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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 新彊ウイグル紀行(中) 砂漠に羊が降ってくる  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1999/01/10  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  「ビールの一気飲み?」
 ウルムチは、中華人民共和国新彊ウイグル自治区の区都だ。カシュガルは、中国の西の端、パミール山地の東麓にあり、古来から東西交易の町として発展した。いずれもシルクロードの要衝である。遠い昔をたどれば、ここの人は人種的にはモンゴルの騎馬民族の末裔である。だからこの二つの地名はウイグル語であり、漢字の「鳥魯木斉」と「喀什」は北京語の当て字の音訳にすぎない。この地域の多数派である少数民族、「維吾爾」族は文化的ルーツは、トルコと同類だ。
「ビール、一気、ON」。この三つの単語の組み合わせは「ビールを一気飲みしよう」という意味ではない、ウイグル語で、それぞれ、「一、二、十」をさす。私はイスタンブール旅行で、トルコ語の数字を一夜漬けで覚えたことがある。が、それがウイグル語と同じであるとは、この地を訪れるまで想像だにしなかった。中国は国土が広いだけでなく、五十六もの民族で構成される多民族国家で、均一化が困難な国だ。とくに三本のシルクロードの横断する中国西域のこの新彊で、「そもそも中国では……」式のものの言い方はできないと悟った。
「新彊に行かないと中国の広さはわからん」と北京でいわれた。北京にとって新彊ウイグルは僻地であり、北京から役人や軍人がここに赴任すると、給料は二倍から三倍になる。「広い」というのは地理的広さもさることながら、北京では考えられないような自然現象も起こるし、また、異人にはなじみのない異文化があるという意味も含まれている。
 北京から同行してくれた苗・陸軍将軍も少数民族の出身だ。遼寧省(東北地区)の錫伯族だが、同じ民族が新彊ウイグル自治区の伊犁・カザフ自治州に二万人ほど住んでいるというのだ。伊犁はウルムチから北に六百九十キロ、バスで行けば一日がかりだが、新彊的基準でいえば、シルクロード沿いの隣の町だ。彼の解説によれば、清の時代、辺境の警備のため、この地に強制移住させられた人々だという。
 苗将軍らとともにウルムチの新彊大学を訪れたのだが、突然、一陣の風が、やってきた。キャンパスにポプラの葉が砂塵とともに舞いあがる。「いよいよ、やって来ました」と彼。新彊ウイグル自治区は、北に天山山脈、南に崑侖山脈が、北西の風を集めるように並んでいる。砂漠の地表が熱せられると、二つ山脈を通り抜ける風の速度が倍加することもある。
 幸いこの日の風は、一時間ほどで収まり、「僻地手当」の実感を伴うほどではなかった。だが、現地の人に聞くと、遠くで大砲を打つような音がする。一天にわかにかき曇り、白日は暗夜に転ずる。暴風が吹き荒れ、「コブシ大のヒョウとともに、砂利が空から降ってくる」とのことだ、時には、空から何匹もの羊が落ちてくる。
 まさか羊が……。ウイグル民族の阿不来提、新彊ウイグル自治区首席に確かめたら、「白髪三千丈的な誇張ではなく、ごく希にはそういうこともある」というのだ。「いや、それだけではない。砂漠地帯だから干魃があるのはだれでも想像できるだろうが、実は洪水もある。天山と崑侖の雪水のおかげで水資源は全体としては過不足はない。山の水が約五百の河川を流れるのだが、地域的、季節的に片寄ってしまうのが問題なのだ」という。
 言うまでもないことだが、砂漠のオアシスの民は、風と水と緑の管理が巧みである。とくにカシュガルの町はその感が深い。この町は天山の南麓を通る天山南路と崑侖山脈の北麓、タクラマカン砂漠の南縁を通る西域南道の合流点の巨大な砂漠のオアシスだ。今日では人口二十二万の都市で、高層ビルも結構立ち並んでいる。でも、一歩大通りを離れれば、昔ながらのウイグル族の天地である。路の両わきに、幅一メートほどの水路を掘り、天山の水を引く。溝のわきにポプラを二重に植える。緑の潤いと風よけのためだ。溝の内側には土の塀をめぐらし、そのなかに土の壁の家がある。庭には、芝生というより草を生やし、バラを植える。強風のせいか育ちは悪く、花ビラは小さい。

コーランの響き
 路地にはロバに曳かせた二輪車が走り、頭にスカーフを巻いた女性や、ヒゲをたくわえ縁なしの帽子をかぶった男が行き交う。風に乗ってコーランの斉唱が、かすかに聞こえてくる。この地は、紀元一世紀、いまの中国領では一番早く仏教が入ったが、たいした仏教遺跡はない。ウイグル族はモンゴルからやってきたが、彼らは、イスラム教に帰依してしまったからだ。
 十七世紀、この地域の王であった、マホメットの末裔と称するホージャ一族の墓所がある。一七五六年、政略結婚で清の第六代皇帝乾隆帝に嫁がされ、二十九歳で北京で客死した香妃の墓もある。
「この美しい姫は、女真族の乾隆帝を最後まで拒み、ウイグル族としての誇りを貫き通したので、死を賜った」とのことだ。もっともこの話は、たまたまかたわらで日本人の旅行グループを案内していたウイグル人のガイドの話を盗み聞きして得た情報である(乾隆帝と同系統の満洲族である苗さんが、そういう解説をするはずがない)。
 この若い男性ガイドは日本語がウマイ。「日本語とウイグル語は文法が同じなので覚えやすいです」と彼。六百元(一万二千円)出して、香妃の隣の敷地に小さな墓地を買ったとも言っていた。
 カシュガルは、新彊一の手工業の町でもある、中国一のモスクといわれるエイティガール寺院の裏手に職人街がある。半キロほどの街路の両側に店が並んでいる。モスク詣での参道を兼ねているらしい。指輪やネックレスを作る金細工屋、靴屋、木工細工屋、帽子屋、楽器屋、板金屋etc……。すべてが手造りだ。店は作業所を兼ねており「コンコン」「トントン」「ガンガン」にぎやかだ。
 ウイグル人はよほど帽子の好きな民族のようで、お椀型や、菓子鉢を逆さにしたような帽子やハンチングをかぶる人が多い。レーニン帽や人民帽は、ついぞ見かけなかったが……。三味線に似た楽器を造る店もある。
 ウイグル人というより、これは中国人特有の表現方法なのだろうが、「○○なくして、××はない」という言い方がやたらに多い。前出の「新彊に行かずして、中国の広さを語るなかれ」もそうだが、「カシュガルを訪れずして新彊を語るなかれ」とか、「バザールを見ずにカシュガルを語るな」とか、この地でもいろいろと聞かされた。「日光見ずして結構というな」は、日本製だが、これも多分、中国文化の影響であるのかもしれない。

ウイグル・ナイフの使用法
 さて、そのバザールである。じゅうたん屋、ワンピースや背広の仕立屋、新彊シルクと称する布地もある。「シルクを買って民族衣装を作ってもらい、土産にしたらどうか」と苗将軍に勧められたが、日本では実用価値がない。
 ウイグル・ナイフという、刃渡り十五センチほどの刃物も売っている。ウイグル人は、たいていこのナイフを腰にぶら下げている。凶器としても十分通用するが、主な用途は食事用だ。
 羊の肉をばらす、果物の皮をむく、野菜を切り削む。それだけでなく、食物をナイフの上に載せて口にもっていく道具でもある。カシュガルで、ラクダのヒズメを煮込んだウイグル料理を出されたことがある。けもののにおいの強い軟骨だが、味もさることながら、箸ではいかにも食べ難い、こんなとき、ナイフでゼラチン状のヒズメの中身をえぐり出して口にもっていったら、便利なのだろう。このナイフは、そういう使い方をするものらしい。
 土産品として、緑の干しブドウを一キロほど買う。日本円で三百五十円。シルクロードの「熱砂のオアシス」という異名をもつ吐魯番から、はるばるトラックで運んだものだという。
 カシュガルの外事弁事処のウイグル族のお役人に聞くと、この町は海抜ゼロメートルの盆地で、周囲はゴビ(石と土の砂漠)に囲まれ、夏は気温五十度、冬は零下二十度にもなる。年間降雨量はたった三十ミリという、超乾燥地帯とのことだ。
 ところが、トルファンは、世界でも有数のブドウの産地だという。そんな激しい自然条件で、なぜブドウの栽培が可能なのか。その謎は、天山の雪水の地下水にあるというのだ。
 土と砂利の砂漠に百本以上の井戸を掘り、その底をつないで地下水道を造る。その水を使ってブドウを育てる「天山の水はおいしい、日照が強い、だからブドウは好吃(うまい)」とのことだ。
 西瓜やハミ瓜も、新彊ウイグルの特産品だ。ウルムチから北京への帰路の飛行機は、かつぎ屋で超満員だった。果物の香りが、機内に充満する。航空運賃を払っても、かつぎ屋はもうかるものらしい。
 新彊ウイグル自治区の阿不来提主席によれば「夏場は北京からの漢族の観光客、公務員、軍人の乗客が多い。しかし、冬は行商、出稼ぎ、ビジネスをやる北京行きのウイグル人が漢人の数を上回る」という。
 北京で、シシカバブのチェーン店を造り、大金持ちになった人もいるとか。そういえば北京に新彊街という名の盛り場がある。
 



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