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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 賛同?同じ人など1人もいないのだ  
コラム名: 自分の顔相手の顔 492  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/12/18  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   たった2週間ほど、インドの奥地に入って日本に帰って来ると、ほんの数日の聞だがすべてのことが目新しく見えて感動する。国内でも、少し長い旅行をして自宅に帰って来ると、今まで全く気がつかなかったドアの傷や、玄関のクモの巣が急に気になるのと同じである。

 日本のテレビが何ときれいなのか、ということも、夜の楽しみであった。私の英語の力はいい加減なものなのだが、それでも外国の放送が一応何を話しているのかは大体わかってそれなりに楽しんでいたつもりだった。だが、画面の鮮明さは、日本のテレビの受信装置の精度がいいのか、放送局の場面作りの神経が繊細なのか、すばらしく新鮮に思える。

 しかし日本人の若いキャスターたち、特に女性が甲高い声を上げて大げさに喋ることが改めて奇異に感じるようになっていた。外国放送も女性キャスターが多いが、彼らが自分の感情を示すために、声を張り上げることはほとんどない。声を張り上げるのは、一口に言うとヤボというものなのだ。昔の代議士たちは決まって、甲高い独特の声を出して演説をしたものである。今では北朝鮮の放送にその古色蒼然としたヤボ口調が残っている。

 もう1つ忘れていたのは、日本の若者独特の話し方があることであった。それは日常会話の中で「××じゃありませんか」という語尾をつける人が多いことである。私など年寄りで根性が悪いから、「あなたはそうでも、私はそうは思いませんけどね」と言いたくなる時があるけれど、仕方がないから黙っている。

 自分がそう思ったら、相手に賛同を求めることなどないのだ。あの語尾は、民主主義の間違った応用がもたらしたものだ。暗黙のうちに、相手も自分と同じ考えの陣営にいるということを、ヒソカに確認して安心しようという魂胆である。

 誰かと意見や好みが同じなことも確かに楽しい。酒好きは、そういう好みの人たちだけが共有する豊かな楽しさを知っている。しかし同じでないから、その人を必要とされることも多いのだ。

 多数の死者が出た時、最近ではその人の遺体のDNAから死者を判別できるようになったことが示すように、同じ人など1人もいないのだ。人は違っていて当然である。何もいちいち同意を求めることなどない、とはっきり意識する若者たちが出てほしいものだ。
 



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