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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 辛口・シンガポール記(上) この島を複眼で見ると…  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1998/06/16  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  “ディズニーランド”?
 日本人記行者にとって、シンガポールとは何かを定義するなら、おそらくこんなところだろう。ショッピングと食べること、そして見物および体験するレジャーという大衆受けする観光の三要素を、たいした移動も伴わずに凝縮して楽しめる島。つまり観光スポットの缶詰であり、ハワイや香港よりも、もっとコンパクトにまとまっている。
 持参した旅行ガイドブック(ブルーガイド・パシフィカ、実業の日本社刊)には「マレー半島の南端から南シナ海にポトリと落ちた真珠のような小さな島、楽しいことを満載したホリデー・アイランド」とあった。観光客の目で見れば、そういう超甘口の表現も、むべなるかなだ。
 だが、私のシンガポール旅行は、この地で開催された英国戦略研究所主催の「アジアの安全保障」という、きわめて暑苦しい議題のシンポジウムに出席するのが目的だった。エルニーニョの異常気象とインドネシアの焼き畑の煙との合作によるヘイズ(煙霧)のせいもあって、いっこうにホリデーアイランドの気分にはなれない。
 同席した知人のアメリカ海軍退役大将に、そういって気をひいてみた。「フム、楽しいことが満載されている休日の島ね。僕にはこの島はちょっと退屈だ、すべて人工的で機能的でしかも清潔過ぎるからね。ディズニーランドみたいだ。若い者にはともかく、われわれにはちょっとねエ」。私のボヤキ節に彼は早速、反応してきた。
「なるほど、たしかにいえてる。もうひとつ加えて、“鞭打ち刑もあるディズニーランド”というのはどう?」。こんどは彼は苦笑するのみで、YESとはなかなかいわなかった。彼の外交的節度がそうさせるらしく、そこがジャーナリストと違うところだ。
 この辛口のコピー、もし、この国の国父、リー・クァンユーさん(李光燿、彼はこのシンポジウムの主賓として、晩餐会で中国重視の大演説をぶった)の目に入ったら、その場で国外退去を命じられていたかもしれない。いや、これは、冗談だけれども、ちょっとばかり真実味もある。
 何年か前、私はリー・クァンユー氏が、インタビューでこういう趣旨の発言をしたのを雑誌で読んだことがあるからだ。「建設的コメントは喜んで受け容れる。しかし批判のための批判をする奴は、破壊分子であり、政府が告発して刑務所行きだ。外国人なら国外退去だ」と。
 シンガポールとは、そういう一面も兼ね備えた都市国家なのである。
 私が今回のシンガポールの見聞で得た印象。1)やたらに清潔である2)アジア経済危機のなかでも繁栄を保っている3)秩序が保たれ安全である4)罰則や罰金がやたらに多い5)国民は大変よくしつけられている6)異論をもつ人間は多分住み難い7)格別の異論はない人も、がんじがらめの規則づくめで息苦しさを感じているようにも見受けられる。以上の七つが、“鞭打ちもある不思議の国ディズニーランド”と命名した根拠でもある。
 どこの国にも、一見の客には見えないもうひとつの顔がある。とりわけこの国は表面だけ眺めていると判断を大きく誤ってしまう。それほどこの街はきれいで、よく整っている。
 人口三百万人、東京の二十三区の大きさしかない都市国家シンガポールには、若干の原生林が保存され、GDPの〇・二%にしか相当しないかわいらしい野菜園と養魚場はある。でも、島の端から端まで出かけても、田舎というものはない。だからこの国はすべて街で構成されている。
 この国がどのようにして、過度に奇麗で、しかも私からみると人々の生活は過度に管理され、なおかつ一人当たりGNP三万ドルというファーストクラスの豊かな経済都市になったのか。それを納得しなければ、シンガポールに旅したとはいえない。そこで現地で本屋をあさり、かつ、この国の知識人にしつこく質問を繰り返し、おぼろげながらも私なりのシンガポール像が浮かび上がったのである。
 シンガポールとは、地理的にいえば、アジア大陸最南端のマレー半島の付属物だ。
 ジョホール海峡の海上道路を一キロも走れば、マレーシアだ。天然資源はまず皆無、利点といえば港湾としての地理的位置と、精力的かつ活力みなぎる人間だけだ。水だって半分はマレーシアからパイプラインで輸入している(ただし二〇六一年には、この契約は切れる)。それにもかかわらず、南東アジアの経済発展の頂点に立ち、アジア経済危機にもびくともせずに、ダイヤモンドのように輝いている。
 この国の歴史は新しい。一八一九年、英国東インド会社の支配人、スタンフォード・ラッフルズ卿が、東西を結ぶ最短のルートとしてこの島に目をつけた。当時、ここは人口二百人のマレー人の漁村と海賊の隠れ家しかない砂洲で、マレー半島の土侯(スルタン)から、超格安で譲り受けたのが始まりだ。ラッフルズによって、伝説の島が、突如として世界史の舞台に登場したのである。

国の繁栄の恩人はだれ?
 大英帝国の東洋の拠点港造りに参加したのは、福建、広東、海南など、中国南部の建設労務者、人力車夫、石炭運搬などの苦力(クーリー)や行商人たちだった。大部分は独身男性であり、日本からも大勢のカラユキさん(娼婦)が出稼ぎにいった。こういう歴史を反映して、今日のシンガポールの人種構成は、中国人系七七%、マレー人系一四%、インド人系七%となっており、その意味ではこの国は、華人国家といえる。
 なぜ、華人の移民国家が、英国植民地から独立を勝ちとり、さらにマレーシアの一州の地位をかなぐり捨て、あえて一本立ちの道を選び(一九六五年)、ついに小さいながらも東南アジア一の絢爛たる都市国家造りに成功したのか。そこが経済のみならず政治学的にも社会学的にも最も興味あるポイントなのだ。
「それはね。この国にとても偉いお父さんがいるからですよ。すごく厳しい人だけど……。もちろん外の環境にも恵まれる幸運もあった。一九六〇年代後半は、日本や米国の海外投資ブームのはしりだったからね。東南アジアの最も優れた投資先として、独立間もないシンガポールが注目されたのさ。三番目の要因は、プラグマティックで変化に臨機応変に対応するこの国のETHNIC CHINESE(華人)の長所が、発揮されたことだと思う」
 シンガポール・日本文化協会会長、顔尚強(ガン・シャンチョン)さんは、そう流暢な日本語で即答した。顔さんは華人の三世で、英語、北京語、福建語、日本語を話す。名古屋大の大学院で原子力工学を学んだビジネスマンでもある。彼のお爺さんは、福建で九歳のとき人さらいに遭遇して、シンガポールに売られたのだという。シンガポールとは、そういう人たちの末裔が築き上げた国なのである。
 彼のいう“偉くて厳しいお父さん”とは、リー・クァンユー氏のことだ。経営学の視点からみると、この国はオーナーによく管理された中小企業にたとえられるのではないか。
 この国は、リー氏一代で築き上げられた。今でも彼は国の家父長である。彼の肩書は、SENIOR MINISTER(先輩大臣)という変てこな名称で、世界中を探しても、そんな閣僚ポストはない。

代表取締役相談役
「つまり、日本の会社にたとえれば、相談役じゃないの」と私。顔さんは、認識が浅いといわんばかりの表情をする。そして、こういった。
「代表取締役相談役だよ。今でもそうなんだ。アア、それそれ。院政をやってる。まだこの国。彼、いないと困るんだよ」と。顔さんの使った日本語の「院政」、いま日本の財界人に浴びせられている「院政」とは、ちょっとニュアンスが違う。否定的な響きはない。
 リー・クァンユー氏。欧米のジャーナリズムではこういわれている。「シンガポールは公式的には民主主義だが、リー氏はBENIGN DICTATOR(良性の独裁者)であり、国民はリーの作った規則と罰則とプレッシャーで、息苦しくなっている」と。
「そんなこと、私に聞かないでよ。私、叱られちゃうよ。たしかにそういう一面はあるよ。でも、それがすべてだと思ったら、それはあまりにもSUPERFICIAL(皮相的)な評論だよ」と、顔さんは困惑顔だった。
 この国のある若い華人社会学者に同じ質問を試みた。リーさんが院政をして万年与党のPAP(PEOPLES ACTION PARTY)は、「PAY AND PAY(どんどん罰金をはらえ)の略だって」と水を向けたのだ。
 彼はすかさず応戦してきた。「ジョークならいくらでもあるよ。PRESSURE AND PRESSURE(圧力、また圧力)ですよ。野党のWPはWHY PAY?(なぜ払うの)だし、もうひとつの野党SDPを文字ると、SO DONT PAY(だから払うな)になる、アハハッ」と。
 鞭打ちのあるディズニーランドの民主主義、中身は結構、生き生きとしていた。少なくともジョークが存在しえない停滞した昨今の官僚社会主義国日本よりも、会話が楽しい。
 それも、若いこの国の魅力のひとつだ。
 



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