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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 海外・汽車の旅二題  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2002/01/29  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   あのNYの同時多発テロ以来、飛行機での旅は、わずらわしい。まあ文句も言えないのだが、空港の関所の煩雑な手続きが、旅のよき思い出をことさらに削いでしまうからだ。だから、あれ以来、海外でも汽車の旅が見直されている。ご用とお急ぎの向きでないなら、海外旅行はやはり汽車が面白い。 

 飛行機だと、何とかやりくりしてビジネスに乗り、エコノミー症候群とやらを免れたにしても、機中での出合いの面白さとか、ハプニングがあったとしたら、同時多発テロはともかくとしても、ハイジャックや事故であり、「ハイ。それまでよ」になりかねない。その点、汽車の旅は、相乗り客との対話や、思わぬ出来事などバラエティに富んでいる。


≪ パリにイラン行きの汽車あるわけないでしょ ≫

 とっておきの話をご披露しよう。いまから10年前、私はパリからマドリッドまで汽車に乗った。旅行エージェントの予定表では、パリで1泊の後、翌日、飛行機でマドリッド入りするはずだった。パリでの用件はひとりの人物に会うだけだった。用件を済ませて気が変わったのである。

「ねえ君、夜行列車に乗ろう。ホテル代を浮かして、ウマイもの食おう」。同行の当時、国際政治学者のタマゴだった川上高志君(現・北陸大学法学部教授)にそう持ちかけたのである。

 パリ南駅に出かけ、マドリッド行きのノンストップ「国際特急」のチケットを求めたら、満席とのことで、次善の策として深夜11時30分発の国内寝台特急を予約した。駅裏に日本人経営のすし屋を見つけ、3時間ほど飲んで食い続けた。ワインと刺身は意外に合うと思ったものだ。ほろ酔い気分の2人は、駅のロッカーに預けた大荷物を引きずって、1等の2人用コンパートメントの客となった。ルンルン気分の若き川上君を制し、私はこう言った。

「この汽車の行き先は確かめたか。標示板に“IRUN”と書いてあるぞ。フランス語の発音だと、イランだよ。本当にマドリッドに行くのかね」

 彼は駅員に確かめるべく、ホームに降りた。「驚かさないでくださいよ。パリにイラン行きの汽車、あるわけないでしょ。IRUNのUの上に、点が打ってあります。イランではなく、イルンです。スペイン側の国境の村の名前ですって」。間違いなくスペインに行くと保証されて気が大きくなった。1泊3万円もするホテル代を節約したうえ、航空運賃の払い戻しも後刻入るとあって、また酒盛りをはじめたくなった。でも、深夜特急とあって食堂車はない。そこで車掌を呼んだのである。

「ムッシュー。ワインとオードブル手に入らないかね」。そう英語で言った。「この列車のお客は就寝するために乗車している」苦り切った表情の彼は、片言の英語でそう言った。洋の東西を問わず、こういうときは心付けが必要だ。5ドル札を1枚渡した。車掌はびっくりした表情で札を眺めている。酔眼朦朧。しまった! 何とそれは20ドル札であった。彼は「お待ち下さい」とか言って姿を消した。

 20分ほどしてその車掌がコンパートメントのドアをたたいた。安物のワインの半分ほど入ったビンと少々のハムとチーズの切れ端を持ってきた。「お代はいらない」。ニコやかな表情でそう言った。多分、彼の弁当の一部を進呈してくれたのだろう。「あなたのこと日本のヤクザの親分だと思ったんですよ。あなたの英語、酒飲むと低音でゆっくりしゃべる癖がある。人に恐怖を与える。札ビラ切ったりして。シシリー島のマフィア映画丸出しですよ」。川上君は渋い顔をした。


≪ 誰がために鐘は鳴る ≫

 翌朝、午前7時。定刻を1分もたがえず終点のスペイン領イルン駅に到着。後刻、地図で調べたら、ピレネー山脈の西側のビスケー湾に近い、バスク地方の小さな村であった。ここからマドリッドまでスペインの国内特急が待っていた。

 小さな大八車を引いたポーターが近寄ってきた。5ドルで跨線橋で繋がった反対側ホームの列車まで連れていってやると言っているらしい。2人は、荷物を引く彼の後に従った。乗り継ぎ客の列とは反対方向のホームの先端に連れていかれ、徒歩で線路を横切り、まだ誰も乗っていないスペイン国鉄の車両に乗り込んだ。1等車のない4人向かい合わせのローカル列車だった。「イミグレーション(入国審査)とカスタム(税関)はいいのか」。ポーターに念押ししたが、「OK、OK」と言うだけで埒があかない。EU発足以来、いまでは両国の通関はほとんどフリーパスだが、当時の仏・スペイン国境は結構うるさかったはずだ。

 予期せざるフリーパスのスペイン入国で何か儲けものをした気分であった。車窓のバスク地方の初夏の景色を満喫する。バスクは、両国国境にまたがるピレネー山麓に住むフランス系でもスペイン系でもない人種の住む土地だ。言語も、ラテン系であるフランス語やスペイン語とは共通性がない。バスク人は「我らの祖先はこの山中から湧いてきた。だから他のヨーロッパ人とは異なる」と自称している??ものの本でそう読んだ記憶がある。バスクの人々は、独立心がことのほか強い。

 ここはヘミングウェイの名作、『誰がために鐘は鳴る』の現場である。同行の川上君に車中で講釈した。1936年、独裁者フランコ将軍が、スペインの共和制を粉砕すべく、ヒトラーとムッソリーニの後盾てで内乱を起こした。バスク人はフランコによってバスク語を話すことを禁じられた。バスク人は民族自決と自由を求めて、フランコに対して武装蜂起した。アメリカ人をはじめとしてリベラリストたちは共和制を守るべく、市民の資格で義勇軍を結成した。バスク人とともに戦ったアメリカ人のボランティア。それが、あの小説の主人公だ??と。

 車窓から見るスペイン領内のバスク地方は山また山のフランス側とは異なり、丘と谷が交互に展開していた。どうやら1つの谷に1つの村があるらしい。谷は牧草に覆われていた。牧民が羊の群を追っている。白い壁に赤か緑の屋根の農家が点在している。映画『誰がために鐘は鳴る』の光景であった。丘には石がいくつも見える。映両の主人公を演ずるゲーリー・クーパーは、恋人のバスク人女性に扮するイングリット・バーグマンを馬に乗せて逃すべく、ただ1人戦場にとどまり追手のフランコの大軍と闘った。彼は岩陰に機関銃を据えつけ、全弾打ち尽くしたのち戦死した。

「もしかしたら、あの山道の大きな岩だったのかもしれない」あの小説のクライマックスを連想し、そんな感慨にひたったのである。


≪ 腹すかしのハプニング ≫

「だから、飛行機より汽車がいいと言っただろ」。川上君に説教した。だが、私の得意満面はそこまでであった。喉が乾き腹がへってきたのである。ビュフェ車両で何か求めるよう頼んだのだが、彼はしょげて戻ってきた。「スペイン・マネーじゃないと売らないんですって」。調子に乗って無届でスペイン入国した報いであった。正規入国した乗客たちは、乗り継ぎイルンで、持ち金をスペイン・ペセタに交換していたのだ。目的地マドリッドまでまだ8時聞もある。若いアメリカ人のバックパッカーが、ウマそうにサンドイッチをパクついている。彼なら英語が通じる。川上君に10ドル札を持たせ、両替してもらうように頼んだ。だが交渉は不成立だった。

「現地通貨は持っていないんですって。そんなに困ってるなら、パリから持参したサンドイッチと水を少しあげようといってるけど…」と。「馬鹿いうな。人に食べ物を恵んでもらえるかよ」と私。武士は食わねど辛い。検札に来た車掌に交渉した。英語がさっぱり通じない。「外為法違反と言ってるらしい」と川上君。押し問答の末、10ドル札を内ポケットにしまい込み、何がしかのペセタを寄こした。「物価の安いスペインなら、10ドルあれば、いろいろ食える」と皮算用したのが甘かった。

 川上君が、車掌と交換したペセタを全部はたいて列車の売店で仕入れた食料は、パン2個、水ひとビン、コーヒー2杯。それだけだった。「君、砂糖はタダのはずだ。たくさんもらってこいよ」。コーヒーに砂糖をドロドロにぶち込んで、マドリッドまでの必要なカロリーをかろうじて補った。「車掌に為替レートをごまかされた」と悟ったが手遅れだった。私のお粗末の一席だ。

 先日、ニューヨークのマンハッタンからワシントンDCまで久しぶりにAMTRACKの特急を利用した。

 車中で高校生の頃観たハリウッド映画『見知らぬ乗客』の光景を思い出した。この同じ列車が舞台で、偶然に車中で会った客に、“交換殺人”を持ちかけられる。双方とも殺人の動機はある。1人は妻、もうひとりは父親。お互い相手を取り替えて殺せば、警察にはばれないのでは…との筋書きだ。さて、結末はいかに?

 汽車の旅には意外性がある。出合いがある。ハプニングがある。その面白さを遺憾なく発揮したアルフレッド・ヒッチコックの名作である。
 



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