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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: タイ王国紀行・2001(2) 昼下がりの会話、「王と仏教」  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2001/10/09  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ≪ 坊さんへの“慰問袋”? ≫

 タイの首都バンコクの昼下り、街を散策する。この国の3月はとりわけ暑い。往路JALの機内に表示されたバンコクの気温は36度、東京は6度であった。湿度75%、汗が止まらない。「バンコクの春は暑いね」と思わず口走ったら、現地に長く住み日・タイを結ぶビジネスをやっている植野三郎さんに笑われた。「タイに春なんかありませんよ」。「いや。そうでしたね。常夏の国だから…」。また笑われた。「タイには四季というものがなく、夏という季節もありません」??。

 タイの季節は、乾季と暑季と雨季の3つだという。3月は暑季の入りで中旬から学校の“夏休み”に入る。最も暑い4月はタイ古来の正月、「灌仏会」(ソンクラーン)がある。

 稲の刈り入れは乾期の1月には終わっており、お米の国タイの人々は、年の始めの儀式として、僧侶への供養を行う。古式にのっとった仏教の伝統行事で「水は天の恵み。水をかけられた者には幸いあり」と、“水かけ祭り”に興ずるという。

「4月にお見えになればよかったのに。とくにチエンマイ(タイ北部の古都)の水かけは、絵になりますよ」。旅先の光景を下手なスケッチで記録する私(カメラに頼ると頭に記憶が焼き付けられないと思って、そうしている)のために植野さんが残念がってくれた。

 そごう、大丸といった日系デパートもあるラチャダム通りのプセトゥーナム市場に案内された。仏具屋が何軒も店を連ねている。その店先に不思議な網の袋が山積みに並べられているのが目についた。

 ひとつ手にとって中味を調べる。石ケン、歯ブラシ、懐中電灯、電池、マッチ、サバとイワシの缶詰、コーヒー、砂糖、塩、竹製の弁当箱、プラスチック製のカップと皿、スプーン、ポリバケツ、ローソク、線香、ナンプラというタイの魚醤のびん詰め、タバコ、そして日本の小学生が使うような黄色の雨傘がパックされていた。

 一袋で600バーツ(1800円)の値札がついている。「いったいこれは何なのか?」。私が小学生低学年の頃、戦地の兵隊さんに送る「慰問袋」なるものが雑貨屋で売っていたのを思い出した。

「タイの正月用品ですよ。何のために買うのか、袋の用途を当ててごらんなさい」。植野さんがいぶかる私にそう言った。それにしても、変テコな商品の組み合わせだ。キャンプ用品の詰め合わせでないことはわかる。ヒントは、タイの「灌仏会」の正月用品であることと、仏具屋の店先であることだ。袋の横に900バーツの値札をつけた黄色の坊さんの法衣が陳列されていた。

「あっ。坊さんへのプレゼント?」。「そうです。坊さんの必需品の贈答用キットを売ってるんです」。日本から同行してくれた元丸紅バンコク支店長で、笹川平和財団理事の関晃典さんが、相づちを打った。だがそれにしても腑に落ちぬことがひとつある。

「この袋、正月だけでなく、いつも売ってるんでしょう」

「そういえば、年中、ありますね。ときどきスーパー・マーケットでも見かけます」

「ではお聞きするが、同じ包みを1人の坊さんが、沢山もらったらどうなるんです。消耗品や食料ならともかく、同じポリバケツや懐中電灯をいくつももらってどうするんですか」

「ウーム」と植野さん。

「いや、その点ですがね。坊さんの品物の引き取り屋があるというウワサを闘いたことがあります。パチンコ屋の景品買いみたいにね。真偽のほどはわかりませんけど」。関さんの元商社マン的見解である。

 タイは仏教国である。僧たちはひたすら、自己の解脱のみを目的として戒律を守り修行に励む。だから布教活動はやらない。大衆は僧のような戒律とか修行とは無縁で、ひたすら寺や僧たちへの寄進という善行によって、現世的な幸福の取得を試みる。来世の運命も布施や寄進によってもたらされると信じている。

 こうした僧と世俗の信心との関係は、タイにかぎらず東南アジアの上座仏教(小乗仏教、解脱できるのは僧のみ)の特徴だ。僧は世俗の人々の幸福と良き来世の“伝達代理人”であり、贈り物は「多々ますます弁ず」で、ご利益(ごりやく)の多寡が決まる。難行・苦行を日課とする坊さんは庶民の幸福への機会を与えてやっているのだから、プレゼントをもらっても、決して頭を下げない。渡す側が御礼の合掌をするのだ。

≪ マッサージ師の原点ねはん寺を訪ねる ≫

 タイには坊さんが30万人、お寺が2万3千あるという。日本の郵便局の数と同じだ。この国の人口は日本の半分だから、1人当たり、郵便局の2倍のお寺があると思えばよい。

 国民の94%が仏教徒。そういう善男善女がこぞって坊さんに寄進して、よき現世と来世を実現しようとしているのだから、「坊さんグッズのセット」が街の商店にあふれていても不思議はない??と納得した。

 この国の寺は、現代日本のように葬式と墓参専用ではない。集会所であり、レクリエーションセンターであり、学校であり、また病院でもある。

 ワット・ポー(ねはん寺)を訪ねた。身長46メートル、背幅15メートルの横たわる黄金の仏像がある。涅槃に達し、悟りを開いた釈迦を表現したもので、足の裏だけで、長さ5メートル、幅1.5メートルもあるという。この寺はタイ式マッサージの総本山だ。タイ・マッサージの看板で商売する人は、この寺のマッサージ師学校の卒業生でなければ“もぐり”だと聞いた。なぜ、寺にその種の専門学校があるのか。

 そもそもタイの有名大学は王が寺に作った学校の分身で、昔は有名寺院の教育施設が大学の役目を果たしていた。この寺の学校も同じで、タイの近代化以降、哲学、医学、文学部門が大学に移管され、医療技術としてのマッサージ部門だけこの寺に残ったものだ。

 タイ・マッサージとはいかなるものか。お寺で図解つきの講義を受けた。それによると由来はインドのアユラヴェーダ医学で、14世紀、アユタヤ王朝がこれにタイ独特の技術を加えて開発した身体の癒しの術だという。人体は4つの要素と機能を持つ。その4つとは地(骨格、筋と靱帯、血管、神経、内蔵)、水(血液と体液)、火(消化と新陳代謝)、気(呼吸と循環器)であり、人体4要素の相互のバランスを回復させる医療技術だ。その技法は人体の一要素である「地」をたたく、もむ、引っ張る、強く押す、骨格を矯正する??という5つの荒業の組み合わせだ。

「タイ・マッサージは日本でも人気上昇中だよね」

「そう。荒業なるがゆえに、やみつきになる。私もその1人。でも本場バンコクは東京とは一味も二味も違う」関さんがそう言った。


≪ 朝・夕流れる「国王賛歌」 ≫

 ねはん寺の隣の王宮前の広場に、凧が数個、天空に舞い上がっている。じっとり汗ばんだ肌に、チャオプラヤ川の川風をかすかに感じる。王宮裏のエメラルド寺に行く。

 タイで最高の地位と格式を持った寺院で、王室専用である。本堂のはるか奥に高さ66センチ、幅48センチだという“エメラルド”(実はひすい)の仏像がみつた。この仏像、元はラオス王朝の所有だったが、戦利品として持ち帰ったものだ。ラオス人民共和国はいまでも返還を求めているが、タイ政府は絶対に応じない。

「タイの王室は仏教と結びつくことによって、長年、その正統性を維持してきた。タイの国民にとって王は国家統一の象徴だ。だから王の守護仏を、おいそれと他国に渡すわけには、いかないのです」。これも関さんの解説である。

 タイの憲法によれば、「主権は国民にあるが、国王は神聖かつ不可侵である」と規定されている。同じ立憲君主制国といっても、日本の象徴天皇制よりは、その精神において明治憲法に近いといえる。国王は国民に深く敬愛され、尊宗の対象になっているというのだ。1997年のアジア通貨危機のとき、意気消沈した国民に「いざとなったら農業国に戻ればいいじゃないか。タイは世界一豊かな米生産国だ」と現国王が言ったら、国民は元気になった。そういうウソのような本当の話もバンコクのタイ人弁護士に聞いた。

 半日コースのバンコク散策から、ホテルヘの帰途、突然街角のスピーカーから荘厳なメロディが流れた。驚いたことに街を歩く人の半分以上が、足を止めた。気を付けの姿勢をとっている人もいる。「何事が起こったんですか。関さん?」

「国王賛歌です。毎日、朝と夕に定時に流すのです。パーティー会場でも歓談を中止して起立する。なるほどそれが中締めの合図にもなる」

 なるほどタイは(王と仏教)の国であった。「王権神授」ならぬ「仏授」によって、王は元首としての正統性を保つ。そして国民は王を賛える。王が頭を下げるのは、僧侶の互選で選ばれる1人の「法皇」だけである。
 



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