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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: テロの季節 飛行機に乗ると・・・  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2002/01  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ≪ アムステルダムからボストンヘ ≫

 テロリストの時代、誰しもが飛行機に乗りたくなくなる。たとえば東京なら、空の旅を敬遠するので、熱海や伊東の温泉とか月並みな観光地が満員になる昨今だ。私とて空は敬遠したくなる。命が惜しいのは言うまでもないが、入管とか税関とか、外国の関所を潜(くぐ)るのが、煩わしいのだ。でも、そうとばかり言ってもいられない。2001年9月11日、NYの2本のワールドトレードセンター・ビルに、あのウサマ・ビンラーデンのハイジャック機が突っこんでから、何度か海外に出張した。その体験記を書こう。「渡る関所は鬼だらけ」だった。

 10月18日。ヨーロッパのハブ空港のひとつオランダのアムステルダム。ノースウェスト航空でボストンに向かう。この空港から、3回アメリカに行ったことがある。以前は、能率よく快適に乗り継ぎができた記憶があり、欧州で仕事をすませわざわざアムステルダムをアメリカ行きの経由地に選んだのだ。

 だが指定されたゲートに向かうコンコースは長蛇の列だった。ヨーロッパ出張帰りのアメリカ人ビジネスマンで大混雑だ。行列につくべく「これボストン行きか」。最後尾の男に尋ねた。「I hope so」男は肩をすくめた。行列の先頭で何が起こっているのか見えてこないのだ。1時間も並んで、ガラス越しにゲートの内部が見えてきた。6つの演壇様のものがしつらえられていた。1人ずつそこに呼び込まれる。

 ようやく私に番が回ってきた。言語別に振り分けられるのだが、もちろん日本語の演壇はない。当然のように英語組に編入される。日本人らしき乗客は、私以外にはいない。感じの悪いオランダ人検査官だった。

「どこから来たか」「日本だ」「それはわかっておる。いつどこの国からアムステルダムに来たか聞いてるんだ」「KLMでチェコのプラハから来た。乗り継ぎだよ」「どこのホテルに泊った。ちょっと待て」日程表を出して確認する。「プラハのマリオットだ」「書類を見ずに答えよ。(後日判明したのだが、あとで同じ事を2回聞いてウソの申立てをしているかどうか判定せよ??と検査官のマニュアルにある)」「お前の荷物は誰がパックしたか。そうか自分でやったのか。何時に荷造りしたのか」。〈ちょっとねえ、俺容疑者じゃないよ。そんな事関係ねえだろ〉と言ってやりたいところだったが、そこは辛抱のしどころだ。「あんたの英語聞き取り難いよ。もっとはっきりしゃべってくれんか」。代わりにそう言ってやった。

「そうか。そのように努力する。ところでお前、名刺を1枚出せ」。この男、ムッとしていた。〈怒らしちゃまずい〉と思ったが、もう手遅れだ。「ホウ、FoundationのExecutiveね。何をやってるんだ」「NGOだ。Philanthropyのね」「何? そんな言葉は知らん」

 私の勤務先は、日本語で説明したとしてもわかり難いNGOなのだ。ウサマのアルカイダは、テロの資金の隠し場所として、世界各地に慈善事業を装ったNGOをもっている。NGOと聞いてますます疑わしそうな目つきになった。説明すればするほど“容疑”が深まっていく感じなのだ。資金源、資金量、年間予算、従業員数にいたるまでしつこく聞かれた。〈ジャーナリストだと言うべきだった〉と一瞬思った。でも結果は同じだろう。

 スパイ扱いされるのが関の山だ。この間15分のロスタイム。動機はともあれ、われわれの財団に重大な関心をもってくれたのだから、まあ良しとするか。

「手荷物の中身は何か。Electronic Device(電子機器)持ってるか」「持っている」「Lap top
(パソコン)か」「いや電子辞書だ」。バッグを開けて見せようとしたら、男は懸命に阻止した。「やめろ。ここで出さんでくれ。手荷物検査は向こうでやってくれ」。苦笑する。〈こいつ、俺のこと爆弾犯人とでも思ってるんじゃなかろうか〉と。


≪ 「U・Sビザがないじゃないか!」 ≫

「お前のパスポートについて質問がある。ボストンに行くんだろ。U・Sビザがないじゃないか。どうしたわけか」。〈どうだ参ったか〉の表情がありありだった。「日米二国間ビザ協定がある。3カ月以内なら相互にノー・ビザなんだ」。男は疑わしそうに私の顔をのぞき込む。私のパスポートを取りあげ、奥に伺いをたてに行った。戻るなりくぐもった声で「Thank you」と言って、荷物倹査場をアゴで指した。獲物を釣り落として、いかにも残念そうな男の表情とお見受けしたのは、私の思い過ごしか。

 8時間後の同日。ボストン空港で。アムステルダムの関所潜りの後だけに入国管理は簡単だった。だが、難所は税関だった。私は最初から目をつけられた。私のパスポートのせいだ。世界各地の出入国記録のスタンプが余白のなくなるほど押印されている。

「トルコ、アゼルバイジャン、チェコに出かけてるね。この時期に何の用事があるのか」。相手の目的は私の荷物の課税の手がかりをつかむのではなく、人物調査に重点があった。非米国人に対しては特に厳しい。「勤務先はFORD財団みたいなNGO」と言ったら、「Humanitation(人道援助)かね」と。さすがアメリカ、FORDの名前を出すと通りがいい。やれやれと思ったのもつかの間、そこからが執拗だった。

 私の荷物を丹念にひっくり返して、書類や手帳を出して念入りに読み始めた。「ほう、チェコで中東問題のセミナーに出席したのか。ここにDisglobalizationと書いてあるね。どういう意昧だ」。「NYのテロ事件は、グローバリズムに対する反撃だという概念だ」。〈しまった。余計な事を言っちまった〉。冷や汗ものだったが、しばしの沈黙が戻ってきただけで事無きを得た。「君のポケットブックによると12月にベトナムに行くことになっている。君のNGOとどういう関係があるんだ」「地雷の犠牲者の救済だ。ベトナム戦争のね」。その時、手帳から1枚の私の英語の手書きのメモが落ちた。

 男は、目ざとくそれを見つけた。「これ、フランク・シナトラだろ。どうして君はこんなメモを持っている」。〈これは暗号じゃないよ〉ここまで出かかったが、非常時に冗談は禁物である。「それMY・WAYの歌詞だ。この歌が好きだから、持ってるんだ。」〈どうしてと言われたって、それしか答えようがない。アホな会話だよ〉うんざりしていたら、定年間近とお見受けする年輩の税関吏の態度が変わった。「オレも好きなんだ」。彼の口元に笑みがこぼれた。ここから先は順調だった。この男、個人的につき合ったら多分、いい男なんだろう。NYのテロ事件の源はボストン空港であり、警備がたるんでいるとヤリ玉にあがっていた。名誉回復の手柄を立てようと焦る心が、この男をして安宅の関ならぬボストンの関守、富樫左衛門の執拗な詮議となったのだろう。でも1枚のシナトラの歌詞が、歌舞伎十八番の安宅の関で、弁慶が読み上げた勧進帳の役目を果たしてくれた。


≪ 「始め悪ければすべて悪し」 ≫

 私は旅先の外つ国で、やはり世界には「鬼もいる」と思うことがある。そして、人間は?そもそも悪なのか、?それとも悪人だけでなく善人もいるのか考える。もし?なら悪人として全体を扱うか(?)、あるいは仏様じゃないけれど愛をもってすべて善人という前提で対応するか(?)。もし?だとしても、ひと目見て善人か悪人か区別できないのだから、とりあえず全員が善人であるという前提でつき合うか(?)、それとも何はともあれとりあえず全員を悪人だと見なして警戒するか(?)。この4通りのどれを基本としたらよいのか、迷い続けている。

 この4分類からみると、平常時の入管や税関の態度は、おおむね?(なかには善人も多いのだが、とりあえず全員を悪人と見なして警戒する)であったといえる。それがあのテロ以降、(?)、つまり始めから人間は悪い奴なのだと見なして、悪人扱いする??に変わった。

 ボストンからワシントンのダレス空港経由で日本便に乗る。全日空の成田行きのジャンボ機内。「ああ、これで俺は日本に帰った」。そんな思いがこみあげる。私はどこの国の飛行機でも気にしていない。でも、今回だけは日の丸印の有難味がわかった。非常時の世界を何度も関所潜りしてきた人間にとって、やはり祖国が一番いい。シェイクスピアは言う。「終わり良ければすべて良し」と。しかし旅は必ずしもそうではない。国境を越えて入国するとき、その国の門番に邪険に扱われると旅が面白くなくなる。むしろ「始め悪ければ、すべて悪し」なのだ。それが旅人の人情というものだ。

 21世紀冒頭は、テロとその報復という新しい戦争の10年かも知れぬ。異文化間の憎悪が憎悪を呼び、報復は次の報復を呼ぶ悪循環の始まりであるかも知れない。そういう時代を『文明の衝突』という。もしそうであるのなら、世界中が、異文化をもつ人間を「悪人」と規定し、「悪」として対決する??そういう人間不信の時代となるのではないのか。そうなったら、旅は難儀の連続になる。
 



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