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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: クアラルンプール再訪 “色白”になったマレー人  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1999/04/27  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  十年目の驚き
 同一人物の顔が、時代の移り変わりや生活環境の変化で、色黒の人が色白になったり、また、その逆に、色白が色黒になったりすることはある。生理学的に説明するなら、そうさせる物質は、顔の皮下にうっすらと形成される脂肪と、顔の肌近くに沈殿する体内のメラニン色素の二つなのだ。脂肪は、顔を色白にする。だから日本でもふっくらとした顔の肌は白い。
 メラニン色素は、ストレスが強くなると体内から顔の表面に滲み出る。それが色黒の顔をつくる。黒いといっても黒人の黒さではなく、日焼けと同じ褐色の肌だ。ひとつ実例を示すなら岸信介・元首相である。あの人の地肌はもともと色黒だったと思っていたら、ごく近しい人の話では「そうではなく、本来、色白だった」という。私の新聞記者時代よく見た岸信介氏は、日米安保改定など苦労の連続で、過度の緊張とメラニン色素の相互作用が、岸さんの色黒の肌をつくったらしい。晩年の岸さんは色白で「ほんのりと赤みがさしていました」ともいう。
 なぜ、この紀行文の冒頭に、顔の肌の色についてあれこれ論じたのか。それは今回の二度目のマレーシア旅行で、私にとってある“発見”があったからなのだ。一九九八年六月の前回のクアラルンプール入りは、市内の手狭な旧空港からだったが、今回は、関西空港そっくりのKLIA(クアラルンプール国際空港)であった。K・L(マレーシア人は一応英語国民なので、略称をK・Lという)から市内まで六十五キロもある。その遠さは成田並みだが、片道三車線の高速道路があり、渋滞もないので四十五分で到着する。
「ホウ。マレー人の肌色は白くなった」。同行のK氏がそうつぶやいたのである。バスが市内の女子高校前の信号で停車、下校する白ブラウスとグレーのスカートの制服姿のマレー人女子高生の一団をやり過ごした際の出来事である。昨年がK・Lの最初の訪問だった私にとっては、それがマレー人の肌色だと思っていたのだが、十年ぶりにK・Lに来てみて、「驚いた」とK氏はいう。K氏は古今東西森羅万象に通じた文明論の大家だ。「気のせいでしょう」と言ったら、「いや、この国の文明度の向上が肌を白くした」と、「脂肪とメラニン色素説」を展開したのだ。
 半信半疑の私に、これまた十五年ぶりにK・Lを訪れたというジャーナリストのT氏が、「私もそう思う。マレー人女子高生の顔は昔に比べるとふっくらとした感じで、確かに色白になった」と言うのだ。
 ちょっと断っておかねばならないが、マレー人とマレーシア人は同一ではない。マレー人はマレーシア人なのだが逆は真ならずだ。マレーシアは三つの原色をちりばめたモザイクの国家で、人口ニ千二百万人のうちマレー系六二%、中国系二九%、インド系が八%である。マレーシア人はマレーシアに生まれ、現に市民権をもつこの国の国民であり、マレー人はマレー語を習慣的に話し、マレーのアダト(習慣)に根ざす文化に従い、イスラム教を信仰する人と定義されている。私の「顔色の話」は、マレーシア人一般ではなく、こうした定義にもとづくマレー人についてである。
 中国系、インド系の人々の顔色は以前の印象とほとんど変化はない、とK氏とT氏はいう。なぜ、マレー人だけが……。そこがこのストーリーの主題だ。
「中国でも同じことを経験した。六〇年代の文革の時代、北京で見た中国の庶民は一様に痩せており、日本人より色黒に見えた。当時の異常な社会状況のもたらす緊張と素食のせいだったのではないか。それが今日の北京では……」とK氏は言う。北京と同じことが、K・Lのマレー人について起こっていたのである。
 
マハティールの贈り物
 色白になったK・Lのマレー人、何がそうさせたのか。多分こういうことだろう。ASIAN・MIRACLE(アジアの奇跡)と呼ばれる経済の高度成長と、「ブミプトラ」(土地の子)政策と呼ばれるマレー人優遇策が、中国系・インド系より経済的地位の低かったK・Lのマレー人の庶民の生活を、ここ十年でいちぢるしく向上させた。その過程で脂肪とメラニン色素による生理学的現象が徐々に起こり、色白のマレー人をつくった??。これが文明論的考察にもとづく推論である。
 苦労と心労が色を黒くし、安楽と心の安らぎが色を白くする。この仮説が正しいとすれば“白いマレー人”をつくった功労者は、DR・MAHATIR・MOHAMADにほかならない。つまり、八二年以来、この国の国父として君臨するマハティール首相である。笹川陽平・日本財団理事長を団長とする学者・ジャーナリスト・グループは、K・Lで約一時間半、小高い緑の丘の上にある質素な官邸の一室で、彼と対話をした。
 マハティール氏は言う。「錫とゴムだけに依存する多人種の潜在的不安定国家を、七百億ドルの輸出のうち八○%は高度な電子機器が占める、中所得国家に変身させた」。彼の首相就任以前のマレーシアは、政府の中・高級官僚はマレー人が占めていたものの、経済は鉱山と商業を握る中国系とインド系のマレーシア人が握っており、マレー人の生活水準は低かった。それが彼の治世のもとで、自動車を中心とする機械工業と電子機器の新産業を興し、マレー人に雇用機会を与えることによって、彼らの経済的地位を目ざましく向上させ、貧困による苦労と心労を取り去ったのである。
 彼は、随員も通訳もつけず、一人でわれわれとの対話に応じた。噛んで含めるような口調の英語で、彼ははっきりと主張をした。彼がわれわれに訴えかけたのは、国内におけるこれまでの経済的成功ではなく、マレーシアを取り巻く外の脅威に力点が置かれていた。
「植民地支配から独立を勝ちとり、国造りに励んでいたら、冷戦の崩壊とともに、またもや西の世界支配のもくろみが開始された。西は中国を恐れている。中国は世界的パワーになれるアジアで唯一の国だが、西は東南アジア諸国の経済に介入し中国への対抗勢力に仕立てようとしている。植民地解放後、四十年で、共産主義との闘いを終えた西は、アジア支配のために戻って来たのだ」
「グローバリゼーションとは、西、とりわけ米国のアイデアである。西の資本主義は、他の国を破壊する。ジョージ・ソロスのヘッジファンドに代表される国際短期資本は、国境を越えて他国に入り込み、営々として築きあげてきたわれわれの経済をぶちこわそうとする。彼らのやり方に、ルールも統制もなく世界を醜いものにつくりかえようとしているのだ」
「エッ、何だって。ジョージ・ソロスが最近、“国際短期資本の移動について、規制と管理が必要だ”と言っているだって? それはね、彼は短期資金で、他国のマーケット、タイ、インドネシア、マレーシア、韓国、そしてラテン・アメリカ、さらにはモスクワで暴れまわり、さんざん金儲けしたあとの話だよ。つまり世界のすべての池の魚を獲り尽くした後で、漁業のルールを言い出したのだ。魚のいない池での魚釣りのやり方を説教して何になるのだ」
 
成功したがゆえのビッグ・パパの悩み
 彼の舌鋒は鋭かった。とりわけ中所得国マレーシアの波打ち際に、西が再び支配をもくろんで戻ってきたという表現は、予想を上回る激しさであった。マハティール氏は、彼の首相就任後、はじめて全国遊説のスケジュールを組み、「西の脅威の前にマレーシア人よ団結せよ」と訴えている。われわれとの会見は、地方での遊説からK・Lに戻ったつかの間のタイミングであり、その直後、専用機でメッカ巡礼に出発した。
 この多忙な国父が訴える西の脅威は、われわれ外国人向けというよりむしろ国内向けである。とりわけ“白くなった”マレー人向けではないかと私は思う。私の推論の根拠はこうだ。彼は親西側のアンワール副首相との権力闘争にタッチの差で勝利した。来るべき総選挙には多くの国民の支持を勝ち取らなければならない。そのためには、彼の国造りで誕生した新中産階級の心をしっかりとつかむ必要がある。なぜなら、中産階級は、自由と民主主義を強く求める性癖をもっていることは、古今東西に普遍的に存在する事実である。
“白くなった”マレー人、とりわけ知識人は、国父である“ビッグ・パパ”の批判勢力になりがちである。だからこそ、マハティール氏は、外の脅威を強調し、彼らのナショナリズムを高揚するのだ。それは、彼の国造りの失敗ではなく、成功したがゆえに、当然直面しなければならない大政治家、マハティール氏の試練なのであろう。
 滞在中、この国に日本脳炎が猛威をふるった。彼らは日本脳炎を「J・E」と言っている。J・Eとは、「JAPANESE ENCEPHALITIS」の略だ。これは脳炎の医学用語だが、彼らは一応英語国民とはいえ、こんな単語を知っている人はまずいない。豚がJ・Eにかかり、蚊が媒介すると人間にうつる。数十人が死亡し、約十万頭の豚が焼却処分になった、という。マレー人は宗教的理由で豚は食べない。豚が大好物なのも、豚の飼育業者も中国系である。以前なら人種間の対立で暴動が起こっただろう。だが今日のこの国の問題は、人種間抗争ではなくマレー人のなかの新旧世代の価値観をめぐる争いのように見うけられる。
 



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