。もちろん私が勝手にそう思い込んでいるだけだが、葉先まで7、8メートルはある。

 植えておけばいいのだ。月日が育ててくれる実感がある。年を経る楽しさの1つというものであった。

 この2本の椰子は、相模湾に面する小網代湾に入ろうとするヨットマンたちの1つの目印になっている、と誰かが教えてくれた。それは一種の光栄であるはずなのに、いい年をしてイタズラの好きな夫はすぐに言った。

 「それなら早速切っちまおう」

 数年前、私はバオバブの種から、数本の苗を育てた。バオバブはマダガスカルと、サハラ砂漠の南、マリで見た。

 この木は、天を支えるアトラスのように大きい。高さ20メートル、幹の直径が10メートルを越えるのも珍しくないという。幹の太さの割に枝の部分は貧弱で、つまり毛の薄い老人のようだ。しかも、この老人は、1人1人、いや1本1本、樹形の個性が強烈に違う。夕陽を受けてバオバブの幹はバラ色に染まり、やがて頭上に星を頂く。寿命は数千年という説もある。

 今我が家の2本のバオバブは高さ70センチメートルほど。細い枝は焼き鳥の串ほどの太さしかなくて、見る人が皆嘲笑する。私もかつて庭箒くらいのカナリー椰子を植えた時と同じ、物悲しくて滑稽な気分になる。

 「なあに20年ほど経てば、いっぱしの大きさになりますよ」

 と言ってくれた人もいるが、今度の20年の先には、私は生きてはいない。しかしそれだけにその夢はもっと純粋で壮大で甘い。私は見果てぬ夢を植えたのである。

 バオバブの実は、アケビくらいだった。実の中の種の周囲は白い綿みたいなもので包まれていて、それを取ってから植えるように、という指示があった。その白いものの中には発芽抑制成分があるので、人間が甘酸っぱいその部分を食べて種を吐き出すことで、初めて芽が出る準備が整うのである。

 私が知っている限りの話だけれど、バオバブが生えているような土地の村々には、どこも菓子屋一軒なかった。土地の子供たちは、溢れるほどの夕焼けの光の中で、ふざけながらこの種をしゃぶり、それがおやつだった。

 私が死んでも、椰子とバオバブは生き残る。後をよろしく、と私は星に頼んでいる。
 



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