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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: “ヘソ曲がり”の香港紀行 「一国二制度」の実像  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1998/08/25  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  「入管でのハプニング」
 のっけから“ヘソ曲がり”の弁で恐縮だが、香港という都市国家に特別の感銘を覚えたことはなかった。旅の発見は、観光と買い物とグルメ以外のところにむしろ多く存在するというのが持論だから、これまでの駆け足旅行でその面白さを実感することは、どだい無理である。
 頭がくらくらするほど蒸し暑く、街には人が多過ぎて目が回る。値段ほどにはうまくもない中国料理店のオンパレード、同じ高い銭を払わされるのなら東京のほうがいい。日本のギャルを筆頭にブランド志向の買い物客で朝から深夜までごった返し、客引きの変な日本語の飛び交う変な街。それが香港だときめつけていた。
 だが、今度の香港行きは、一味違っていた。英国から中国に返還されて、丸一年を経過しようとする一九九八年五月、中国からの帰途、中国大陸の知識人をともなって香港に立ち寄ってみたのである。
 香港、正式には中華人民共和国香港特別行政区というが、入国の際、ちょっとしたハプニングが起こった。中国領海南島の三亜国際空港を出発した中国民航は、五十分の飛行ののち、予想に反して定刻を一分も違えず啓徳空港に到着した。
 私は三分でパスポートコントロールを通過したのだが、私の次に並んでいた同行の中華人民共和国のパスポートと通行証をもつ張向東さんが、入管職員に制止された。「先生、間違いました。ここは外国人用のゲートです。向こうの中国人用ゲートから入ります。すぐ行きます。ご心配なく」。彼は笑顔で姿を消した。
 ところが、彼はいつまでたっても姿を見せない。四十分経過する。いったい何が起こったのか?
 それを確かめるべく私は空港の入国管理事務所を訪れ、「私の大陸の友人が、ちっとも出てこない。どこで調べられているのか教えてほしい」と迫ったのである。係官は「心配ない。心配ない。空港の出口は一つしかないから、そこで待て」と取り合ってくれない。
 もしかしたら彼と行き違いになったのかもしれない。外国人の私が三分で入国したのだから、一国二制度とはいえ、同じ中国領の香港に入る彼が時間がかかるわけがない。そう思い直して、タクシーでホテルに直行した。
 彼がホテルに姿を現したのは、それから一時間後。「目を離した隙に先生に万一のことがあったら、私、責任問われます。困りました」としょげ返る彼。私は、苦笑する。話は全く逆で、私が目を離した隙に彼の身の上に万一のことが起こったのではなかったのか。
 事情はこうであった。私と離れ離れとなった彼は別室に連れて行かれた。そこにはフィリピンからの出稼ぎ労働者が数人、尋問されていた。彼は辛抱強く順番を待った。中国政府発行の通行証を提示し、日本の友人を案内して香港に来たのであり、就労する意思は全くないと説明、ようやく入国許可をもらった。「香港の人、北京語下手だから時間かかります」とぼやく。

金のタマゴを産むニワトリ
「君、どうして怒らないの。香港は中国領だろ。それに君は、中国共産党員で偉いんだろ。北京発行の身分証明書を出さなかったの」と私。
「先生。それよくない見解です。領土の主権は中国ですが、私は一国二制度を尊重したのです。資本主義経済を営み所得の高い香港に、大陸から盲流のように人間が無原則に入ってきたらどうなりますか。香港は爆発し、中国は一日にして、一国一制度になってしまいます」と彼。彼は以前にも返還前の香港を訪れたことがあるが、当時はパスポートを提示すれば簡単に入国できたという。二国二制度のもとではそれでいい、しかし一国二制度のいまは、“宝の島香港”を温存するために大陸の中国人の渡航制限を厳しくするのは当然だ、と彼は言う。
 これが、典型的な中国大陸の若きエリート張さんの、「香港とは何か」についての認識である。中国本土のために金のタマゴを産むニワトリだから、乱暴しないで大切に育てようという北京の気持ちが伝わってくるエピソードではないか。
 返還前、香港の人々の間には、三つの危惧があったと聞く。一国二制度が守られず「香港」の「中国化」が始まる。「港人治港」(香港の自治の尊重)は形だけで「民主主義」は死ぬ。北京が自由な経済に干渉し香港の繁栄は失われる??である。
「香港の中国料理は高くてまずい。日本料理が食べたい」という張さんの要望で、たった一泊の香港の夜ではあったが九龍半島の繁華街の日本居酒屋を選んだ。そこで彼と二人だけの香港論を続けたのである。
「先生。その三つの香港に対する危惧、それはすべて間違っていることがわかったでしょう。そもそも一国二制度のもとでは、中国がそれを守る限りは、そういうことが起こり得ないのは自明の理ではないですか。中国は五十年、国際公約を守って一国二制度を続けると思います。なぜなら中国にとってそれが得だからですよ」
 張さんはなかなかの論客である。
「でも、返還一年を間近に控えた香港経済は、中国が期待していたほど繁栄していないじゃないの。中国は一国二制度の成果に失望しているんじゃないの」
 私はそう言って、彼の反応を待った。
 二人で街をぶらついたが、昔の香港と比べて、なんとなく活気がない。確かに人は多いのだが、以前のように人また人で、目がくらむような雑踏ではない。
 目抜き通りには、倒産したとおぼしきシャッターを下ろした店が目につく。ホテルに着くや否や手当たり次第に刊行物に目を通したのだが、失業率は過去最大である。銀行間のコールレートが九〜十一%と、超高金利だ。大和総研の現地法人の『香港クオータリー』も目を通したが、株価は暴落している。
 とりわけ、中国本土の赤字国有企業のなかの有望な部門だけ切り離して番港市場に上場し、巨大な資金を大陸に吸収した「レッドチップス」の株価は一年前の四割に落ち込んでいる。
 小売売り上げは、返還前の一〇%減、香港への訪問者総数は前年比三〇%減、とりわけ日本人の激減が目立ち、中国本土からの訪問者は増加している。外資の中国本土への導入の有力な手段であった香港ドル建ての起債はほとんどゼロ。無理を承知で中国元と同一歩調をとり、現地通貨をドルにペッグしたのが祟っているのだ。
「きっと北京も香港の行政長官の董建華さんも、頭が痛いはずだよ」そう私は張さんに駄目押しした。
「先生。それエコノミストの見解でしょ。私、エコノミストじゃない。だからといって一国二制度の選択、それ自体が間違っていたという証明にはならないでしょ」と彼は反論する。なかなか手強い。論理はそのとおりであり、降って湧いたアジア経済危機が、一国二制度下の香港経済の混乱を作ったのであり、「一国二制度」がアジア経済危機を作ったのではないことだけは確かである。

金儲けして親を養え!
 翌朝、日本人だが現地に長いアナリストの磯さんを飲茶に招き、一国二制度に対する香港人の評価を聞いた。
 磯さんは言う。「二国二制度がよかったのか、一国二制度がよいのか。そんなこと現実主義者の香港人は考えていません。WHICHでなくて、彼らの関心はいつもHOWなんです。もともと政治にはそれほど興味がない人たちで金儲けが第一ですから。株価と不動産価格が下落し、士気が落ちていることだけは確かです」と。
 日本人は子供に「人に迷惑をかけるな」と教え、韓国人は「人に負けるな」と教えるが、香港人は「大人になったら金儲けをして親を養え」と教える??これは磯さんの香港人論だ。
 いま香港は社会主義のもとで、資本主義が生き続けることができるか??。そういう歴史上、前例のない壮大な実験にとりかかっている。その答えは、当事者も含めてまだだれにも見えてこない。
 だからこの島、もっと正確にいえば、小さな島と小さな半島からなる都市国家のシステムを定める政治・経済・社会という三本の軸が、一国二制度という新しい事態になじめずにぐらついている。そして香港の現状は、中国と香港の二つの思惑の微妙な均衡の上に成り立っているのではないか。
 中国は、金のタマゴを産むニワトリを刺激してはならじと、気をつかっている。だから五星紅旗も五千人の人民解放軍の姿も街ではほとんど見かけない。そのかわり、香港は、北京が嫌がると思うことは、努めてやらないようにしている。
 双方、「自制の力学」である。むしろ計算外の経済危機のおかげで、双方はむしろ親密になった。親子ゲンカはご法度で、ともに経済のダメージで受けた傷をなめ合おうと暗黙の合意があるようにも見受けられる。帰国後、香港の返還一周年の記事を読み、ますますその感を強くした。
 江沢民氏は言った。「香港は祖国の南海の真珠、一国二制度の堅持と中国の支援で、未来は明るい」。「祖国を見れば勇気倍増」と董建華氏。その心はいずこにありや。人間の性を読むのが国際関係論の要諦だが、その意味でも、いま香港が面白い。
 



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