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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 親分たちの戦後  
コラム名: 夜明けの新聞の匂い  
出版物名: 新潮45  
出版社名: 新潮社  
発行日: 2002/01  
※この記事は、著者と新潮社の許諾を得て転載したものです。
新潮社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど新潮社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   今この原稿を書いているのは、11月28日夕方。新聞はタリバンとオサマ・ビンラディンの運命は旦夕に迫っているような書き方をしている。オサマは病気ではないが、米軍に襲われた時には、自分の命を断つようにという指令を出していて「ボディーガードの1人は自爆装置入りのブリーフケースを携えている」(毎日新聞11月28日付け)と見て来たような報道も出るようになった。私の原稿は普通なら、もう1週間は遅い締め切りになっていて、そうすればまた情勢はもう少しはっきり固定されているかもしれないのだが、私は12月初めからインドに入り、バンガロールから車で11時間もかかる、ファックスなどとうてい繋がらないムンドゴッドという奥地に入るので、原稿は早く書いて置かねばならないのである。

 政治にも経済にも深くかかわったことのない小説家の私は、いかにオサマとは言え、まだ彼がアフガニスタンのどこかの地下洞窟に潜んで生きているというのに、もう「タリバン以後」をどうするか、という話し合いが行われている、などと聞くと、「残酷だなあ。今からそんな用意をしていいのかな。世の中はすべて予想通りになったことがないんだから、そんなことを話し合ったら思いもかけないどんでん返しが来るかもしれないのに」などと恐れているのである。

 北部同盟を大きく4つの区域に分け、それぞれの地方に君臨している「指導者」のことを、英字新聞は「ワーロード」と書いている。早速私の持っている電子辞書を引いてみると、「(軽蔑の意味で、群雄割拠の国の)将軍」と書いてある。

 しかし何となくぴんと来ないので、かつては大学の英語の先生だった夫に「ワーロード、って何て訳する?」と聞くと、新聞を見ながら上の空で「親分」と答える。時々は「ボクのアタマを辞書代わりに使うな」と言って怒るのだが、その日は、さらに心ここにない様子だったから、いい加減な答えをしたのだろう。

「そうか、それなら清水次郎長氏、とこれからは氏をつけよう」と咳いてみたが、それには応答がなかった。

 しかしこういうワーロードたちを話し合いの席に就かせることほど大変なことはない。何しろ彼らはワー=戦争のロード=首長なのだから、穏やかに話し合いでことを収めることがいいことだなどと思ってもいまい。彼らの頭にあるのは、自己の部族の勢力拡張のみであろう。つまりアフガニスタンの将来など考えていないのだ。それより誰が親分になり、誰がその権勢の分け前にどれだけ与れるかということである。

 戦後処理の第一は、難民問題であろう。私たちはごく限られたアフガニスタンの光景を見て来た。例外を除いて緑の見えない荒野。部厚などてら風の上着を着た男ばかり。女性はカブール陥落前は誰もがブルーのブルカをかぶっていたから、テルテル坊主のようである。昔アラブで働いていた日本人の医師が、顔が見えないから女性患者の識別が大変だと話していた。

 このような戦争になったからアフガニスタンから難民が出た、と思っている人が私の周囲にたくさんいる。しかしアアガン難民は以前からずっと周辺国に流入していた。私が働いている日本財団は、以前からイランのUNHCR(国違難民高等弁務官事務所)に対して、イランにいるクルド難民のために100万ドルの医療費を支出していた。当時約200万人のクルド人がイラン国内にいたから、「それじゃ1人当たり50セントにしかならんですなあ」と計算の速い日本人の商社マンに言われて、私は何となく申しわけない思いをしたものだが、そのお金で子供の心臓手術なども行っていたのである。

 その時、アフガン難民の方にも出してくれ、と言われたが、財団としてはそれ以上の支出は困難であった。イランではアフガン難民の流入を「困る、困る」と言い、実際に困る面もあったろうが、イラン人もクルド人もしたがらない3Kの仕事をさせるのに便利な労働力だとして、アフガン難民を利用していた面がある。

 難民の発生も貧困も、アフガニスタン人にとっては今さらではないのである。日本人は彼らが不潔でボロとしか見えないものを着ていると「貧しくてかわいそうねえ」と言い、「もう少しきれいな着物を着たいでしょうねえ」と同情する。私は、こうしたボロを着た人々に衣服を与えた体験のある日本人に会ったことがある。その人によれば、彼らはたちどころにその衣服を売ってしまって相変わらずボロを着続けていた。それほどに金がなく、もらった服を売った金で食物を買ったのだ、と考えればいいのだが、彼らは別にボロでない新しい服を着たいなどとは思わないのである。

 破壊された村に残された学校の建物だ、というがらんとした建物を映した場面で、CNNの女性リポーターは言った。

「学校は開かれていません。建物にはドアも窓ガラスも残っていません。机も椅子もありません」

 厳密にノートを取っていたわけではないが、彼女はそのような意味のことを言った。

 しかし私に言わせれば、その学校の建物を世界的レベルで見れば、かなりいい建物の方である。壁には苫かござを張り巡らしただけ、屋根は椰子の葉葺き、などという学校はいくらでもある。

 CNNの女性リポーターの知識もこの程度である。数日後から私が入ろうとしている南インドは農産物の豊かな土地だが、それでも私たち日本人に金を出させて、ヒンドゥ社会の外に置き去りにされた部族の子供たちの学校を建てたイエズス会の神父たちは、低学年の子供たちには、決して机も椅子も与えない。貧しいからという理由もあるが、もし彼らの部族が牧畜民であれば、定住しない人たちは絨毯以外の家具を持たないのが普通だからだ。

 彼らの家は泥を固めた床で、机や椅子などないのだ。電気もない家の中で、彼らはあぐらをかいて坐っている。学校でいきなり机に向かって椅子に坐れと言われたら、彼らは緊張で体がおかしくなってしまう。

 だから私たちの寄付で建てたインドの小学佼では、3年生までは、学佼の教室でも床に坐っている。その間に、もっと大きくなったら椅子に坐って机に向かうのだ、と上級生を見ながら心の準備をする。だから机と椅子がないことを、どうしてそんなに哀れに思うのか、私には分からない。アメリカのインテリもそれほど彼らの生活を知らない。

 あれだけ大勢の男たちが、戦争をしているか、逃げているか、道に立っているか、そんなことしかしていない。羊の群もニワトリもテしビの画面で見たことがない。

 わずかに小屋がけの商店を営んでいる人たちは見えたが、多くの人は大して働きもせずに暮らしている。難民はキャンプの中で、やはり何もしていない。あれだけ大勢が徒食していて、どうして国や社会の運命が開けるか、と私は思う。何もしない人々を「飼う」ことは、どのような国家にも部族にもできることではない。

 タリバン以後の先進国の大きなテーマは、当然のことだが、難民支援である。アメリカの大統領も国連事務総長といっしょに、救援食料の増加を話し合っている。

 難民たちは、アフガニスタンでも「難民業」という仕事を見つけたのだ。この騒ぎが起きる前に、パキスタンに出稼ぎに出ていたアフガニスタン人は、パキスタン人が嫌がってしない危険な石炭掘りをやっていた、とテレビは言う。それは重労働で、多くの人が結核患者になったろう。だが自国内に仕事がなければ、家族を養うためにそんな出稼ぎもしなければならなかったのだ。

 しかし戦争の「おかげで」彼らは住む場所と食料を保証してもらえるかもしれない状況になっている。難民キャンプの中に住む人々の生活の方が、周囲の村に従来から住む普通の住民の暮らしよりずっとましで、しばしば嫉妬の対象になっている、という例は世界でいくつもあるだろう。

 難民キャンプの中では、少しばかり豆やオクラなどを植えているというケースもあるが、多くの男たちは1日中、壁に背中を押し当てて股を開いて地べたに坐り、両手を膝の上において、だらんと何もせずに生きている。もちろん仕事がないからそうしているのだろうし、配給されるものも充分ではないだろう。彼らの住む小屋など、家とは言えない、とほとんどの日本人が言うだろうと思う。

 しかし戦争の前だって、彼らは私たちから見れば家畜に近い生活をしていたのだ。前にも書いたが、電気なし、水道なし、窓ガラスなし、風呂なし、家具なし、の暮らしである。それが難民キャンプに入れば、ともかく、小麦粉、砂糖、食用油、石油など、どうやら生きていられる程度のものは、ただでもらえるのだ。こんなうまい話はかつてなかった、という人もいるのである。そしてこういう事実を書くと、日本人の中には必ず怒る人がいる。難民は心がけのいい不運な人だとしなければ判断が混乱して何も考えられなくなるという純真さなのである。

 11月28日付けの産経新聞は、イスラマバードから送られた鈴木真特派員のユニークなニュースを伝えている。「アフガニスタンの首都、カブールがあっけなく北部同盟の手に落ちた裏には“買収”されたタリバンの前線司令官の寝返りがあった??。」という内幕である。記事によると、2人のタリバン側の「司令官」なる人物が、カブール陥落前日に脱出してしまったのである。このうちの1人ダンガル司令官という人物は、直前まで「女や子供も動員してカブールを守り抜く」と言っていたそうだ。逃げるつもりがあったから、わざとそう言っていたと見るべきだろう。日本では私でさえ「騙す方が悪い」と思っているが、世界の多くの社会では「騙される方が悪い」のである。

 ダンガルは米中央情報局(CIA)が提供した約2億5000万円のワイロを貰って寝返ることを承知したのだというのが風評らしい。この手の内幕というのはすべて風評である。ただ風評の生れる風土にはなかなか意味があるのだから、決してなおざりにはできない。

 この金額については、ダンガル司令官自身が今ごろ烈火の如く怒っているかもしれない。「俺はそんなにもらっていない。受け取ったのは、たった250万円だ」なのかもしれないのである。CIAの方も同じだ。実はダンガルに5億円出したはずなのに、北部同盟側の誰かが半分をネコババして、半分しかダンガルに渡していないことが明らかになった。それなら最初からもっと安く値切ればよかった、というわけで、CIAの近代精神に満ちた紳士たちもまた、臍を噛み直しているかもしれない。

 つまり大勢の人が寄ってたかって「なし」をつけ、戦争のどさくさ紛れは儲かる、という原則を再確認したのである。宗教の対立もへったくれもない。

 記事の通り、1人の司令官に2億5000万円ずつ、2人だと5億円出したとしても、CIAの計算では安いものだということになっていたのだろう。巡航ミサイルだの、クラスター爆弾だの、5000ポンド爆弾だの、1万5000ポンド爆弾(BLU82)だの、アフガニスタンで使われた主な「爆弾」の一発の値段を、鈴木特派員が無知な私のためにもう少し書いておいてくれれば、この手の閑人の楽しみはもっと増えたのだが、まともな戦争よりできればワイロで片をつける方がどれほど安いか知れない、ということもまた1つの鉄則なのである。

 日本人はこういう発想自体を嫌悪する。自衛隊がどこか紛争地にPKFとしてでかけて行った場合、周囲にゲリラの活動の危険性があったら、「俺の国の陣地だけは攻撃するなよ」(ということは、やるなら他の国のPKFの陣地をやれよ、ということでもあるが)と言ってワイロで話をつけることがもしできれば、それも1つの戦術なのである。1000万円かかる防備が、もしかすると月々3万円のお手当てで済むかも知れないのだ。そして自衛隊員の命は安全になり、ゲリラもハッピイになって、うまくいけばおとなしくもなる。それほど貧しい世界というものは存在する。

 しかしこの場合、厄介なのは日本の会計検査院と幼稚なマスコミの存在だ。会計検査院は3万円の使用目的が曖昧な上、受け取りがないと認められない、と文句を言うだろうし、マスコミは突然、ワイロで安全を買うとは何事だ、と純真なことを言い始める。



 同時多発テロ事件は、民主主義を採用しない国で発想され輸出された事件である。だから民主主義しかこの世に存在しない、か、民主主義以外の社会体制はすなわち悪だと思っている単純な思考の人々には、ショックの余り何が何だかわからなかったのである。いつも言っていることだが、電気のない土地には民主主義がないのだから、世界の約3分の1の人たちが電気の恩恵を受けない土地で暮らしている以上、その人たちは民主主義とは全く違う族長支配の文化の中でしかものを考えていないことを忘れてはいけない。

 11月28日付けの毎日新聞の井田純記者の解説も、初歩的なことを日本人に教えてくれるいい記事を書いている。

「バシュトゥン社会では個人は部族長に従い、他の部族メンバーとの個人的もめごとも部族長同士の話し合いで解決する。個人の金銭貸借をめぐるトラブルなども、双方の所属する部族長に委ねられ、非があるとされた部族メンバーがその長から処罰を受ける」

 もし民族自決、個別の文化の尊重を考えるなら、私たちは今後恐らく長く続き、ほとんど解決などしないであろうと思われるアフガニスタンの戦後混乱を見守る他はない。民主主義が思想的穏健な武器としては全く効かない社会だからだ。ただ私たちにもするべき仕事はある。文字の読めない人を教育によってなくし、電気を引いて外部世界がいかに生きているかを、視覚的聴覚的に溺れるほど知らせることだ。これは外部の世界に住む我々の文化を押しつけることにはならない。選択を相手に委ねることこそ、民族自決の方法だ。

 しかしタリバン以後のアフガニスタンは、親分たちのあくなき抗争の場に移行するだろう。彼らに地雷やミサイルさえ渡さなければ、彼らなりに生活とはそんなもんだとたくましく思い続けて生きて行くに違いないのである。(2001・11・28)
 



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