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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 「おお、一月の川」の税関で リオ・デ・ジャネイロに行く(上)  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1997/05/13  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  元日本政府高官に赤ランプ
 一九九七年三月の夜、米国フロリダ州マイアミを発ったのち、同じ日の昼前、ブラジルは、リオ・デ・ジャネイロのガレオン国際空港に着く。三年前のデノミと新通過切り替えで、この国の大蔵省は背伸びをし過ぎて、一ドル=一Reau(ポルトガル語では、リアルではなく、ヘアウと発音する)に交換レートを設定した。だから外国人にとっては物価が極端に高い。「ブラジルで土産品を買うなよ」と、出発前見送りの米国人に言われた。外国人にとってリアル高は、ブラジル人にとっては、外国で品物が安く買えることを意味する。
 もちろん、この国の所得ランクで上位一〇%に属する人々が行使できる特権なのだが、米国発の飛行機は金持ちとおぼしきブラジル人で満席、買い物でふくらんだトランクを税関にひいていく。新品の「NIKE」(ナイキ)のシューズを夫婦ではいている人が多い。米国で買っても一足百ドルはする。ブラジルの最低資金(月額)は、百十二リアル。この国は食糧は安いから、それでもなんとかなるとのこと。つまり貧乏人はNIKE一足分で一カ月暮らしているのだ。
 この空港の通関のシステムが面白い。申告すべきものがある人は赤の表示、ない人は緑の表示のカウンターであるのは国際基準だが、緑の看板のカウンターには、ゲートがある。「われ、神に誓って課税品なし」と思う人は、ゲートに据えつけられたボタンを押す。ところが何人かに一人は、ブザーが鳴って赤ランプが点灯する仕掛けになっているらしい。数人前の大荷物をカートで運搬中のブラジル人が貧乏クジ? を引いて赤看板のカウンターに手招きされた。
 私は、何事もなく通過したのだが、二人後に並んでいた日本から一緒にやってきた友人が、ボタンを押したとたんに赤ランプが点灯したのである。この人は元日本政府高官なのだが、彼がどのように振る舞うのか、苦笑しつつ傍観することにした。なぜなら手荷物の大部分は、私と同様に本と書類であり、カバンが怪しげにふくらんでいるのは、米国のシンポジウム出席のために数日間ホテルに滞在した際、ため込んだ洗濯物のせいであることがわかっていたからだ。英語堪能の友人は、英語の弱いリオの税関吏に、「自分はブラジル大統領も出席する国際会談のゲストである」とか「中身は資料であり土産品はない」とかいろいろとまくしたてた。おかげで、カバンは開けられることもなく入国した。
 だが、その間、約五分のロスタイム。彼はこういったものだ。
「ブラジルとは、面白い国だね。この通関システムは、ロシアン・ルーレットだよ。無作為に、ある確率で赤玉がつく。だから人々はピストルの弾倉に一発だけこめられている実弾を恐れて、課税品をもつ人はあらかじめ正直に赤看板のカウンターに行く。うまく考えてあるよ」
「ほう、そうかねえ。だれかどこかの物陰で見ていて、怪しそうな人間がボタンを押すと、赤ランプを点灯する仕掛けになっているんじゃないの?」と私。
 だがこの友人は確信をもって断言した。
「ジャーナリストはシニカルで、何でも斜めに物事を見たがる。ブラジルは、人種のルツボの国だろ(旅行案内書によれば、色人系五四%、混血三四%、熱人一〇%、黄色人二%)。だから人種差別に気をつかっているんだよ。無作為抽出法なら問題ないからねえ」
 おお、なんと性善なる人よ。この東大法学部、ハーバード・ビジネススクール出身の大秀才は……と思いつつ、私は黙り込んだ。派手な色彩のポロシャツに、上等でドレッシーだが、ブレスの折り目のない上下揃いのスーツを無造作に着用し、おまけに腹がすごく出ている。しかも骨太で強そうな髪は短い。まあ南米流にいうなら、“マチョ”、日本なら“親分”の風格だ。私はそういう彼の風貌が気にかかっていたのだ。リオの税関のマシンは、はたして「作為か」「無作為か」。その決着は後日に持ち越される……。
 ジャーナリストにとって、見知らぬ国を訪問する際、予習が必須条件だ。よき書物と遭遇して、おおざっぱではあるが、その国の全体像を頭にたたき込んでおくことにしている。短い滞在期間中に象のシッポだけつかまえて、「象とはヒモのような形状の動物ナリ」などと得意げに断定しかねないからだ。ブラジルとはまさしく巨象であり、しかも色彩はまだら模様の国なのである。ブラジル訪問前に滞在したワシントンDCの本屋で、『The Brazillians』という名著を見つけた。著者はジョージタウン大学の教授で、五百四十ページもある大作だ。長い夜間飛行の機中で拾い読みをしているうちに、未知のブラジルがなんとなく見えてきた。
 まず、その国土の大きさに篤かされる。この国の横幅はニューヨークからロンドンまで、縦は北端の町ベレムから南端のポルトアングレまでの距離は、この国の昔の宗主国のポルトガル首都リスボンからモスクワまでより、もう少し遠いと本書の著者は書いている。そして「ブラジル人とは心温かく親切であり、かつ篤くほど粗暴な人々」。「ブラジルは世界一美しい国土である半面で、環境汚染の凄い国」(おかげで、世界の三大美港であるリオ・デ・ジャネイロは二〇〇四年オリンピック主催都市に立候補したが、汚染を理由に予選落ちしたとのこと)。途方もなく金持ちであり、かつまた、ぞっとするほど貧乏な経済の国」……。この本にはこうも書かれていた。
 つまり、ブラジルとは、「もの凄くコントラストの強い国なり」なのである。陽光のもとでブラジルは色鮮やかに輝くかと思ったとたんに、濃い影を見つけて、「ハッ」とさせられる。この国は、光と影がからみ合って無数のパラドックス(逆説)を作り出している。ちなみにパラドックスとは、一見、諭旨が矛盾しているようだが、実は正しい説をいう。そういう国は、よそ者にとって、ミスパーセプション(誤認識)がつきものだ。
 さて、例の税関の「作為・無作為論争」である。ガイド歴十数年で税関のウラのウラまで精通するシミズさんによれば、監視カメラでチェックし、怪しげな人物とみると、リモコンで赤ランプを点灯するのだという。
「これで、お二人の勝負はマッチイーブンですね。でもね、ブラジルを見つけたポルトガル人も、リオのガナバラ港を河口と感違いして、一月の川(RIVER OF JANUARY)と名付けたんですからね」。ウッフッフ。と清水さん。
 隣の座席の“誤認のライバル”は、気持ちよげに寝込んでいた。東京→リオ。十二時間の時差がある。
 



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