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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 2度独立した国バングラデシュ人民共和国(中)  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2002/03/26  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
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“聖なる牛”ガンジス川を下る
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≪ ラマダン明けの「焼肉店」で ≫

 バングラデシュ国のイスラム人口は87%、ヒンドゥー教徒はわずか12%。これに対し本家筋に当たる隣の大国インドは、ヒンドゥーの国で82%がヒンドゥー教徒で、イスラムは11%。両国の人口に対する宗教の比率はちょうど逆になっている。だから食文化も異なる。インド人は牛は絶対に食べない。バングラ人は豚は絶対に食べないが、牛はよく食べる。

 金持ちが住んでいるダッカ北部の住宅街で日本人経営の焼肉屋を見つけた。

 ラマダンが明けて2日目の夜、イスラム教徒とおぼしき家族で賑わうこの店に入ってみたのである。案内してくれたのは現地の仏教徒のNGOのリーダー、バルアさん夫妻だった。

「私たち、肉はあまり食べません。仏教徒だから。牛肉はこの国のイスラム教徒の好物です。でも、ぜいたく品で高いから、いつも食べてるわけではない」。

 バルアさんが、周囲の客席を見渡しながらそう言った。何組かの一見金持ち風のバングラ人と、日本人、韓国人の現地駐在員とおぼしき人々がこの日の客だった。

 メニューを読むと「カルビ」「ロース」「キムチ」「レバ」「カルビタン」「トブチゲ」「ナムル」etc。韓国風というよりむしろ東京スタイルの焼肉屋だ。「日本の人、焼肉好きですね。だからお連れしました。ダッカの焼肉のこと書いたらどうです」とバルアさん。

 バルアさん夫妻の日本語は流暢である。在日、8年になる。東京でビジネスをやりつつ、故郷のチッタゴンで、仏教徒のNGO、「バングラデシュ奨学金協会」を結成した。奥さんは日本の裁判所で、日本語とベンガル、ウルドウ語の通訳の仕事をしている。夫妻のほかに、バルアさんのお兄さんで、同じく仏教徒のランジット・クラール・バルア(情報省宗教局次長)夫妻、そしてJICAの水の専門家としてダッカに駐在する瀬古博士夫妻が同じ卓を囲んだ。

 バングラの焼肉は、うまいか、やわらかいか。ウエイターが、牛肉や野菜を盛った大皿をいくつか運んできた。肉は半生(なま)に焼いてあり、あとは卓上のプロパンガスで熱して食べる。一口かんで驚いた。固くて、筋っぽくてかみ切れない。かんでも、かんでも牛肉らしい味が舌に伝わってこない。

「これは、多分農耕用の牛です。バングラ人は、パパイヤと一緒に、トロ火で煮て食べる。そうするとやわらかくなる」

 バルア夫人が、隣席に視線を送った。バングラのムスリムの客たちは、煮込みを食べている。多分、そうやって料理した牛鍋なのだろう。

「世界一固くて、味がない牛肉ですね」。そう言ったら、「もしかしたら、インド産の聖牛のなれの果てかもしれません」。瀬古さんが、真顔でそう言ったのである。まさか、あの聖牛が、バングラデシュに送られて、焼肉になるなんて、にわかには信じ難い。

「インド人が牛を捕えてバングラデシュに、輸出するわけないでしょ」。バルアさんたちも、そう言った。


≪ 牛肉とイスラム ≫

 インドでは、牛は聖なる動物で、古代から崇められている。雄牛は、インドに数ある神の中で筆頭に位するシバ神の乗りものであり、雌牛は、豊穣と肥沃のインドを代表する母なる神の化身ということにヒンドゥー教ではなっている。インドでは牛を労働に使ったり、ましては食用に供せられることはない。だから、インド中を牛が徘徊し、都市でも牛が車の中を割り込んで、のんびりと歩いている。勝手に草を食っているが、飼育の習慣がないせいか、おしなべてやせている。

「インドを旅したとき、思っていたことなんですけどね。あのインド中を闊歩してる野良牛が、年老いたらどうなるんだろう。誰がどのようにして葬ってやるのだろうと。でもつい聞きそびれてしまった」

 そう言ったら、「実はね、年老いたインドの聖牛は、ガンジス川を船に乗せられて、ひそかにバングラデシュに流れを下ってくるんですよ。もちろん密輸ですよ。貿易統計で調べたってわかりません」。瀬古さんは、そういうのだ。のちほど、瀬古さんのお宅に伺って、証拠写真を見せていただくことにして、ここの焼肉が聖牛のなれの果てかどうか。この席では一同、詮索しないことにした。

 それでもバルア夫人と、バルアさんの兄嫁の2人の仏教徒女性は、この店の牛肉に始めから一切手を出さずに、野菜とキムチで、ビールも飲まずに、もっぱら米飯を食べていた。

 この国の仏教徒はほとんど酒を飲まない。2人の仏教徒女性は、酒・牛肉なんでもOKの日本人は仏教徒なのかどうか、いぶかしそうな眼差しだった。隣席のイスラム教徒も、酒は一切なし。コカ・コーラで、牛鍋をうまそうにつついていた。

 バングラデシュのイスラム教徒にとって、牛は最高のゴチソウとのことだ。年に1回、イスラムのお祭、イードルアザー(犠牲祭)がある。有力者や金持ち達が、山羊や牛を購入して、アラーの神に捧げる行事だ。解体した牛の3分の1は家族、3分の1は親戚もしくは友人に、そして残り3分の1は貧しい人にふるまう風習になっている。

 牛1頭の値段は、普通の給料取りの何力月分かに相当する。ダッカの貧しい人々は、日ごろ食する機会のない牛肉目当てに、この日は、有力者の家の周囲に集まるという。

「この店の付近は、高級住宅地で、その手の裕福なイスラム教徒と外国人が多く住んでいる」。バルアさんが、ダッカの市街区分を説明してくれた。イスラムの旦那衆は、野外市場に集まった牛をあらかじめ予約する。お祭の当日、化粧直しをした牛を、儀式をつかさどる男と解体作業屋を伴って引き取り、屋敷の庭で作業するのだという。

「どうやって解体するんですか」??このセレモニーを目撃したバングラのムスリムの話では、刃渡り30センチくらいの刀で、牛の頚動脈を切断するとのことだ。

 低い声で、「オオ・アッラーよ」と唱えながら…。切り刻まれた牛肉は、ビリヤニという炊き込みご飯の材料になる。ゲストは大勢であれば、あるほどおめでたいので、見知らぬ人でも家に招き入れて、何度も何度もおかわりを勧めるとのことだ。


≪ 異宗教間の奇妙な交易? ≫

「仏教徒は、そういう儀式には招かれても参加しません。でも話だけは知っています」。バルアさんがそう言う。この国の仏教は、殺生を禁ずる戒律があり、4つ足は食べない。だが「自らではなく、人が殺したものなら食べてもよい」という解釈もあるとのことだ。仏教から戒律の部分を全部はずしてしまったのが、儀式仏教という名の日本教だから、日本人の食生活は、何でもアリだ。

 聖牛焼肉説をとる瀬古さんのコンドミニアムは、焼肉レストランからすぐ近くの外国人街の一角にあった。

「バングラデシュといえば川ですよ。源流をヒマラヤに発するガンジス川、チベットに発しアッサム経由でこの国に入るプラマプトラ川が入ってくるデルタ地帯。それがこの国です。でも流れの15%がバングラデシュ領内で大部分は上流のインドに属している。だから、川下のこの国はいつも受け身で、世界有数の洪水地帯です」。水の専門家である瀬古さん宅での会話である。

「上流から水と泥。そして聖牛まで流れてくるというわけですか?」。「エェ、先ほどの話ですね」。瀬古さんは、奥から1冊の写真帳を持ってきた。牛を乗せた船が、ガンジス川を下ってくる光景であった。

 3枚の写真があった。それぞれ別の船だが、いずれも屋根のない川船で、牛が20〜30頭並んで、岸を見つめているスナップだ。

 望遠レンズで撮影したもので、鮮明な画面の中の牛は、確かにやせこけている。私は牛の年齢を見分ける術をもっているわけではないが、いかにも年寄りくさく、気のせいか憂うつそうな目をしている。

「インドではなく、バングラの牛ではないのか」。一瞬、そんな疑問もわいたが、(1)あまりにも老齢でやせていること(2)バングラ領内の上流に牛の積み出し港はないこと(3)インド国内で老衰死した聖牛のお弔いをやったという話も私は聞いたことがない??ことから、「インドからやってきた聖なる牛のなれの果てではないか」との容疑が深まってくる。

 そうであるとしたら、何たる奇妙な現象であることか。バングラ人とインド人、宗教が異なる故にお互いに嫌いである。インド人はバングラ人を見下し、バングラ人は、インドの不遜な態度に怒りをぶつける。でも宗教が異なるが故に、老牛をめぐる交易が、両者で成立する。

 用済みの聖牛も、国境を越えれば高い効果をもつ経済財に早変わりする。このような異宗教が生んだ皮肉な貿易は、ベンガルが、ひとつの州であった時代には想像することもできなかっただろう。
 



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