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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 台湾再訪(下) ストリート・カルチャー  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2000/07/11  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  地震の連想ゲーム
 台湾は九州よりやや小さい島だ。地質学的にはまだ若い島で造山運動が活発である。ユーラシア大陸とフィリピン海プレートの交差点にあり、地層が安定していない。全島が徐々に上昇中とのことで、その過程でひんぱんに地震が起こる。
 二〇〇〇年五月十八日の昼。その時、私たち一行(元フジテレビ記者で日本財団参与の鳥井啓一さんと通訳兼ガイドの潘扶雄さん)は、台南県長室に、陳唐山県長を表敬訪問していた。突如、かなり強くグラッと来たのである。
「オッ。地震です」。陳県長は日本語でそう言い、椅子からちょっと腰を浮かした。この人は、蒋経国政権のもとで、台湾独立を叫び米国に亡命、米国で博士号を取得した後、米国商務省に勤務した地球物理学者だ。翌々日の陳水扁新大統領就任式後の組閣の下馬評では、科学技術庁長官起用の内示を受けていた。
 県長としてお別れ記者会見を終えたばかりの彼は、あわただしい中を時間を割いてくれたのだ。その日の夕刊には「午前十一時五十三分。マグニチュード五・三。震源地は台中県××町。死者三人、負傷者不明」とあった。台湾の地震は、日本と同様日常茶飯事であった。
 だが、地震より驚いたのは、「明後日、台北で再開しましょう」と言って別れたこの人の閣僚就任は「民進党の党内派閥の事情で覆える公算大」という記事が同じ新聞に出ていたことだ。その翌々日、台北で確認したのだが陳氏の入閣はやはり取り消されていたのである。
 台湾も日本の組閣の内幕とよく似ている。組閣名簿が派閥の力学でどたん場でよくひっくりかえる。「台湾と日本の共通性、それは派閥政治と地震だ。いずれも好ましからざるマグマのなせるわざ」と一言余計な事を言ったら、紳士の鳥井さんはちょっぴりハラハラし、台湾人の潘さんは、本当に困ったという表情をした。でも潘さんはすぐ気を取り直し、博識で、ちょっとシニカルで冗談のウマイいつもの潘大人に戻った。
 そして台南で遭遇した政局の地震ハプニングがきっかけで、台湾人の日常とその大衆文化について潘さんの講義付きの現地ツアーを楽しむ幸運をつかむことになったのだ。さて、本稿の主題は台湾の「ストリート・カルチャー(大衆文化)」である。多分、あらかじめ仕組んだのではなく偶然なのだろう。地震から出発し、酒→檳榔(ビンロウ)→おみくじ→デパート→地下鉄etc。台湾人の庶民文化のさまざまな断片を、潘さんは巧まざるして、連想ゲーム風に関連づけて丸、二日間実地に見聞させてくれたのである。
 まず高雄の海浜の台湾風海鮮料理屋での会談である。この店では、カブトガニなるものを初めて食べた。甘くてウマイ。タラバガニより身がしまっている。高雄名物だそうである。ビールは、旅先では地元に限る。「台湾●(口へんに卑)酒(生)」(台湾煙州專売局製)がいける。酒は紹興酒だ。紹興酒の原産地は大陸の浙江省だが蒋介石の夫人宋美齢の提唱で、中部台湾の埔里に国営製造工場をつくった。「品質管理がよいので大陸産よりウマイ」との評判だ。
「一九九九年九月の台湾大地震余話ですがね。埔里酒廠の貯蔵倉庫のかめの六割が壊れた。その時、酒のニオイが天までとどいた。そして何十キロもただよった。目をつぶってもわかる酒のありか。紹興酒の原料はモチ米です。蒸してコウジを入れる。造り方は日本酒と似てます。その香りが、ふくいくたる檳榔の花のほのかな香りと混ざって台湾は地震によってえもいわれぬ壮大な香りの世界に包まれたのです」。潘さんの日本語は美しい。そのままで散文詩になっている。
 ビンロウとは何ぞや? については「後で実物をお見せします」とのことで、再び話題は酒に。「日本のビールですがね。どういうわけか台湾ではキリンの人気がない。アサヒにぼろ負けです。台湾では“ASAHI”をアサリと発音する人が多い。日本語のアッサリはそのまま台湾語になっている。スーパー・ドライのアッサリ味が好まれたんでしょう」と潘さん。
「キリン・イチバン」と連呼しながら、若い二人組みの女性がテーブルにニコヤカにやってきた。なんとキリンの販売促進班だった。景品の当たるクジ付き販売だというのだ。「キリンを飲んでハワイに行こう!」と言ったのかどうか。台湾語は聞き取れなかったが、レストランにまでちん入するこの国の即物的商業文化の強烈さには、ただただビックリであった。
 
「檳榔」という、大衆文化
 台南の市街地には「檳榔屋」がやたらに多い。目抜き通りの中正路には五軒もあった。鳥井さんの観察では、一ブロックに平均三軒はあったという。屋台でビキニ姿の女の子が客引きをやっている。ところで檳榔とは何か??である。潘さんの解説を再現する。檳榔とはヤシ科の常緑高木の実である。染料に使われるが、若い実をかじるとドーピング効果がある。噛みタバコみたいなものだと思えばよい。檳榔樹の原産地は、インドネシアやマレーシアだが、台湾の先祖である福建人は唐の時代から、これを噛み覚せい剤的効果を楽しむ風習があった。昔の人はそのままで、今は石灰をなすりつけた葉で実をサンドイッチ状にして、ガリガリと噛むのである。
 試しに一箱買って(十個入りで日本円で二百五十円、タバコより高い)かじってみたが、苦くてまずい。ただそれだけの嗜好品である。「だから子供は食べません。芸能人、長距離トラックの運転手、格好つけたがるアンチャン。そして常習者の老人の必需品です。あれ一個かみかみ、“テメェ、ナンダ”とすごむんですよ」と潘さん。
 檳榔屋はいい商売で、屋台ひとつで、月十万円の実収入がある。それだけあれば家族が楽に食える。政府が「税金をかける」と言ったら、檳榔屋組合が「どうぞかけて下さい」と言ったという。課税対象になれば、檳榔販売が非合法化される懸念がなくなるからだという。
 台湾の大衆文化は、新旧のごった煮である。台北一の有名な寺廟、「龍山寺」に連れていかれた。仏教、道教混合の台湾独自の民族的宗教のメッカで、参詣者のお目当ては、もっぱら即物的現世御利益である。道教の文の神様、文昌帝君の前には、ネギ(聡明)とセリ(勤勉の象徴)が山積みになるほど供えられていた。
 その脇に「台湾電力公司、八八年度、士員主任職員考試」の受験表のコピーがあった。湯島天神のそれに比べると、真剣さと迫力の違いが感じられる。日本のそれはあくまで心理的気休めで、ファッションの一部としての神社詣ではないのか。
 台湾の大衆文化は、良きにつけ悪しきにつけその存在が強烈であり、旅人の視覚に訴える濃淡がまぶしいほどにくっきりとしている。何事も、さりげなく、さっぱりの現代日本文化とはたしかに異なる。それが、日台の大衆文化の成熟度の違いによるものなのかどうかはわからない。が、台北の銀座、忠孝東路の「崇光」に連れて行かれて、ますますその感を強くした。「崇光」とは「そごう」であり、日本での不振をよそに、台湾一の人気デパートの座を維持している。
 
台湾の「鋸箭法」
「そごうカード百万枚、突破記念セール」とかで、午前十一時の開店前に、数百人の群衆が並んでいた。Disneylandのテーマソング「世界はひとつ」のメロディーとともに、群衆は一斉にデパートに吸い込まれた。ところが“看板に若干の偽りあり”で、特売品は一部の商品に限られていた。昨今の日本の大衆文化は、この種の大ゲサで、“ダサイ商法”は受け付けない。その点、台湾の人はお祭り騒ぎが好きなのかも知れない。
「この人たち、そごうの東京本部から視察に来たんだよ。こんなに準備が悪くてどうするの。本部に報告されちゃうよ」と女性店員に潘さんが冗談めかして軽く抗議した。開店早々でコンピューターの立ち上げが悪く、クレジットカードでの買い物が不能だったのである。女店員は平然として言った。「私の部署じゃないから、私、関係ないの」と。「鋸箭法(チュイ・チェン・ファ)ですな」と潘さんは苦笑した。
「鋸箭法」とは、矢の突き刺った患者に、外科医はノコギリで矢を切り、体内に残った矢尻は内科医の仕事だとうそぶいたという中国の故事である。
 忠孝復興駅から地下鉄に乗る。改札の二メート手前に太い黄色い線が引かれている。「禁煙禁食、違規定者、NT$1500、台北捷運公司敬啓」と書かれている。「鋸箭法的論理で、いい逃れをされないように、行為とその帰結である罰金をあらかじめ明示してあるのです」と潘さん。
 車内はガラ空きだった。それなのに数人の若者グループは、地ベタに座り込んでいた。「日本の若者の悪いファッションをすぐ真似する。困りものです。台湾の地ベタリアンですよ」と潘さんがボヤく。「そう嘆きなさんな。潘大人。地下鉄当局は、それを禁ずる公示をしていない。鋸箭法、チュイ・チェン・ファ…」。鳥井さんと私は異口同音にそう言ったのである。
 



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