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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 荒野の幸福  
コラム名: 連載・生活のただ中の神  
出版物名: 聖母の騎士  
出版社名: 聖母の騎士社  
発行日: 2002/03  
※この記事は、著者と聖母の騎士社の許諾を得て転載したものです。
聖母の騎士社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど聖母の騎士社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先日、「21世紀のジャイロ・スコープ・マガジン」という雑誌に、日本財団常務理事の歌川令三氏が興味深いエッセイを書いておられた。パリのユネスコの集まりで、講演をされる前、氏は「ホテルで一晩、仕事の主題である平和教育の要諦を考えて見た」という。その結果歌川氏は一つの共通点を見つける。

 「その1つは対話が大切だということ。第二は自分にしてほしいことを人にしてさしあげることだ、と説いているのだ。第一の『対話』の必要性はいいとして、問題は第二のポイントだ。これは一神教、とりわけキリスト教の考え方を基礎においたものだが、はたしてそうなのか。私はかねてから疑問をもっていた。まず第一におしつけがましいということだ。自分にしてほしいことが、他者にとって、してほしくないことだってある。この種の考え方は、『私の考えは、絶対神、絶対的価値観に基づいている。だから私の考えは普遍性をもっている。よって、私にとって善いことは、人にとってもよいことだ』という一種のおしつけではないのか」

 誰にも似たような体験があるのではないだろうか。たとえば「このセーター、あなたに似合うから買いなさいよ」と強要する人、自分に効いたからと言って健康食品などを無理やりに勧める人、などが周囲に必ずいるからである。

 歌川氏はさらに続ける。

 「私はホテルで別表のマトリックスを作ってみた。

 平和の哲学マトリックス
1 自分にしてほしいことを、人にする。
 (キリスト教的押しつけ)
2 自分にしてほしいことを、人にしない。
 (せちがらい、この浮世)
3 自分にしてほしくないことを、人にする。
 (けんか、戦争)
4 自分にしてほしくないことを、人にしない。
 (私流、平和教育の要諦)」

 「私は、世界の人間のそれぞれが持つ神々の違いをみとめる多神教こそが、平和をもたらすとの仮説を持っている」

 この最後の部分は、同時多発テロ以来、日本のあちこちで言われ出した論理である。そして歌川氏は、作家でもありフランスの国営文化放送のプロデューサーでもあるオリヴィエ・ジェルマントマ氏に対して、こういう質問をぶつけてもいる。

「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった一神教は、荒れ地に生まれた沙漠の哲学だ。他の神々の存在を認めない、一神教の唯一絶対の考えが、世界の紛争を生む根源なのでは?」

 ここに小さな誤解がある。キリスト教には、唯一絶対妥協を許さないのではなく、むしろそっと相手の通りにさせておきなさい、という意味のイエスの発言が実は聖書の中に意外に多いのだ。「ヨハネがイエスに言った。『先生、お名前を使って悪霊を追い出しているものを見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。』イエスは言われた。『やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしに逆らわない者は、わたしの味方なのである。』」(「マルコによる福音書」9・38〜40)

 「イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、食事の席についておられたとき、1人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。『なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油は300デナリオン以上に売って、貧しい人人に施すことができたのに。』そして彼女を厳しくとがめた。イエスは言われた。『するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。(中略)この人はできるかきりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(「マルコによる福音書」14・3〜9)


 イエスは厳密や理詰めを嫌う。優しく人間的に時にはあいまいであることを選ぶ。「(その人のするように)させておきなさい(アファチ・アウトゥス)」というのはイエスのよく使う言葉であり、好きな態度である。このことが当然といえば当然だが、部外の人々にはあまり知られていない。

 他にも少しニュアンスは違うが、「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」(「マタイによる福音書」9・13)のような表現もあり、聖パウロの「ローマ人への手紙2・9」は次のように書かれている。

 「すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。神は人を別け隔てなさいません」

 言うまでもないがギリシャ人は多神教である。

 さらに「コリントの信徒への手紙1」9・19以降はもっと明快である。

 「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、私は神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、私はどんなことでもします。それは、私が福音を共にあずかる者となるためです。」

 ここまで言ってしまってもいいのだろうか、と思われるほどである。これを方便と言っていいのだろうか。しかしここでは、人に向かって、お前の神は違っているとか、私と同じようになりなさい、という姿勢は全くない。むしろ、そうだそうだ、私もあなたと同じですよ、と譲歩してみせよと言っているのである。

 パウロの「キリスト教的生活の規範」とするものも、今の時代に読むと全く新しい意味が見えて来る。
「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。(中略)希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすように努めなさい。あなたがたを迫害する者のために祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを1つにし、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮しなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐はわたしのすること、わたしが報復する、と主は言われる』と書いてあります。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。』悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」(「ローマ人への手紙」12・10〜21)

 これは異教徒に対しても幸福を願う姿勢を示したものであって、一神教が「唯一絶対の考え」で排他的であったことは教義としてない。もちろん宗教は宗教、それを信じる信徒は決して理想の生活を生きてはいない。それは多神教の中にもあらゆる姿勢や心情の人がいるだろう、というのと全く同じである。

 歌川氏のマトリックスは、すべて「自分」の視点から構築された。一神教的姿勢としてこれが妥当なのだが、この「自分に」というところを「人が」に置き直すとまた別の視点が見えて来るのだ。

1 人がしてほしいことをする。
 (親切な人)
2 人がしてほしいことをしない。
 (少し意地悪な人)
3 人がしてほしくないことをする。
 (かなり意地悪な人)
4 人がしてほしくないことをしない。
 (悪くはないが冷淡な人)

 さて問題の、「自分にしてほしいことを、人にする」という「マタイによる福音書」7・9以下の聖書の理想をもう一度正確に当たっておくことにしよう。

「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良いものを与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者によい物をくださるに違いない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」

 この文章の条件は、個人が思惟的に、趣味的に、これを好きかどうかによって欲しているかどうか判断する範囲ではないようである。飢えた子供が求めるパンや魚なのだ。与えるべきだろう、という判断が多分まっとうなのだろう。もちろんコレラにかかっている子供にはパンも与えてはならないだろうが、そこまで条件を緩めては話にならない。

 多分「自分が人にしてほしいことを人にもしなさい」というのは、渇いた土地で生きる人々の素朴な実感なのだ。つまり水を飲ませてもらい、パンを与えられ、寒い荒野の中で探し廻らなくとも一夜の宿を与えられる、という程度の基本的なことなのである。それさえもしない人が多すぎるから。
 



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