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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 「パリ」で平和を考えると・・・  
コラム名: 文化問答“ヘソ曲がり人”の旅日記  
出版物名: 月刊ぺるそーな  
出版社名: マキコデザイン株式会社  
発行日: 2002/01  
※この記事は、著者とマキコデザインの許諾を得て転載したものです。
マキコデザインに無断で複製、翻案、送信、頒布するなどマキコデザインの著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  「テロの冬、トランク引き摺り、コンコルド」

 昨年(2001年)、暮れも相当押し詰まってから、パリに行く要件があった。パリ訪問は通算すると10回以上になる。ほとんど会議の出席か、人に会う用件で、今回も観光抜きのパリ旅行であった。だから「花のパリ」とは、いかなるところなのか、実のところ、私は今もってよく知らないのだ。今回の仕事のテーマは「平和」であった。

 パリに本部のあるUNESCO(国連教育科学・文化機関)から「ユネスコ平和教育賞の授賞式」に出席して、一言、あいさつせよとの依頼があったからだ。この賞が国連に設けられて20年経つが、その基金のスポンサーが私の勤務先、日本財団なのだ。そんないきさつからパリで「平和の話」を一席やることになったのである。コンコルド広場裏のホテルを予約しておいた。未明にパリ・ドゴール空港着(実はベトナム出張のついでにパリまで足をのばしたのだ。)のハノイ発の夜行便でパリに入る。タクシーでホテル玄関を目指したのだが、広場からホテルまでの路地が警察の装甲車で封鎖されている。やむなく、重い荷物を引きずってホテル玄関まで100メートルも歩かされた。

「路地の入口がアメリ力大使館なんです」。チェックインしたフロントでそう云われて、初めて事情がのみこめた。

 例のNYのWTCビルのテロの余波で、米国大使館はパリ警視庁にとって最重要の警戒対象だった。その点は、東京赤坂のアメリカ大使館とて同様だが、道路1本丸ごと通行止めとは、さすが警察国家フランスだった。

 ところで、コンコルド広場。「コンコルド」とは「調和」という意味だ。だがこのパリで一番有名な広場の故事来歴は、そんな優雅な内容ではない。フランス革命時には処刑場であった。1793年にルイ16世とマリー・アントワネット、そして、その後、革命の指導者であったダントンやロベスピエール、そしてその他1119人の革命、反革命派が処刑された。パリが最も混迷した時代の血塗られた舞台だった。それが「恩讐の彼方に」を地で行くかのように、怨みと仇を超越すべく、CONCORDE(調和)と改名したのだ。

「テロの冬、トランク引き摺り、コンコルド」。ホテル玄関まで、100メートルも歩かされて浮かんだ私の一句。下手な句であれば、あるほど解説が必要だ。(テロの時代の到来で、パリのへそと親しまれるコンコルド広場も、“調和”とばかり言っておれぬ。怨みと仇の総本山である米国大使館を断固守備すべく、フランス政府は道路丸ごと1本を閉鎖した。)


「己の欲せざるところ、人にするな」

 そんな思いにひたりつつ、ホテルで一晩、仕事の主題である平和教育の要諦を考えてみた。UNESCOから配布された受賞者名簿と、受賞理由を読んだら、平和の構築のやり方について、ひとつの共通点があることがわかった。そのひとつは、対話が大切だということ、第2は自分にしてほしいことを、人にしてさしあげることだと説いているのだ。第1の「対話」の必要性はいいとして、問題は第2のポイントだ。これは一神教、とりわけキリスト教の考え方を基礎においたものだが、はたしてそうなのか。私はかねてから疑問をもっていた。まず第1に押しつけがましいということだ。自分にして欲しいことが、他者にとって、して欲しくないことだってある。この種の考え方は、「私の考えは、絶対神、絶対的価値観に基づいている。だから私の考えは普遍性をもっている。よって、私にとって良いことは、人にとってもよいことだ」という一種の押しつけではないのか。

 私は、ホテルで別表のマトリックスを作ってみた。

 (1) 自分にしてほしいことを、人にする。(キリスト教的押しつけ)

 (2) 自分にしてほしいことを、人にしない。(せちがらい、この浮世)

 (3) 自分にしてほしくないことを、人にする。(けんか、戦争)

 (4) 自分にしてほしくないことを、人にしない。(私流、平和教育の要諦)

(2)の「自分にしてほしいことを人にしない」は、隣人愛を説くキリスト教の立場から言えば、愛のない冷たい世界だろうが、それこそが、浮き世というものではないのか。(3)は、よくよく考えてみれば、敵に対する攻撃法であり、戦争である。(4)は、論語の世界である。「子貢日、我不欲人之加諸我也。吾亦欲無加諸人。」(我れ人の諸れを我に加えんことを欲せざるは、吾れ亦諸れを人に加えること無からんと欲す)。「人が自分にこうはしてもらいたくないと思うことは、自分もまた、それを他人にもしたいとは思わない」。これは凡人にはなかなか出来ないことだ。だが、(3)が、戦争なのだから、これと正反対の(4)の教育を常に行うことが肝要ではないのか。そう思ったのである。

 このマトリックスをもとに、UNESCOでの平和教育のあいさつの草稿を作った。まず第1に、平和構築で、最も大事なのは世界は文化や宗教などの異なる人間が住んでいることを認識すること。そして自己と他者との相違を理解し、出来ることなら他者の文化を尊敬すること。第2に、自分にとってよいことは、他人にとって必ずしもよい事とは限らない。だから、自分にしてほしいことを、人にするよりも、むしろ自分にしてほしくないことを人にしないことの方が大切なのではないか。??を強調した。1994年のノーベル平和賞についても言及した。この年、パレスチナ解放機構アラファト議長、イスラエル・ラビン首相、ペレス外相に「イスラエル建国以来、初めての平和への路線が敷かれた」との理由で、ノーベル平和賞が授与された。でも不幸なことに今日、この両者は敵味方に別れて、新しい闘いをやっている。戦争の世紀といわれた20世紀は終わった。そして21世紀は、テロリズムとこれに対抗する新しい戦争によって始まり、「自分にしてほしくないことを人にする悪しき行為、戦争はますます拡大している??と結んだのだ。


平和と神道イズム

 パリで、平和をテーマに、興味深い人を紹介され、文化問答をやった。その人の名は、オリヴィエ・ジエルマントマ氏。著名な作家であり、かつフランス国営文化放送のプロデューサーでもある。私は、世界の人間のそれぞれがもつ神々の違いを認める多神教こそが、平和をもたらすとの仮説をもっている。ジエルマントマ氏は、フランスからの手紙「日本待望論」の著者でもある。

??ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった一神教は、荒れ地に生まれた砂漠の哲学だ。他の神々の存在を認めない、一神教の唯一絶対の考えが、世界の紛争を生む根源なのでは?

「私はキリスト教徒だから神を信じている。しかしこれが他の神を認めないということにはならない。少なくも私の場合は。私はイエスとともに、日本の神道も信じているのだ。フランス人の古い祖先であるケルト人は多神教で、神道に近いものだった」

??日本の自然の中に神々がいるという神道には、平和の哲学が貫かれていると思うか?

「その通りだ。日本には、風と木々の生きた気配を感ずる文化がかろうじて残っている。しかし欧州の国々は、科学の進歩の過程で、有史以前から、人間と天の間に結び合わされてきた絆が失われてしまった。自然の生命や美への共感は、我々の心に空(くう)と沈黙をもたらす。それは物質的欲望と自然の征服によって象徴される現代文明が忘れてしまったものだ。核戦争や地球環境破壊など文明の危機の根源はここにある」

??あなたは、「日本待望論」の中で、世界は日本を必要としている、といっているが・・・

「私はね。著書の中で訴えてるんだ。どうも日本人は、自然の宗教である先祖の偉大なる文化遺産を忘れているんじゃないかと。たしかにアメリカという国は偉大だよ。でも、世界中が、アメリカ文化というユニフォームを、着せられるのは恐ろしいことではないか。日本の自然は、山によって完全に守られている。その中に神道がある。これこそ人類史上最大の精神文化なのだ。ローマ法王やダライラマなど世界の霊的指導者は、世界を飛びまわって平和を説いている。それなのに、神道は日本列島にこもったままだ。人間が昔もっていた天との絆を復活するために、日本神道は、世界で大きな声で発言すべきだ」。

 今回のテロリズムとは一神教世界の弱者が、一神教世界の強者の作ったグローバリズムに仕掛けた自殺攻撃である。一神教の論理では平和は回復できない。多神教、しかも自然宗教であるSHINTOISMこそ平和への使者である。パリ発の美学の薫り高き日本文化論である。
 



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