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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 靖国神社?「殉国者への墓参」当然なのだ  
コラム名: 自分の顔相手の顔 264  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/08/23  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   閣僚が靖国神社に参拝するかどうかは、その人の自由でいいと思う。心の問題は全くその人その人の自由だから、表現もそれぞれでいい。私はお花を持ってとぼとぼとお墓にお参りするおばあさんの姿が好きだが、私の回りにもいろいろなタイプの人がいる。
 亡くなった人には深い愛着を持っていても、「骨は単なるカルシウムですからね」という人もいる。カルシウムより、その人の存在がいとおしかったということだろう。
 「私はお墓には行きませんよ。死んだら魂は遍在するんです。何もお墓だの教会だのに行かなくても、どこででも祈れば通じるんですよ」というのがその人の理由だ。
 しかし社会的な問題となるとそうはいかない。たとえどんな戦争であれ、国家のために命を捧げた人を悼まない社会などろくなことにはならないだろう、と私個人は思っている。戦死者ばかりではない。溺れた人、山で遭難した人、危険な病気にかかった人、火事で家の中に取り残された人などを救おうとして亡くなった人には、国を挙げて感謝すべきだろう。緊急事態の中で船を動かし、送電線を繋ぎ、飛行機を飛ばし、道路を確保し、通信業務を放置しなかった人たちがもし殉職したら、それは社会全体でそのことを讃え報いるべきだろう。日本だけでなくどこの国でも、国のために死んだ人たちに人間として尊敬を表すことは当然だから、国賓が無名戦士の碑に花輪を捧げることが公的行事とされる。
 殊に総理など数人は、今年も周辺国への影響を配慮して参拝を止める、と言う意味のことを、少なくとも八月十四日朝七時のNHKニュースは報じた。字句を書き留める紙が手元になかったので、恐らく言葉遣いに多少の誤差があることは許して頂きたい。
 私が「周辺国」の指導者なら、このニュースを聞いただけで当分の間いい気分だ。そして自分の身の回りの人にも、「何しろ日本はまあ当分こちらのいいなりとみて差し支えない」と自分の政治力を誇るだろう。
 周辺国に気兼ねして、戦士の墓に参らなかった最初の責任者は誰なのか知らないが、周辺国が何を言おうと墓参は当然だと言えたはずだ。不戦や平和を願うことは戦死者を出さないことなのだから、過去の犠牲をキモに銘じるためにも行くのが当然なのだ。
 しかし最も愚かなのは、日本の総理が周辺国に気兼ねして参拝を止めた、とわざわざ理由まで報じたことだろう。もし総理の官房がそのように発表したのなら、官房が国際政治というものをわかっていないということだし、もしマスコミが出所を明確にできない程度の情報でそう言ったのなら、国を売ったことになる。これだけで周辺の国は、日本はどれだけでも押せば引く国だと改めて認識するからだ。総理や閣僚が国のために亡くなった人たちにどういう態度を示すか、ということは、国際的な日本のイメージに繋がり、国内的には教育の基本にも影響がある。
 



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