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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: モスクワの春とは何ぞや? 最近ロシア事情(上)  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1997/06/24  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  聞いたこともない歌
 日本のゴールデンウイークの連休中、モスクワに出かけた。この時期はなんとロシア国も連休なのだ。あちらでは、メーデーの連休という。五月一日から四日間がメーデーの祝日で、このあと土・日曜が入ると、九日の対独戦勝記念日まで、通しで休んでしまうモスクワっ子が多く、この季節にこの国の政府要人はいうに及ばず、ビシネスマンとの面会の約束を取るのも至難の技だ。
 日本流にいうなら、この時期のモスクワは「春たけなわ」であった。三回目のロシア訪問だが、五月のモスクワは初めてだ。そういえば、大昔、日本に“歌声運動”なるものが一世を風靡したころ、「五月のモスクワ」というソ連の流行歌があったのを思い出す。どういう歌詞かは忘れたが、冬から解放されたモスクワの若者たちの素朴な喜びに、共産主義イデオロギーをぎこちなく振り付けた内容だったと思う。モスクワ大学出の若いイリヤ君に聞いたら、「そんな歌、聞いたこともない」と。もはや「ソ連」も遠くなりにけりだ。
 春たけなわのモスクワと聞いて東京の森を連想すると間違う。この時期のモスクワの季節の変化はめまぐるしい。メーデーの前日は雪が降ったという。それがメーデーの翌日には、最高気温が二十八度のカンカン照りになる。そして荒々しく夏に移っていく。だからモスクワに、いつ春が訪れ、夏になるのか。実はこの設問は、モスクワっ子にも難しいという。「冬の次の季節は、モスクワでは夏ですよ。日本のように、“北国の春”とか“春が来た”とか、そんな歌詞を作る暇もなく、夏よ」。日本語とロシア語超抜群の通訳、ヴィクトール・キムさんの説である。
「いや、それでもモスクワに春はある。それは、いま、この瞬間だよ。おとといと今日の、木の芽の大きさの変化に気づかなかったの。一センチぐらいしかなかった木の芽があっという間に三センチ近くもある。ひ弱な薄緑は、朋え黄色に変わっている」。道連れの笹川陽平氏(日本財団理事長)が、そう言った。“笹川氏の胸中に突如として湧き起こった”詩情に刺激されて、トーポリ(ポプラに似ている)の街路樹をバスの車窓から眺めると、なるほど、木の芽の育ちが速い。多分、それがモスクワの春というものなのだろう。
 でも、モスクワの春は、いつ始まっていつ終わるのか。ソ連時代の大百科辞典には、「ロシアにおける春とは、当該地域の過去、現在にいたる平均気温が零度を超した日に始まり、また、一番夏の暑い日の平均気温の七〇%に達する日をもって春の終わりである」と書いてあるという。この“科学的見解”をもってすると、モスクワの春は四月三日から五月二十五日までになる。
 「それは、ソ連時代の政府の公式見解でしょ。きわめて全体主義ですよ」と、自由の空気のみなぎる昨今のモスクワで、イリヤ君もキムさんも、この説を頭から否定する。生活実感から判断してモスクワの春がそんなに長いはずがないというのだ。
 では、生活のなかのロシア首都の春とはいつのことなのか? をジャーナリストとして私は、実についていた。格好のネタを偶然、見つけたのだ。ロシアには、ホテルやレストランで無料で配布する英字新聞と英字週刊誌が三つある。そのひとつ、『THE EXILE』(国外放浪者)というふざけた名前の定期刊行物に、「モスクワの春の狂騒曲」と題する機知あふれる記事があった。内容が傑作である。主観的伝統的なモスクワの森の定義として、『THE EXILE』は三つあげていた。
 第一は、モスクワの交通警官が、泥で汚れた水に、「違反」のチケットを渡す日をもって春の始まりとする、との説だ。日本ではそのような交通ルールはないが、モスクワでは、ひどく汚れた水は公共財である環境(街の景観)をいちじるしく損なうので、罰金をとる市条例がある。しかし、春まだ遠き雪のシーズンには、警察は大目に見ているというのだ。普通人の車は雪のドロンコ路で、おおむね汚いからだ。春が来て、雪もすっかり融け、道も乾いた時期を見はからって、警察のオエラ方が、現場の警官に摘発を指令する、それが今年は四月の第二週だったとか。
 第二説は、モスクワ人一人につき蚊の数が数匹になったときをもって春が来たという説。モスクワの住居には真冬にも蚊はいる。地下室の集中暖房用の温水パイプには、少なくとも人口一人当たり一匹の蚊が越冬する、というのだ。外の気温も上昇する春には越冬の蚊は盛大に繁殖する。夏にはその数は一人当たり、五十匹に達するという。どうやって数えるのかは書いてないが、ユーモアがあって面白い。
 第三の説も、なかなかうがっている。ロシア共和国非常事態省(今回のモスクワ訪問でこの省の若い大臣と会談した)の定義では、「オカ川で、水にはまって死んだ最後の人の日付の翌日をもって、事後的に春の訪れが決定される」というのだ。この記事だけは、内容がもうひとつわからない。後日、イリヤ君に質した。オカ川はモスクワ川が合流する中級の河川で、やがてボルガ川となりカスピ海に注ぐモスクワ近郊の冬期の釣りの名所だという。氷に穴を開けるワカサギ釣りを連想すればよい。春先には氷がゆるみ、毎年、六ないし七人の溺死者が出るというのだ。
「ロシア人は、川魚が好きなの」と私。
「そうです。川魚はジューシー(みずみずしい)だから、モスクワでは珍重される。フライにしたり、魚のスープを作る。ロシアの海の魚は固くて、肉は乾いているから喜ばれない。冷凍で、ハンマーで割らないと料理できない」
 東海大学に留学し、小田急沿線のすし屋でバイトの経験のあるイリヤ君はそういうのだ。
 五月のモスクワ。そんな会話を交わしつつ車窓に目を移すと、ミニスカート姿の女性がやたらに目につく。そのスカートの短さといったら、私にとっては目の毒以外のなにものでもない。やっぱり春たけなわなのだ。
 笹川氏によれば、世界の都市で、現代モスクワの女性のスカートが最も短いという。笹川氏はこの説を、ゴルバチョフ・元大統領と、ジュガノフ・共産党委員長に披瀝した。
「そう、それこそ、私がもくろんだグラスノースチと自由化の成果だ。ご不満ですかな」とゴルバチョフ氏。生真面目タイプのジュガノフ氏の返答はこうだった。
「あれから貧富の差が拡大した。スカートの短いのは、布を買う金がないからだよ」
 これが、公式発言なのか、ジョークなのか、彼(笹川氏)と私の間では、まだ結論が出ていない。
 



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