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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 苦労と尊厳  
コラム名: 昼寝するお化け 第242回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2001/12/21  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   東京の虎ノ門の角にある文部科学省の前から赤坂見附方面に向かって歩いて行くと、間もなく日本たばこ産業株式会社の瀟洒なビルがある。その隣のビルの1階に、最近突然「スワンベーカリー」というパン屋さんが出現した。何も知らない人が見ると、日本財団という財団は、この「スワンベーカリー」の建物を借りて入っているようにさえ見えるが、実は家主は私が働く日本財団である。

 財団がパン屋さんの商売を始めたのではない。この社屋は一見新しく見えるが、実は昭和36年にアメリカの金銭登録機の会社が建てた当時としては画期的に堅牢なビルだったのを、日本財団が新社屋として買い受け、中を改装して使っているのである。この7月に移転した時、私は「新しい旧社屋」と言うべきか「古い新社屋」というべきか、ずいぶん迷ってついに日本語がわからなくなった。

 その1階部分の道路から丸見えの広間を、私は財団に公益福祉やボランティア活動のための資金の相談に来られる方の面接の場とした。これが銀行ならお金を借りに来た顧客との関係を秘密にしなければならないことも多いだろう。しかし財団は競艇の売り上げの3.3パーセントを受けて社会に還元する任務を担っており、国庫からのお金は1円も入っていない。ただ誰のお金であろうと、お金は厳正に公開して使わねばならないのだから、お金の相談もガラス張りの場所でするのがいい、と私は思ったのである。誰が来ているか、内部はもちろん、通りがかりの人からも丸見えが望ましい。密室の小部屋で「商談」をするような空気とは、全く逆の状況を作ったのである。

 しかし私はこの空間をもっと有効に使おうと思うようになった。財団はバブルの時代にはじっとボロ社屋にいて、不動産の値段の下がった時にやっとこのビルを買った。この幸運は決して誰か個人のものではないのだから、一団体が占有していいものではない。有効に使ってその恩恵を社会に還元しなければならない。日本財団の関連財団の1つである日本音楽財団は同じビルの中にいるが、現在14挺のストラディヴァリウスのヴァイオリンとチェロを世界中の有能な音楽家に無料で貸与しているので、その名器を、この広間を利用してこうした音楽家たちに弾いてもらい、できるだけ多くの人にストラディヴァリウスの音を聴いて貰おうと考えたのである。この音楽会は夕方6時から約40分間。もちろん入場無料である。

 その広間の使い方をもう1つ考えてくれた人が出現した。「クロネコヤマトの宅急便」で天下にその便利さを知らしめたシステムの創始者・小倉昌男氏である。氏は現在はヤマト福祉財団の理事長で、日本財団の評議員の1人でもあるが、日本財団の1階の広間の一部を利用して、障害者が働くパン屋さんのチェーン店「スワンベーカリー」の第2号店を開業することを計画した。50席、30人の従業員のうち、18人が障害者である。

 考えてみると、このべーカリーは必要とされていた場所に進出したと言える。周辺に明るくて清潔で誠実そうな喫茶店があまりない。立派なのは、朝7時に開業し、夜8時まで開業しているということで、周辺の会社や官庁で、早朝出勤・残業の人がちゃんとしたおいしい軽食を食べることができるようになった。

 「スワンベーカリー」は11月22日にオープニングパーティを開き、小泉総理と駐日べーカー・アメリカ大使夫妻も出席してくださって、温かい声援の元に出発した。日本もこうして少しずつ社会の感覚が変わって行くのだろう、と思うと家主としても本当に嬉しかった。総理が帰られた後に、グレイの背広をわざとやぼったく着た総理が、ネジを巻くと体を振ってダンスをするユーモラスな人形が残されていた。これは純ちゃん人形という小泉グッズの1つなのだそうだが、総理のユーモラスな手土産なのか、誰かが歓迎のつもりでわざと買って来ておいたのかわからない。

 アメリカ大使のべーカーというお名前は、パン屋さんという意味だから「大使がオーナーかな」と誰かが冗談を言っていた。アメリカ大使館は日本財団のお隣みたいなものだから、大使夫妻も同じ町内で働く若者たちの門出を祝福してくださったのである。

 今のところこのべーカリーご自慢のエスプレッソと、産地直送の野菜を使った新鮮なサラダはかなりのおいしさで、私は病みつきになりそうである。
 
 しかし私は障害者の店だからと言って甘い評価はしないつもりだ。それこそ差別というものだろう。むしろ大家の立場を利用して、「高い」とか「まずい」とか最高に口煩い客になるつもりである。

 ここで働く知的障害者も、小倉方式の経営に組み入れられれば、自分の生活費をどうやら自分で稼げる。すばらしいことである。今後も私たちは、障害者を決して甘やかしてはいけない。私たちが苦労するのと同じ苦労と、私たちが与えられる尊厳と同じ尊厳を、共に味わってもらう時、初めて平等なのだ。

 開業のお祝いの挨拶の中でちょっと触れたのだが、小倉氏の夫人・玲子さんと私は、聖心女子大学時代の同級生であった。もっとも小倉民がこのような硬骨の士だなどということを私は長い間知らず、卒業後大分経ってから、オペラの会場で夫妻にお会いした時の穏やかな印象の方が強い。

 誰にせよ、夫婦の歴史などというものは、誰にもわかるものではない。しかし玲子さんが1991年に亡くなられたと聞いた時、私は小倉氏が半身を失われたように感じられておられるだろうな、と胸に迫る悲しみを覚えた。身障者に対する仕事の情熱の芽が、夫人の死後に芽生えられたのではないだろうけれど、氏のこうした事業の背後には、いつも亡くなられた夫人の視線があるだろうと思われる。

 不思議なものだ。人は生きて仕事をするのが普通だが、死者も働くのである。小倉氏の思想と才能は既に存在していたものとしても、その力を押し進めたのは、亡き夫人の存在なのだろう、と思う。人は幸福でも働き、悲しみによっても働く。何という不思議な心の仕組みなのだろう。

 それを思うと、私たちはどれほどにでも謙虚にならざるを得ない。私たちを動かしているのは、幸福でも不幸でもある。人から愛されることでもあり、人に憎まれることでもある。その因果関係が明瞭に見えることなどむしろ少ないのかも知れない。むしろ人間関係の薄暗がりの中で、私たちは生かされて行くのである。

 玲子さんありがとう、と私は「スワンベーカリー」の開店の日に心の中でお礼を言ったのだが、やはり生きてその日を見てほしかった。
 

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