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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 中央アジアの草原にて(4) トルクメン&カスピ海  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1999/08/10  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  砂漠の蜃気楼
 トルクメニスタンの首都、アシュガバードは、帝政ロシアが、十九世紀末英国の勢力下にあったイランを牽制するために派遣した守備隊によって建設された軍事都市であった。でも今日ではこの国に三兆立方メートの天然ガスと五億五千万バーレルの石油が埋蔵されていることがわかり、砂漠の町アシュガバードは資源開発の国際的工業基地に変わりつつある。
 中央アジアの「クウェート」をめざしてケバケバしくお色直し中だ。
「百聞は一見にしかず。疑うむきは市の中心からイラン国境に向かって十五分も行ってみよ。宮殿風のホテルが二十軒も並んでいる。どこのホテルも客はまばらだが、夜にはイルミネーションが輝き、ぶったまげること必定」。あらかじめ読んであった英国の旅行案内書、『CADOGAN』にはそう書いてあった。
「ぜひ、見学に出かけねば」と思って空港に降りたったのだが、宿泊先として案内されたのが、くだんの新設ホテル群のひとつだった。ここはベンゼンギ・ホテル群という。南にはイラン国境の山々。これと対峙するかのように、ホテルの“一列横隊”がある。ホテル群は、帯状の緑に囲まれ、水が引かれている。だが周囲はすべて砂漠。ここへのアクセスは砂漠を一直線に突っ走る舗装道路だが、その遠景は砂漠に忽然と浮かんだ「蜃気楼」といったところだ。
 近くに寄って目にした光景は、もっとビックリであった。ピンク、白、黄色etc、極彩色の建物が、それぞれ塀に囲まれて連なっている。アラビアン・ナイト風といおうか、砂漠のディズニーランドといおうか、とにかく異様なたたずまいだ。
「東名高速の御殿場インターチェンジ付近に、群生するラブホテル街みたい」。同行の日本の大学教授がそう言った。言い得て妙。たしかにそうではあるが、こちらのほうは、おおむね五階建てで、天井も高く堂々たる建築物である。このホテル団地は一般の観光客用ではなく、すべて政府のゲスト用だ。二十軒も一度にゲスト用ホテルを建設するとはいったいどうしたわけなのか。それはソ連離れしたトルクメニスタンの、新興国らしい“パラ色”の夢の結晶なのだ。
「中央アジアのクウェート」。この言葉は湾岸のクウェートがサダム・フセインに突如として侵略されて以来、あまりはやらなくなったが、豊富な地下資源を外国に売って、“エネルギーリッチ”になろう??という国家の基本戦略は、いささかも変わっていない。だが、この国の資源、とりわけエネルギー資源は、ソ連によって開発されたごく少量の石油生産を除けば、まだ絵に描いたモチ、すなわち潜在力であるにすぎない。埋蔵量の多い天然ガス開発のためには天文学的な金額の外資を必要とする。ただ掘ればすむのではなく、欧州あるいは日本の需要国に対して三本のパイプラインを建設し、海まで運ばなくてはならない。
 そこが、地勢的に内陵国であり、また、地政学的にも強国に囲まれ難しい場所に位置している小国の泣きどころでもある。ニヤゾフ大統領は、潜在的な地下資源を活用し、一家に一台のメルセデス・ベンツを公約した。そのためには、ます手始めに、投資しそうな外国人が快適に滞在できるホテルを、外資の協力でまとめて建設したとのことだ。それぞれ、大統領府、経済貿易省、交通省、保健省、教育省、中央銀行などのゲストハウスとなっているが、まず満員になる気遣いはなく、あくまで先行投資の域を出ない。
 
「トルクメン」のスパゲティ
 われわれ一行の泊まったのは大統領府系だったが、ホテルのレストランはイタリア料理専門だった。とくに日本流にいえば、スパゲティのザルそばに相当する「ペペロンティーニ」は絶品だった。私の経験では、東京のイタメシ店のどこよりもウマク、そして安かった。トルクメニスタンでイタリア料理とは奇妙な取り合わせに思えたが、シェフは、ローマからやってきた正真正銘のイタリア人だった。
「どうしてトルクメニスタンに、ペペロンティーニがあるのかだって……。ここはイタリア人ビジネスマンが泊まるからだよ。ホテルもイタリア資本が入っている」とヒゲのシェフが言う。トルクメニスタン国立大のハローパ女史に聞いたら「トルクメニスタンの綿花の品質は世界一。原綿のままイタリアが買いつけ、高級綿製品にして世界に売っているのだ」と。ちなみにこの国の綿花生産量の四%が国内で綿布に加工されているにすぎないという。お客は、源綿買いつけのイタリア人のほか数人の英国人がいた。BPの技術者で、このホテルに数カ月滞在、パイプライン建設のための調査をしているといっていた。
 トルクメニスタンが、世界の潜在的大資源国たり得るのは、ひとえにカスピ海のおかげである。アジアとヨーロッパの大地の水を集めて流れる河川は、数百万年もの間、カスピ海とその付近に有機物を体積させた。これが石油や天然ガスに生まれ変わったのである。だから天然資源のことをうんぬんするなら、カスピ海に行かずして、この国をルポする資格はない。そう思ってわれわれ一行の受け入れ先である大統領府に、欧州への出口であるカスピ海沿岸の港町、「トルクメンバシ」を訪れたいと申し込んだのだが、一日一便しかなく、帰りの便は保証できない」といわれて、あきらめざるを得なかった。
 後日苦肉の策として、クアラルンプールに住むマレーシア経済研究所長、ムハマド・アリフ氏に電話取材を試みた。アリフ氏は中央アジアの移行期経済の人材育成プロジェクトをやっている日本財団のパートナーであり、われわれの訪問する数日前、この国を訪れ、海を見たさに「トルクメンバシ」まで遠征したと聞いたからだ。
「いやあ。遠かったよ。往復十八時間もかかった。だからカスピ海の町には三時間しか滞在できなかった。街は人が少ないネエ。景気は悪いんだろう。人の数よりもラクダが多かった。あんなにたくさんのラクダを見たのは、私の人生で二度目だ」
 敬虔なるイスラム・スンニ派教徒であるアリフ氏は、メッカに巡礼の経験をもつが、ラクダの群の風景は、それ以来だったという。メッカのあるサウジからトルクメニスタンの港町まで、直線にすれば千五百キロ。青森から九州までの距離であり、メッカと同じ砂漠のラクダが、この地に生息していても不思議ではない。
 
「キャビア」の政治家
「海は限りなくブルーで静かだった。沿岸にソ連の建設した石油精製施設があったが、思ったより建設は進んでいない。水は塩辛かったが、マラッカ海峡の本当の海水より塩分はずっと薄い。だからキャビアの親魚? そうそう、STURGEON(蝶鮫)がカスピ海にいる」。だが、人通りの少ない街のレストランに入ったが、キャビアはメニューになかったという。資源の枯渇と、価格の高騰で庶民の口に入らないのではないかと。
 アリフ氏の三時間の見聞からみても、天然資源の宝庫カスピ海は、少なくともトルクメニスタンにとっては、開発ブーム以前であることは間違いない。カスピ海の石油埋蔵量は、米国のそれに匹敵するといわれる。その資源をめぐって国際企業が競い合い採掘権の買い占めが行われている。カスピ海は資源が潜在的に豊かであるからこそ、沿岸国同士は、仲睦まじいという関係にはない。ロシア、アゼルバイジャン、イラン、トルクメニスタン、カザフスタンの五カ国が沿岸国である。
「カスピ海は、海であるのか。それとも内陸湖であみのか」。大論争中だ。「湖」派は、イランとロシア。もし「湖]であるならば、カスピ海の資源は、共有で共同管理になる。共同管理ならば、発言力の強いロシアとイランという二つの大国が有利になる。少なくとも、トルクメニスタン、カザフスタン、アゼルバイジャンはそう思っている。だから三国は、カスピ海を「海」であると定義し、周辺五カ国の領海に分割されるべきだと主張している。小国としては、共同管理という美名のもとに、ほんのわずかしか分け前に預かれないのなら、海の五分の一を確実に手にしたほうが得だとの政治算術が働くのだ。
 地質学者によれば、カスピ海の三百万年前の姿は黒海や地中海につながっていたという。地球規模の気候変動や造山運動によって、カスピ海の“内陸海”化が、その後起こったのだろう。
 黒粒のダイヤであるキャビアをめぐって、沿岸国の紛争は絶えない。ロシア領のアストラハンに、カスピ海唯一の大規模な蝶鮫の孵化場がある。数年前、モスクワを訪問したとき、ロシア外務省高官が「ロシアが孵化して、STURGEONを放つと、イランが獲ってみんな食ってしまう」と嘆いたのを思い出す。これにロシアを警戒する新しい独立国家が沿岸に三つも発生した。
 石油と天然ガスの利権とパイプラインのルートは、カスピ海の地政学上の大テーマだ。たかがキャビアごときの騒ぎでは、とうていおさまるまい。
 



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