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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 白い家が黒い家になった  
コラム名: 夜明けの新聞の匂い  
出版物名: 新潮45  
出版社名: 新潮社  
発行日: 2001/09  
※この記事は、著者と新潮社の許諾を得て転載したものです。
新潮社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど新潮社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   南アフリカ共和国の、ヨハネスブルクからケープタウンヘ行く飛行機の中で、私は通路側の席に坐っていた。しばらくして窓際にいた白人の中年男性が、私の一列前の席の窓際に移る、と言って私の前を通った時、私はほんの少しだが、気分的にほっとした。2週間以上に及ぶ旅をしていると、私でも途中で原稿を書く必要が出て来る。飛行機の中は執筆のために願ってもない時間だったので、誰であろうと、書く時はできるだけ近くに人がいない方がいいのであった。

 しかしそれはいささか甘い期待だった。この人は、間もなく自分の席で立ち上がり、くるりと後を向いて、私にケープタウンには何日いるのか、どこへ泊まるのか、目的は何なのか、と雑談をしかけて来た。立っているのは、ロンドンとパリで仕事をして帰って来たばかりなので、長い飛行機の旅で腰痛が起きかけているからだ、と彼は言い訳した。

 私は自分が財団で働いているとは言わず、小説家だと言った。ほんとうはそれも言いたくなかったのだが、カトリック教会の信者としてNGOで働いているという説明の方が、嘘ではなしに話の通りがいいと思ったのである。私たちは、ヨハネスブルクのエイズ・ホスピスに霊安室を建設する援助をした。それが完成したので開所式に来たのだが、

「あなたのお国の政府は、どうしてホスピスに霊安室くらい作らないんですか」

 と私は少し厭味に聞こえることを言った。

 相手は日本人にもカトリックがいるということに少しびっくりしたようだったが、そこから話に身を入れ始めた。

「ブラックが多くを占める政府ができてから、前以上に汚職やネポティズム(身内晶贋)がひどくなったんです。だから閣僚は自分のポケットに金を取り込むのに忙しくて、貧しい人たちに必要なことには金を廻さないんですよ」と彼は言った。

 私は彼に閣僚何人中何人がブラックなのか、と尋ねたが、彼は正確には知らなかった。しかし大半がそうだという言い方をした。

 私は、今どき珍しい個人的で感情的な言葉だと思って聞いていた。それが正義にもとる話だとか、悪意のこもった先入観があるとかいうことは、別にしてである。

 最近の日本には、既成の人道的言辞が溢れていて、私は疲れることが多かった。新聞記者によれば、仮に彼らの使うパソコンに「差別語」と決められた単語を打ち込むと、まずさまざまな警告が発せられ、結果的には漢字変換ができないようになっているのだという。それは思想統制というものの何よりも明らかな証拠なのだが、彼らの先輩も彼らも、そのことに少しも抵抗せず、こうした事態を許して来たのである。

 彼が私の職業や年齢まで詮索したので、私はお返しに、貴方は何の仕事をなさっているのですか、と尋ねた。すると彼は右の指を細かく動かして札を数える真似をした。

「銀行?」

「いや、証券取引ですよ」

 彼はそう言ってから、あまり嫌らしくはない口調で「私の会社は大きいんですよ」と笑いながらつけ加えた。

「いいですね。お金はないよりはあった方が人間は卑怯な面を見せなくて済みますから」

 と私は答えた。

 それから彼は私にいろいろと南アの経済学のようなことを講義してくれたが、私は語学と知識の2つの面の欠如から、2割は理解できなかったと思う。しかしその講義が続いた後で、彼は今自分が席を替わったのは、後に大きな声で喋るブラックの婦人がいて煩かったからだ、と小声で言った。それも差別と言えば言えなくもなかった。

「南アの経済は、我々白人が支えているんですよ。ブラックたちはしてもらうことを期待するだけで、自分たちは何もしない。もし白人がいなくなったら、南アの国家は成り立たなくなりますよ」

 彼のこういう表現は決して初めて聞くものではなかった。多くの人たちが、心を許した人たちだけに、同じようなことを言っているのであった。

 それだけではなかった。かつてはすばらしい国だった南アが、いかに国家の正規の構成員となったブラックたちの、犯罪や暴力や怠けのために荒らされ、破壊されたかを彼は話し始めた。

「そんなにひどい国になったのなら、ヨーロッパにいらした方がいいかもしれませんね」

 私はそう言ってみた。

「どうして私がそんなことを考えます? ここは私が生まれて育った国なんです。とてつもなく美しくて雄大で、心躍るような自然がまだあちこちに残っている。それを棄てて、どうしてヨーロッパに行く必要があります?」

 確かに縞馬やライオンを見に南アの自然保護区に入って何泊かすれば(そんなサファリ・ツアーだけをして南アに行って来たのだと思う日本人観光客がほとんどなのだ)、人の心を酔わせるアフリカの朝と夕を体験することができる。アフリカの朝の空気は、太古以来かつて一度も人間の肺に入ったことがない、という清らかな味をしているのだ。そして朝日の金色の光は、この世で不幸なことなどあるわけがないというふうに、大地全体に生きのいい祝福の光を投げる。騙されてはいけない。それはせいぜいで午前10時までの話で、すぐさまその太陽はじりじりと懲罰のように人を焼くのだが、南アなら、赤道直下の土地とは違って、そのような酷暑もないのかもしれない。

 私たちが今度南アで過ごしたのは約6日である。その間、私たちはそれこそ交互に、白人とブラックの対立的な立場から南アの現状を説明されたのである。南アでは、いればいるだけ相手の悪口を聞くことになる。そのどちらも迫真の証拠を持った話ばかりである。

 例えば、かつて白人が所有していた瀟洒な家を、ブラックがどさくさ紛れに乗っ取った後、掃除も修理もされないあばら屋になっているケースはどこにでも見られるのだが、白人たちは「白い家が黒い家になったのです」という。この言葉自体は、かつての白人の家が黒人の家になったという1つの事実を表しているだけのように見えるが、現実には差別語を1つも使わずにこれほど侮蔑的な表現ができるものか、と驚くばかりだ。

 一方私たちはまたヨハネスブルクの火力発電所のすぐ隣に当たる場所に位置する「貧民窟」を訪ねた。この「貧民窟」という言葉も、日本の新聞社用パソコンでは変換できないようになっている言葉なのかもしれないが、どんなにいい言葉に置き換えようとも、それは紛れもない「貧民窟」なのである。

 日本では、都会のあちこちに住みついたホームレスは、雨にも濡れず、公設の清潔なトイレを使い、飲み水もあたりの施設から水道の水をただで使える。しかし南アの不法占拠者たち(スクワッターズ・・・しゃがむという意味から来たのだろうか)の小屋は、歪んだごみ箱のような家である。1軒当たり3畳か4畳。時には2畳という感じの家もある。そこに一家5、6人が折り重なって寝ているだけだ。もちろん水も電気もない。

 ヨハネスブルクの火力発電所は今は使われていなかった。しかし私たちが驚くのは、すぐ隣に住むブラックたちの居住区に、白人社会は電気を供給しようとしなかったことだ。それを非難すると、白人側にはまた言い分がある。ブラックたちの中には、電気や水道に金を払うということをどんなに説明しても納得しない人たちがいる。そんなものはただだと思っている。ブラックだからと言って、ずっと電気や水をただで供給できると思うのか。

 もちろん事態は日々刻々変わっていた。ありがたいことに多くの場合、都市化の波がこうした「貧民窟」にも及んで、表向きの生活は少しずつよくなっているように見える。ヨハネスブルクのスクワッターズ・キャンプでさえ、暴力を予感させる緊迫した空気は随分減った。前々回に来た時は、自分の恋人を眼の前で数人の男たちに犯された男性が、証人として法廷に出ることを恐れた犯人グループに捕まり、無理やりに口を開けさせられ、ガソリンを注ぎ込まれて火をつけて殺された話を聞いた。被害者も加害者もブラックである。こういう殺し方は日本では聞いたことがない。

 しかし今年行って見ると、スクワッターズ・キャンプの中には、以前のようなひりひりした陰惨な空気は感じられなかった。ケープタウンでは、20家族に3個の電話ボックス型の公衆トイレと、屋根の設備はない6個の水道の流しが一定の間隔をおいて設置されていた。それだけでも、人の心はいくらか殺気だたなくなったろう。もっともこうした人々のために働いている神父や教会の信仰深いブラックの信者たちでさえ、ヨハネスブルクではどこであろうと日暮れ以後は出歩かないように、と頑強に私たちに警告はしたが……。

 飛行機の中の白人の男は私に名刺をくれ、

「あなたと喋っていると大変楽しい。こっちの席に来ませんか。2人で飲みましょう」

 と言った。私は言われる通りに席を移ったが、「ごめんなさい。私は小説家なので名刺は持っていないんです」と言った。それから私は斜め後に坐っていた同行者の犬飼カメラマンににっこりしながら、「この方は大変なお金持ちなんだそうですけど、やはりお金を溜める人は違いますね。これから2人でお酒を飲みますが、お酒は航空会社もちです」と言った。私は本気で、けちな人が好きなのである。

 私はクレーム・デ・カカオを貰ってから、

「そんなにお金があって、お楽しみは何ですか? お金は何にお使いになるのですか」

 と尋ねた。田舎で馬に乗ること、南アの素晴らしい豊かな自然の中で暮らすこと、というのがその答えだったが、彼はちょっと考えてから、「もう1つの仕事上の趣味は、ショッピング・モールを買うことですね」と言った。「もう既にいくつかは持っていますけれど」という注釈つきで。

 ショッピング・モールは世界的に新しい流行だろうが、南アでは特に意味を持っているように見える。アパルトヘイトがなくなった後、白人、有色人種、ブラックは同じ地区に混住するようになったが、まもなく白人と有色人種は、町や住宅をブラックに空け渡して郊外に逃げ出すようになった。ブラックは道路の掃除をしない。1つのマンションに常識的な人数以上の親族を連れて入るので、風呂とトイレで予想以上の量の水を使う。その結果マンションの給水能力はすぐ限度に来て、水なしの暮しを強いられるようになった。そこで白人と有色人種は混住の住宅や地域を棄てて郊外に逃げ、新しいショッピング・モールを中心にしたタウンを作る、というパターンを取るようになった。

 このタウンはショッピング・モールに銀行、映画館、商店街、クリニック、レストランなどあらゆる施設を収め、隣接したホテルからは渡り廊下で安全に行き来できるようになっている。渡り廊下には何人もの保安要員を置き、ショッピング・モールで犯罪が起きたらすぐ入り口の大戸を下ろして犯人をとっつかまえられるような装置にしてある。南アでは、町に並んだ商店も住宅も減って、商店はショッピング・モールに吸収され、新しい住宅地は数軒を高い塀と武装したガードマンで集合住宅地として防備を固めるのが風潮になった。いずれも中世のヨーロッパの町が、岡の上の一種の城塞都市であったのと本質的には同じ様相を持ち始めたのである。

「そんなにお金を儲けてどうなさるんです。奥さまにどんどん宝石を買っておあげになるんですか? ショッピング・モールをもっと買えば、経営の上でますます苦労を背負い込むようなもんじゃありませんか。1日に5回も食事はできないし、1度に幾つもの別荘で暮らすことも不可能なんです。お金はそんなに要らないのではありませんか」

「妻に宝石も買いますけどね、生きている限り事業を拡大するのが私の楽しみなんです」

「日本人のように働き過ぎになることは、愚かなことだ、と言われていますよ。あなたのお国は、お金持ちと貧しい人たちとが分かれているからご苦労も多いんです。日本には、大金持ちもいませんが、今日ご飯が食べられない貧乏人もいないんです。中流ばかりです」

 もちろん私はそこに何の注釈も評価も付け加えなかった。しかし多分私の語調には、そういう日本は南アと比較していい国だ、という見え見えの調子が籠もっていただろうとは思う。するとこの人は言った。

「中流ばかりということは、国家にとってはまことに都合のいいことだけれど、個人にとっては嘆かわしいことだ。芸術も育たない。金持ちになる夢もない。人間として生きる基本的な力に欠けて来るでしょうね」

 7月20日付けの朝日新聞に「差別禁止へ新法を」という小さな記事が出た。

「国連の人種差別撤廃委員会による日本政府への勧告に関連して国連NGO(非政府組織)の反差別国際運動日本委員会(武者小路公秀理事長)は19日、(1)差別禁止法は表現の自由と両立するもので、早急に制定すべきだ (2)被害者が国連機関に直接訴えられる個人通報制度を受諾すべきだ (3)石原慎太郎東京都知事の〔三国人〕発言が人種差別撤廃条約違反であることを認めて対処すること、などを求める要請書を田中真紀子外相あてに提出した」という内容である。

 国連NGOというもの自体が、私にはよくわからない。私も大きいものと、極く小さなものと、2つのNGOに係わって働いているが、国連といヶものは、国家という形態をまず認めた上での連合なのだから、NGOとは直接の関係はないはずだ。むしろNGOの自負は、国連などの息のかからないところで独自の価値観と目的を選んで自由に活動することであろう。ただ最近のNGOの中には、国際的な連帯を楯に、世界のNGOを理念で統合してハイジャックしようという動きはある。

 この文章を何度も読んだが、(1)と(3)はどうしても矛盾する。つまり石原都知事の発言に「対処する」ということは、表現の自由を押さえ込もうとすることである。石原氏の発言が非人道的かつ差別的なら、石原氏は自らの発言を次回の選挙の結果で断罪されるだろう。その結果を見るのが民主主義である。

 最近の恐ろしさは、法に触れない程度の悪人になる自由も残さないことだ。新聞記者用パソコンにしかけられた差別語漢字変換拒否と同じ形の規制である。悪事を働くことができないように法で規制すると、世の中が善人ばかりになるかと言うと、全く反対で、自分で判断するのを止めたつまらない人間が増えるだけだ。善悪の選択こそ、輝くような個性の存在の証であるべきだ。
 



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