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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: ノルウェー 北極捕鯨の島々で(上) フィヨルドの漁民たち  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2000/12/05  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  “氷河期の証言”
 二〇〇〇年の夏の終わり、いくつかの仕事を組み合わせて、スカンジナビア半島を駆け足で周遊した。最初の目的地は、ノルウェーの北極圏の島々、ロフォーテン諸島であった。この島は、世界でたった一カ国、商業捕鯨をやっているノルウェーの、捕鯨船の根拠地である。
「世界唯一」と聞いていぶかしく思うかも知れぬが、日本がやっているのは「調査捕鯨」なるもので、欧米の反捕鯨の圧力でやむなく、そのように銘打っている。だが、この国は一九九三年から「商業捕鯨」であると宣言して、年間約六百頭のミンククジラを獲っている。日本とほぼ同数だが、彼らは言う、「俺たちは獲る権利がある」と。以下は、捕鯨国日本のお友達、ロフォーテンの島の秘境探訪である。
 日本からこの島に行くのは、遠い旅である。出発前、スカンジナビア半島の地図を開いてみる。半島の左側に細長く延びるノルウェー国、そのまた左端に点々と横たわっている七つの小島、それがLofoten Archipelago(ロフォーテン群島)であった。ノルウェーの南端にある首都オスロから、国内定期航空で約二時間、北極圏の町トロムソで二泊、さらにボドーで、小型機に乗り換えて二十五分、群島に三つある空港の一つ、Leknesに到着した。
 成田→パリ→ベルリン→オスロ→トロムソ→ボドー→レクネス。途中の滞在日数を除いた純粋飛行時間だけで、二十時間はならんとする。「ひとり旅なのか? なにここまで来れば、あとはまかしてくれ。ヴァイキングは客人を厚くもてなす文化をもっている」。あらかじめ電話で打ち合わせしたルネ・フロヴィック氏がそう言ってくれていた。思えば長い道中であった。
 彼の運転で、空港から捕鯨船の根拠地レイネ町に向かう。ルネの名刺の肩書きは、High North Alliance(北極圏同盟)の事務局長とあった。捕鯨の漁民を中心に、政治家、ビジネススマン、学者、社会運動家を結集したNGOである。日本の漁業協同組合に、捕鯨推進の非漁業者を加えた組織と思えばよいだろう。
 まさにこの島々はフィヨルドの本場であった。U字もしくはV字型の入江が、陸地の奥深く食い込んでいる。入江の両岸はどこも急傾斜である。高くて黒い岩山が海からニョッキリとそそり立っている。万年雪に覆われた氷河の痕跡が見える。
「フィヨルドはねえ。“氷河期の証言”ともいうんだ。日本人は南の国の人だから、そういうことは多分不案内だろうね。百万年ほど昔のことらしいけど、氷河期の終わりの頃、地球が暖かくなり氷河が海にずれ落ちたんだ。その時、岩や土を削った。その時、生まれたのがフィヨルドだ。山よりも海が交通路だった。ロフォーテンは、今でもそうだけど……」。英語のうまいルネは、なかなかの学者でもあった。“ただの漁協のオジサン”が迎えに来たのではなかった。彼の学識が、この島の訪問にどれほど役に立ったことか……。
 ルネの案内で訪れたのは、漁協の有力者、オラヴセン兄弟のウォーター・フロントであった。捕鯨船二隻がフィヨルド(峡湾)の埠頭に繋がれていた。兄が船長兼漁労長、そして弟のジャン・オラヴセンが、肉の処理と卸売りをやっている。彼らはヴァイキングの末裔だそうだ。ジャンは捕鯨国同士のご縁で、日本を一度訪れたことがあるという。
 
「ニヴラーナ号」とミンク鯨
「あと二週間、早く来ればよかったのに。船首のTOP GUN(捕鯨砲)も撤去してしまったよ。せっかく日本から来たのだから、ロフォーテンのWhale Catching(捕鯨)の話を詳しく教えてあげるよ。とにかく船に乗れよ」。オラヴセン兄弟に迎えられ、桟橋の捕鯨船、「ニヴラーナ号」に乗り移った。
 この船は鯨獲りの標準的な大きさとのことだったが、全長二十メート、排水量六十トンの鋼鉄船で、私の想像よりも小さかった。
 ノルウェーの鯨の漁期は五月中旬から八月中旬までで、この船は秋のニシン、冬場のタラの漁に備えて整備中だった。「マストの上にCrow's nest(カラスの巣=見張り台)があるだろ。天気がよくて、波が静かなら、あそこで日夜、獲物のミンククジラを見張るんだ。なに? 夜も見張るのかって。北極圏の夏は太陽は沈まないんだよ」
 思わず愚問を発したら、大男のオラヴセン船長が、「ガッハッハッ」と豪快に笑った。船上で交わした問答を綜合すると、彼らの北極圏捕鯨の現場は、かくのごとし、であった。
 
 待つこと久し。静かな海面にミンククジラの黒い背中が、ほんの数秒間浮上する。息を吸うためだ。全長八メートの中型クジラ、ミンクは大型のマッコウクジラのように、潮を吹いたり、海面上にジャンプしたりはしない。だからミンク発見には波が静かであることが絶対の条件だ。そんな日は、出漁期間中、半分もない。「クジラ発見!」。見張員が叫ぶ。操舵手と砲手の三人の連携作業が開始される。
 ニヴラーナ号は、新鋭船であり、人工衛星による自動航海装置(Satelite Navigation)、レーダーやソナーの漁群探知器の装備はあるが、クジラには使わない。レーダーはタラやサバの魚群探知用だ。ソナー(音波探知器)は、クジラに感付かれるのでダメ。そうなると見張員の肉眼と経験とカンだけが頼りだ。
 見張員は六時間交代で“カラスの巣”に登り、風向きと力モメ群の動きを監視する。空中からエサの存在を偵察するカモメがプランクトンと魚群の存在を教えてくれるからだ。
 魚が集まる海中には必ずクジラがいる。ミンクは大食いだ。大口をあけて魚群に突入する。そして呼吸のために時折、海面に姿を現わす。見張員は、クジラが潜る姿をしっかりと確かめ、その方向と再浮上の時間を素早く暗算し、その位置を、操舵手と砲手に告げる。ミンクの海中速度は二十二ノット、ニヴラーナ号は八ノット以上は出せない。エンジン音がクジラを驚かしあらぬ方向に逃げられるのを防ぐためだ。
 遅いスピードで、クジラの再浮上の海面にいかにうまく近づくか。これがロフォーテンに所属する十九隻の捕鯨船の腕の競いどころ。これが首尾よくいった場合にのみ、砲手は船首のトップガンから再浮上したミンクの黒い背中めがけてロープ付きの砲弾を発射することができる。砲弾にはクジラを苦しませないためにノルウェーが開発した特別の火薬が仕込まれている。一発五百ドルもする砲弾だ。ほとんどのミンククジラが即死する(ノルウェーの捕鯨船には獣医の資格をもつ監視官が同乗し、ストップウオッチで死亡時間を計測する)。
 獲物のミンクが、ウインチで引き揚げられる。甲板で輪切りにされ、肉と脂以外は、海中に放棄する。肉はこの国のステーキの食材で、座ぶとん大にスライスして、氷の板ではさんで港に帰る。五人乗りのニヴラーナ号は二十四頭の獲物があった。二〇〇〇年七月から八月中旬の三週間北海での操業の成果である。
 
「クジラ獲りは戦争ナリ」
「クジラ獲りは決していいビジネスとはいえない。昔はこの島の漁民の収入の七〇%はクジラだった。でも今は、船毎に捕獲頭数の割当てがあるからね。北海にやってくるミンクは明らかに増えているがせっかく発見しても獲れないのだ。わが社の収入の六〇%は、タラ漁でまかなっている」と、弟で営業担当のジャン・オラヴセン氏が言う。
「いや、それだけじゃない。鯨獲りは戦場に行くようなものだ。危険と背中合わせだ」と、兄のオラヴセン船長が続ける。
 クジラ獲りは戦争ナリとはいかなることか? いぶかる私は船倉に連れて行かれた。一九九二年、ノルウェーが商業捕鯨再開に踏み切る前年、出漁準備中の「ニヴラーナ号」に米国の「海の番人」と称する団体のメンバーが忍び込み、船倉のキングストン・バルブが抜き取られた。「朝起きたら、係留中の船がない。桟橋の脇の海中に沈んでいた。環境テロリストの襲撃さ。でも俺たちはそんな輩に屈しないぞ」。二人がそう言った。
 出漁中の捕鯨船も緊張の連続である。獲物を追うスリルは漁民にとって心地よい“心の張り”だが、時折「グリーン・ピース」(先鋭的な環境保護団体)の“巡視船”に、襲われることがあるという。
「この写真を見てくれよ。奴らの船は大きいだろう。あいつらは、海上で体当たり寸前まで接近して脅しをかけて来るのだ。もしぶつかったら、われわれのWhale catching boatは、撃沈される運命にあるんだ」。海上で僚船が撮影したという一枚の現場写真を見せられた。図柄から判断すると「グリーン・ピース号」は、数百トンは優にある高速船だ。捕鯨船は六十トン。トラがネコを追いまわす図である。
 もし船が沈んだらどうなるのか? 「その場合は、戦争保険の対象になるのではないか。死人が出たら戦死だよ」。オラヴセン船長がそう言う。黒い岩山が不気味にそびえ立つ北極のフィヨルド。そこは、“世界クジラ戦争”の熱い最前線でもあった。
 



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